8-4 市民(団体)の抗議は規制か

 2018年の事例である。講談社ピーシーが出版した『はじめてのはたらくくるま 英語つき』に戦車などの兵器が登場するのは不適当であるとして、新日本婦人の会が出版社に申し入れた。その結果、出版社は本書を増刷しないこととした。


 また一方では、第6章でみたように、献血コラボポスターも市民の抗議によって、穏当なものに改善された。このように市民が、団結するかどうかは別として、ある表現について批判なり抗議なりを行い、表現を改善あるいは撤回させることはよく起こる。


 しかし、このような一連の対応に関し、ネットでは「規制である」との声が相当数見られた。結果的に、表現者が望んでいた表現を取り下げたのだから、表現の自由を抑圧しているというのである。果たして、市民団体の抗議や申し入れは規制というべきだろうか。


 結論から言えば、このようなものは規制と呼ぶに値しない。なぜなら、表現の問題を指摘・抗議した主体は権力ではないからである。


 これは自明のことである。仮に、市民団体が不適当と考える表現を表に出すなと主張し、表現者がこれを無視した場合、団体は何ができるだろうか。せいぜい、表立って抗議する程度のことしかできない。とてもではないが、市民団体には命令を徹底できるほどの力はない。ゆえに、このような抗議は規制足りえない。


 市民団体による、デモのような抗議は威力を持ち、表現者を委縮させるかもしれないので規制の範疇に入るというのが、抗議を規制と読み替える人々の主張である。しかし、このような市民団体の抗議や批判もまた表現に属するものであり、表現の自由によって守られるべきものである。


 そして、対象の表現と批判や抗議が激突した結果、表現者が表現をそのままにしたとしても、あるいは表現を変えたとしても、それはどちらにせよ表現者が表現の自由を行使した結果に過ぎない。


 もし、外部の声によって表現が変更されることをすべて規制と呼ぶのであれば、例えば編集者による指摘やブラッシュアップもすべて規制となってしまうだろう。編集者は直接的に表現者の仕事に関係するので、この「命令」を徹底する力は市民団体より強そうである。しかし、推敲まで規制に含まれるという見解に頷くものはいそうにない。


 市民による抗議が規制足りえないのは、その表現に対する意見を強制する力を持たないからである。では仮に、そのような力を持ち得る状況が想定されるとしたらどうだろう。


 そのような状況はひとつしかありえない。抗議者が暴力に訴えるのである。『あいちトリエンナーレ』を脅迫した者のようにである。

 だが、そうなればこれはもはや規制かどうかの問題ではない。そのような振る舞いはまごうことなき犯罪であり、取り締まりの対象である。


 逆に言えば、合法的な抗議活動はやはり規制とは呼べない。


 最後に、電凸と呼ばれる行為に触れておく。このような行為は、半ば犯罪と呼ぶべき振る舞いである一方、必ずしもそうというわけではない、いわば境界線上の行為である。抗議を規制であると主張する人々は、電凸が表現者にプレッシャーを与えることで、自身の命令を強制していると主張する。


 興味深いことに、そのような人々が「規制」であると主張することの多い、フェミニズムやリベラリズムを背景とする抗議では、電凸と呼べる行為は管見の限り確認できない。むしろ右派・保守・差別主義者の常套手段となっているが、ここではさておこう。


 電凸が脅迫と呼べるほどにエスカレートした場合、これは前述同様犯罪として処理すべきである。規制かどうか以前の問題になる。重要なのは、電凸が、それ単体では穏当な抗議も、殺到すれば負担となることを示唆しているという点である。


 だがしかし、穏当な抗議の殺到という面をもってしても、やはりこのような振る舞いを規制と見做すのは無理がある。もちろん、殺到するというのは構造上の問題があるが、しかし単体の抗議自体は市民個人に認められた自由の範疇に属するからである。そしてやはり、個々の市民には自分の主張を強制する威力はない。ゆえに、規制とは呼べそうにない。

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