8-2 規制の最たるもの
さて、8-1で述べたように、ここからは「規制とはなにか」という点を論じていく。
規制の何たるかを論じるうえで、最も手っ取り早いのは、規制の最たる例を挙げることであろう。そこから逆説的に、規制と言うべき行為に不可欠な要素を抽出し、ゾーニングにはそれが存在しないことを示すことで、ゾーニングが規制ではないことを論証する。
さて、では規制の最たるものとは何だろうか。性暴力表現に関連して挙げるとすれば、刑法175条が該当するだろう。これは条文で「わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する」と定めている。
刑法でいうところのわいせつが何を指すのかに関しては議論があるが、ここでは立ち入らない。重要なのは、何らかの基準により表現を頒布することが制限され、違反した場合には罰則が設けられているという点である。
もう1つの例は、表現の自由議論において言及されることの多い「東京都青少年の健全な育成に関する条例」である。これは、知事が指定した「有害図書」を未成年に販売、貸出することを禁じ、違反した場合には罰金刑を定めている。
この2つの例が規制であることは論を待たないだろう。では、この2つの例に共通する要素は何だろうか。
それは、制約を命令する主体が権力であることと、違反した場合にペナルティがあることである。この2つが、ある制約を規制と呼ぶべきかどうかの判断にかかわってくる。
制約を命令する主体が権力であることと、違反した場合にペナルティがあることは、密接にかかわっている。というのも、命令主体が権力でなければ、そもそもペナルティを科すことは困難だからである。
刑法の命令主体は言うまでもなく、国である。国は行政というかたちで警察や検察を動かし、命令に違反した者を取り締まることができる。条例の命令主体は各自治体であり、警察を動かすことができるのは国と同様である。
命令に違反した場合にペナルティがあるということは、その命令に逆らい難くなるということを意味している。刑法なり条例であれば、そのペナルティは罰金から懲役刑まで幅広い。もし、懲役刑を科されれば、日常生活に重大な支障を及ぼすことは論を待たない。罰金刑であっても、十数万から数百万単位の金銭を負担することは相当のダメージとなり、しかも命令違反の度にとなれば、命令違反を思いとどまらせるには十分である。
逆に言えば、命令主体が権力でないこと、違反した場合にペナルティがないことは、それが規制ではないことを意味している。ペナルティがなければその命令に違反することは容易であり、また命令主体が権力でなければ、そのペナルティを科すことは現実的ではなくなる。
では、この2つの要素のうち、1つだけを満たすパターンはどう考えればいいだろうか。次節ではこの問題を扱う。
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