第5話 待ってろ母ちゃん!
「咲ちゃん、大丈夫? 何もされてない?」
母ちゃんは、玄関の前で心配そうに俺を出迎える。
「大丈夫だよ。あんな奴ら、戦場で武器持って殺しに来る奴らに比べたら可愛いもんだよ」
俺の脳裏に血走った目でがむしゃらに俺を殺しに来る敵兵達の姿がフラッシュバックされる。
「そんな事まで……咲ちゃん……生きてて良かった……ううっ……」
母ちゃんは、俺の事を抱きしめてしくしく涙を流していた。
「泣くなよ母ちゃん! こうして戻ってきたんだから。それより、母ちゃんの飯が食いたい!」
「うん、そうだね。直ぐに準備してくるからお風呂でも入って来なさい」
俺は、母ちゃんに言われた通り、お風呂場に直行する。
もちろん、湯船につかる前に全身の汚れを綺麗に落とす。
一度や二度では落ちない汚れを、何度もシャンプーやボディーソープを使って洗い流す。
二年分の汚れを隈なく落とし、湯船にインする。
「ふえ~気持ちいい~」
よく風呂に入った人が極楽と言うのが分かる気がする。
「帰ってきたんだな……俺」
家の風呂に入ってようやく実感する。
俺があの世界で過ごした二年間が走馬灯の様に駆け巡る。
心半ばに散っていった仲間達の顔が次々と通り過ぎる。
「元の世界に戻る事を夢見て散っていった仲間達の為にも、俺は一生懸命に生きなくちゃいけない」
無事に戻ってきた俺にはその義務がある。
◇
風呂場から出ると、いつの間にか脱衣所の籠に俺の着替えが用意されていた。
それらに着替えて、リビングの方へと足を向ける。
「スッキリした?」
エプロン姿の母ちゃんが、食卓に料理を並べながら話しかけてくる。
「うん、二年分の汚れを落としてきたよ」
「ふふふ。それにしても身体が大きくなったからなのかしら、服がキツそうね。明日は仕事があるから明後日の土曜日にでも服を買いに行きましょ。それまでは悪いけど我慢してね?」
「うん、ありがとう」
あっちの世界で過ごした二年で、俺は縦にも横にも大きくなった。
横に大きくなったと言うのは、太ったわけではなく、ムキムキになったという事だ。
だからなのか、今着ている服は全体的につんつるてんになっているのだが、そんな事より!
俺は色んなおかずが並べられている食卓を見渡す。
唐揚げ、角煮、オムライス、焼き魚などなど、俺の好きな物のオンパレードだった。
見ているだけで、よだれが滝の様に流れる!
「こんなに? 俺の好きな物ばっかりじゃん!」
「うんうん。沢山食べてね!」
「いただきます!」
俺は早速イスに座り、まずは味噌汁を啜る。
身に染みる温かさだ。そして、うまい……。涙がでそうだ……生きてて良かった。
次は角煮を口に入れる。口の中でとろける食感がたまらない。
あっちの世界で肉なんて、戦場で訳の分からない野生の動物を狩って食べていた。
血抜きもクソもない、皮を剥ぎ焼いただけの粗末な物だったが、満足な食事を与えられていなかった俺達にとってはご馳走だった。
だけど、この角煮は……比べ物にならない……。
緩みそうな涙腺をぐっと閉めて、俺は次々と料理を口に運んだ。久しぶりの親子の食卓なのに、俺は言葉を発する事無くひたすら食事に没頭した。
そんな俺を母ちゃんは何も言わず、ただ優しく見守ってくれていた。
あっという間に料理を平らげ、ぽっこり出たお腹を摩りながらお茶を啜っていると「明日、ママはパートに行くけど、咲ちゃんはどうする?」と聞いてきた。
母ちゃんは、親父が出ていった後から知り合いの紹介で、近所のホームセンターでパートをしているらしい。
「明日は、あのふざけた落書きを消す事にするよ」
「あれね……何回消しても、いつの間にかまた書かれてて、埒があかないからそのままにしてたんだよね」
「あいつらッ! これは賠償金を請求しないとな」
「あんまり危険な事しないでね? 咲ちゃんがまた居なくなったらママ……」
母ちゃんは不安で一杯らしい。
それはそうか、一人息子の俺が二年間も音信不通だったのだ。
「大丈夫だよ! もう、母ちゃんを悲しませる事はしないから!」
「うんうん! 約束だよ?」
風呂も入ったし、腹いっぱい旨い飯も食べた。
そんな幸せ絶頂の俺は疲労感に襲われる。
家に帰って来た事によって、常に張り巡らせていた緊張感が解けたのか、最近の俺ではあり得ない状態だ。
「母ちゃん、だめだ。眠いからもう寝るわ」
「ちゃんと歯磨いて寝るんだよ?」
「うん、おやすみ!」
身体同様、一度磨いても磨き足りず、俺は数回歯磨きを行い、自分の部屋に戻ってベッドに入る。
久々に潜り込んだベッドは柔らくて、温かくて、とても気持ちよくて、俺は直ぐに眠りに落ちた。
◇
人気の少ない裏路地にある雑居ビル。
ここには、暴利な金貸しを生業としている、所謂闇金の事務所がある。
付け加えると、ここら辺一体を牛耳っている、指定暴力団
その狭山ビルの一室に、昨夜、服部家から逃げ帰った取り立て屋の二人がいた。
二人共右手に包帯を巻いており、緊張した面持ちで、ソファーに座っている白いスーツを着た壮年の男の前に立っていた。
「おい、岡田。服部の所の取り立てはどうなってる……うん? なんだお前ら。に人して包帯なんか巻いて、仲良しにも程があるだろ! ぎゃはははは」
「組長それが……」
岡田と呼ばれた男は、白スーツの男、組長に昨晩の出来事を報告する。
「それで? おめおめと逃げてきたと……てめぇら、ヤクザなめてんのかッ!?」
組長は怒鳴りながら、分厚いガラスの灰皿を岡田に向けて投げると、灰皿は岡田の額に吸い込まれる様に当たり、あっという間に岡田の顔面が血に染まる。
一瞬よろける岡田だったが、直ぐに姿勢を正し真っ直ぐ組長を見る。
「化けモンみたいな奴なんです! 奴の顔を殴った俺達のこの手は二人ともヒビが入って……」
「うるせぇッ! んなこたぁ聞いてねぇんだよ! てめぇ、これからどうする気だ? まさか、そいつにビビって取り立てできねぇって言いてぇのかッ!?」
組長は更にヒートアップする。
「い、いえ、そういう訳じゃ……」
「……拉致って来い」
「え?」
「服部の嫁拉致って、その息子とやらに事務所に来させろ……徹底的に甚振ってやる!」
「拉致るのは流石に……」
「二度言わせるな……」
「わ、分かりました! 直ぐに拉致ってきます!」
岡田とサブ、二人はそう言って、慌てて事務所を出ていった。
「くそがッ!」
組長である狭山銀は、テーブルを乱暴に蹴り飛ばし、煙草を咥えた。
◇
俺が家に戻ってから、一夜が明けた。
朝も母ちゃんの旨い飯に舌鼓を打った後、昨夜、宣言していた通り家の落書きを消していた。
因みに、母ちゃんは既にパートに出ている。
水では落ちないので、以前から母ちゃんが買っておいた専用の塗料落しを使ってブラシでゴシゴシと落していく。
俺がやるとすぐに落ちるが、それなりに力が必要な作業だ。
「あいつら……母ちゃんにこんな生産性のない重労働を……」
母ちゃんが一人でこれをやってたと思うと怒りが込み上げてくる。
そして、ブラシを持つ手に力が籠る。
「えっ? うっそ? もしかして、咲ちゃん!?」
背後から俺を呼ぶ声がして振り返る。
「よう、美咲! 元気そうだな?」
「元気そうだなじゃないよ! 今までどこに行ってたのよ!?」
「色々あって、な」
こいつは、花澤美咲。隣の家に住む、所謂幼馴染だ。
名前に同じ“咲”がついているという事で、より親近感がある。
「とにかく、良かった……おばさん、凄く大変そうだったから……」
取り立て屋が出入りすれば、近所で後ろ指を指されたり、避けたりするのだが、ご近所付き合いを大事にしている母ちゃんの日頃の行いのお陰か、みんな母ちゃんを応援しているらしい。
「大丈夫だ。これから俺がこの家を守るから」
「何か、逞しくなったね……別人みたい」
まぁ、あっちに行く前の俺はナヨナヨしてたからな。
「もう、大人だしな!」
ぷるるるるるる~ぷるるるるる~
「あ、電話だ」
「私、講義があるから行くね? 今度ゆっくり話聞かせてね?」
美咲は、市内にある国立大学に通っている。
今も大学に行く途中なのだろう。
だけど、何か暗い顔をしているな……今度ゆっくり話でも聞いてやろう。
「あぁ、分かったよ! 頑張ってこい学生!」
俺は美咲と別れ、急いでリビングに戻る。
電話のディスプレイを見ると“ママ”と出ていたので、母ちゃんが心配して電話を掛けてきているんだろうと思いながら電話に出る。
「もしもし、母ちゃん?」
「残念だったなお前の大好きなママじゃなくてよぉ~」
誰だ? 男の声?
「昨日は世話になったな?」
昨日? という事は、あぁ、こいつ昨日の取り立て屋か……。
「迷惑な奴だな、借金なら親父を探してアイツに取り立てろって言ったよな?」
「おいおい、そんな粋がるなよ。俺が誰の携帯で電話していると思ってるんだ?」
あっ、こいつら……ッ
「てめぇら、母ちゃんに指一本触れて見ろ……この世に生まれた事を後悔させてやるからなッ!」
「ぎゃははは、こえ~な~。今から言う所に一人で来い。おかしな真似はするなよ? もちろん、警察に通報するのも無した。お前のママを傷物にしたくなければなッ!」
「いいからさっさと場所を言え!」
「駅前の狭山ビルだ」
ガッシャン!
俺は電話を乱暴に切り、急いで指定された場所に向かう。
「くっそおお! あいつら絶対許さねぇ! 母ちゃん無事でいてくれッ!」
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