第344話 猫被りの姫 前編


長くなった(9000文字超えた)ので二つに分割しました。

全ての原因は暴走したアイルのせい。


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 ドラゴニア王国の王城の貴賓室。

 半分プライベートの状態で、王国と樹国の突発的な非公式会合が行われていた。

 俺の斜め前、父上の真正面に座るのは一人のエルフの美女。彼女は、若草色という落ち着いた優しい色合いかつ、金糸や銀糸で緻密な植物の絵柄が描かれた着物を纏っている。輝く薄緑色の髪には漆塗りの簪。琥珀のアクセントが綺麗。薄く化粧が施され、唇に引かれた紅が妖艶だ。彼女のパッチリ開いた翠玉エメラルドの瞳に吸い込まれそう。


「――というわけで、ぜひ我が国にシラン殿をお招きしたいのですわ。もちろん、待遇は最上級の国賓として。如何でしょうか? 陛下」

「うーむ……」


 父上が国王としての真剣に悩んでいる。

 ニコニコ笑顔のエルフ美女の言葉の裏を考えたり、俺が樹国に行った場合のメリットデメリット、行かなかった場合のメリットデメリット、別の誰かが行った場合と誰も行かなかった場合を想像し、推測したりしているようだ。

 即断即決できる提案ではない。

 彼女の隣で、ユグシール樹国の大使が汗を拭ってはペコペコ謝っている。


「すみませんすみません。ウチの姫様が本当にすみません」


 彼は真面目で有能な大使だと聞いていたんだが、今日は謝ってばかりだ。

 苦労人なのだろうか? それとも隣に座る彼女のせい?


「すまぬ。少し要点を整理させてくれ。まず、貴国は数カ月前に起きた《魔物の大行進モンスター・パレード》の影響がまだ残っていると?」

「はい。そうですの。魔物の毒が芳醇な土を荒廃させ、樹々を蝕み、森を殺しております、今現在も。懸命に浄化を試みているところですが、進行を遅らせることで精一杯なのですわ」

「我が国に相談してくれれば人を送ったものを。水臭い」

「いえいえ。これは我が国の問題。我ら樹国の民が解決しなければならないこと。他国に頼るのは最終手段ですわ。それに、貴国には大変な時期に食糧支援をしてくださいました。それで十分ですの。遅れましたが、我が父、樹王ディモルフォセカ・イルミンスールに代わって感謝申し上げます」


 ありがとうございました、と一国の王女が深々と頭を下げる。一拍置いて大使殿も。


「今さら礼など必要ない。もう既にディモルフォセカ殿から感謝の書状を貰っている」


 ゆっくりと頭をあげる姫の簪の琥珀が光を反射して優しく光った。


「で? 現在も貴国は大変な状況なのであろう? そんな状況で開催するのか? 祭りを」

「ええ。こういう時だからこそ盛大に執り行うのです。《神樹祭》を!」


 樹国の姫が美しく微笑み、父上は再度腕を組んで唸る。

 チラッと俺のほうを見てくるが、俺も知らないと小さく首を振って父上に告げる。


「《神樹祭》ねぇ……すまないが、私は聞いたことが無い。どういう祭りなのか教えてもらってもよいか? 貴国が毎年行う新嘗祭のようなものなのか?」

「陛下がご存じないのも無理はございません。前回神樹祭が執り行われたのは200年近く前ですから。我が国で毎年行っている新嘗祭は、その年に収穫した新穀を世界樹様に捧げ、自らも食すことで生産者や料理人、そして身体の糧となるあらゆる生命に感謝すると同時に、来年の豊穣を祈願するお祭りですの。しかし、《神樹祭》は違いますわ。祭りという字がついているものの、内容は全くの別物。『鎮守の儀式』、それが《神樹祭》ですわ」

「なるほど。大規模な儀式魔法で汚染された大地を浄化するというわけか」

「はい。そういうことですの」


 儀式魔法。普通の魔法ならば魔法陣などの術式を使ってパパッと発動させるのだが、儀式魔法は違う。綿密に計算された緻密な儀式をいくつも執り行い、多くの時間と労力と魔法の触媒と代償を使って大規模な効果の魔法を発動させる。それが儀式魔法である。

 どちらかというと呪いに近い。

 呪術系統の魔法は、代償を支払えば支払うほど儀式が簡略化し、効果が高くなる。代償を支払わない場合は、難解で複雑な儀式が必要なのだ。

 テロ組織【黒翼凶団】が行ったのが代償を支払った前者の儀式魔法。

 反対に、儀式魔法は儀式魔法でも樹国が執り行おうとしているのは、複雑な儀式を行うことで代償をほぼ無くした後者の魔法だろう。


「その《神樹祭》にシランを招待したいと」

「はい。シラン殿はわたくしの命の恩人ですわ。数百年に一度の儀式をぜひお見せしたいのです」

「ふむ……シラン、どうする?」


 父上が俺に意見を求めてきた。

 ドラゴニア王国としては断る理由がない。むしろ断ったほうがデメリットだ。

 招待に応じれば樹国の被害状況を堂々と把握できるし、招待のお礼という名目で支援も行うことができる。数百年に一度の儀式に呼ばれたことは誉にもなるし、両国との仲をアピールすることもできる。

 樹国からすると、王国の誰かを招くことで他国へ向けた魔法ではないという証明にもなる。ぶっちゃければ証人を求めているのだ。


「王国も《魔物の大行進モンスター・パレード》に襲われて、ユグシール樹国の助けを借りた。そのお礼を伝えるため誰か送ろうと思っていたのだが……」


 丁度いいタイミングの申し出だったというわけですか。

 拒否権はほぼ無しだな。


「一つ質問してもよろしいですか?」


 俺は美しく着飾って微笑む姫に向けて言った。


「はい。何でも訊いてくださいな」

「では、失礼ながら――貴女、誰ですか?」


 ピシリ、と父上と樹国の大使殿が凍り付いた。

 本当に失礼な質問だったと思う。一国の王女相手に誰ですかと訊くのは。でも、そう問わずにはいられなかったんだ!

 姫は気分を害した様子もなく、平然と微笑んで、


「おほほほほ! 何をおっしゃっているのですか? わたくしをお忘れですか、シラン殿。わたくしはアイル・イルミンスール。昨日空腹で倒れていたところを助けてくださったではありませんか」

「いやいやいや! 別人過ぎでしょうが!」

「別人? 何のことやらさっぱりわかりませんわ。昨夜も変わらず、これがわたくしの素ですの」


 おほほほほ、と優雅に笑うアイル王女殿下。

 絶対違う! 俺の知っているアイル殿下とは全然違う! 超猫被ってる!

 あんたの素は一人称が『拙者』で語尾は『ござる』の世界樹大好きの変態変人だろう!?

『わたくし』とか『ですわ』とか違和感でしかない。よく化けたな。


「アイル殿下」

「アイル、ですわ。敬称など必要ないと昨日言ったではありませんか。シラン殿ならば敬語も必要ありませんわ」

「しかし、殿下」

「でももしかしもありません! 昨日はタメ口でしたわ! それとも、シラン殿と深い仲になったと思っていたのはわたくしだけだったのでしょうか?」


 うん、貴女だけですね。

 俺は仲良くなったとは思っておりません!

 変態が増えるのはもう勘弁!


「あんなに濃いものをわたくしに飲ませておいて……よよよ。酷いですわ」


 いや、世界樹の果実のジュースを飲ませただけですよ。


「身体の奥底から込み上げる熱い力。荒れ狂う暴力的な刺激。予想だにしない突然のことでわたくしの身体は中から蹂躙されてしまったのです。あぁ……思い出しただけで体が疼いてしまいますわ。おほぉーほほほ」


 ……今、一瞬素に戻りかけたな。笑い方が……。

 しかし。そんなことはどうでもいい。

 この腹黒姫め。わざと誤解を招く表現を使いやがって。ただ世界樹の果実のジュースを飲ませただけなのに大げさだ。

 ほら、父上と大使殿が誤解しているじゃないか。『また新しい美姫に手を出したのか……』とジト目を向ける父上と、『あの姫様に縁談が!?』と驚愕している大使殿。

 ……あれ? ここは怒るところだと思うのだが、違うの、大使殿? 何故喜んでいる?


「《神樹祭》に出席するのは別に俺じゃなくても……」

「いえ! シラン殿が良いのです! シラン殿しかあり得ません! シラン殿以外はダメでござるぅっ!」

「お、おう……」


 身を大きく乗り出してテーブルに乗りかかるほど前のめりになって迫るアイル殿下。フーフーと鼻息荒く、翠玉エメラルドの瞳が血走っている。


「すいませんすいません。ウチの姫様がすいません! 姫様! お気を確かに!」

「はっ!? し、失礼いたしました」


 大使殿に窘められてアイル殿下は我に返った。

 何やら両手をグーにして変なポーズをとり、瞬きをしたら姫の仮面を被ったアイル殿下がいた。


「陛下、シラン殿。如何でしょうか? もしお断りになるのでしたら……シラン殿がわたくしを辱めたという噂が国内外に広まるかもしれませんわ」

「おぉいっ! ちょっと待てぇい! 脅迫する気か!?」

「嫌ですわ。脅迫だなんて。これも外交です。シラン殿とあの御方を招待するには手段なんか選んでいられないでござ……んんっ! 手段なんか選んでいられませんの! シラン殿のお屋敷に一泊したのは事実。噂に尾ひれがつくのはよくあることですわ」


 この腹黒王女め……世界樹好きの変態だと思っていたら、とんだキレ者だったなんて。

 俺に執着する理由はケレナか。俺を招待すればもれなく世界樹様が付いてくる。だから脅迫してまで呼びたいのか。


「大使殿。お宅の姫はこうおっしゃっているのですが、いいのですか?」


 こういう時は秘儀、大人に頼る。

 お願いですからアイル殿下を止めてください!

 しかし――


「すいませんすいません。ウチの姫様が本当にすいません。しかし、こんな姫様でよろしいのでしたら、のしを付けて差し上げます! ぜひ噂に尾ひれがつく前に事実にしてあげてください! 切実に! 昨夜は何もなかったご様子ですが、心の底から残念でなりません!」


 た、大使殿ぉー!


「ちょっと爺や! 何を言っているのですか!? 拙者がシラン殿とそんな関係になるなんてあまりに恐れ多い! あの御方のご主人様となんて……!」

「姫様、チャンスを逃してはなりません! 祖国で嫁の貰い手がいないのならば、他国で見つけるしかないではありませんか!」

「拙者、国民に人気だと自負していますわ!」

「確かに【双葉の姫君】は人気です。樹国で一、二を争う美しさだと。しかし、それ以上に【世界樹狂いせかいじゅフリーク】と【魔法狂いまほうフリーク】という【変人の双子姫】として有名なのですぞ!」

「そ、そんなに褒めなくても……照れるでござる」

「褒めていません! 『【双葉の姫君】は美人で可愛い。でも【変人の双子姫】と結婚するのはちょっと勘弁してください』というのが樹国の男たちの総意見です!」

「ぐふっ!」


 精神的ダメージを受けてアイル殿下が胸を押さえて崩れ落ちた。

 俺と父上は一体何を見せられているのだろう。

 まあ、大使殿とアイル殿下の言い争いで大体分かった。

【変人の双子姫】か……やっぱりアイル殿下は変人ということで有名だったんだな。


「拙者がシラン殿と……いやダメダメダメ! シラン殿はあの御方のご主人様! しかし、シラン殿と結婚すれば拙者は毎日あの御方のお姿を崇めることができる……! くっ! でも、あの御方は拙者ごときが近寄っていい存在ではない! ましてやあの御方のご主人様など……拙者はどうすれば!?」

「姫様。先ほどから被っていた猫が剥がれかけています。至急被り直してください」

「おっと。しまったでござる。にゃん!」


 にゃ、にゃん?

 なんだその言葉とポーズは……?


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