第304話 緊急事態の発令
王都を取り囲む分厚い防壁の上で、見張りが目を凝らしていた。担当は西門。
異常がないか、ただ見張るだけ。安全な仕事と言えば安全なのだが、退屈、これに尽きる。
暇だ。一定の間隔で立っている同僚たちも真面目に職務を全うしている様子。しかし、目が死んでいる。彼らも退屈で仕方がないのだ。
喋ることはできない。上官から怒られてしまう。
「暇だ……」
見張りはボソリと独り言を呟いた。
いつもの暇つぶしは、飛んでいる鳥の数を数えること。
そうでもしなければ立ったまま寝てしまいそうになるのだ。
しかし、今日は様子がおかしい。鳥が一匹もいない。おかげで暇すぎて睡魔が襲ってくる。
時刻は夕暮れ。太陽が沈み始め、空は赤く染まっている。燃えているような不気味なほど赤い空。ゾクリと寒気が走る。
「んっ?」
目を凝らす見張りの視界に何かが映った。
眩しい西日の中、遠くに視線を合わせる。ゆらりと何かが蠢いた。空気の屈折かと思ったが、違う。黒い物体だ。それも多数確認できる。
見張りはすぐさま声を張り上げた。
「異常を報告! 距離約2000! 真西! 複数の動く影! モンスターかと思われます!」
「……こちらも確認した!」
「……こっちもです!」
次から次に見張りが発見の報告をする。複数チェックだ。
「おいおい……どんどん増えていくぞ!」
見張りたちの声に恐怖が滲む。遠くに蠢く何かは、地面を埋め尽くす勢いで出現し、ゆっくりと着実に王都へと迫っている。
心当たりがある現象。しかし、事実を受け入れたくない。間違いであって欲しいと心の底から思う。
誰かが声を裏返しながら叫んだ。
「《
それと同時刻、西門だけでなく、東門、北門、南門で同じ報告が上がる。
王都中に緊急事態を知らせる警報音がけたたましく鳴り響く。
▼▼▼
「ヒース皇女殿下とセレン様はまだ見つかりません!」
近衛騎士からの報告に、思わず舌打ちをしてしまう。
顔を真っ青にしたエリカがヒースとセレンの行方不明を報告して約20分。手掛かりは一切ない。
エリカが言うには、二人は女子トイレに入り、そのまま忽然と姿を消したらしい。外からは物音は何も聞こえなかったという。
「あの時、中まで付き添っていれば……」
血の気が引くほど拳を握りしめているエリカは後悔に苛まれている。整えられた爪が皮膚に突き刺さって僅かに血が滲んでいた。
二人の失踪と同時に起こったジャスミンとリリアーネへの襲撃。これはヒースとセレンの失踪と繋がっているはず。二人を誘拐するための陽動と考えたほうが納得できる。
探しに行きたいけれど、襲撃があったせいで近衛騎士団に制止されてしまった。
俺たちは騎士たちに見張られながら、安全のために部屋に閉じ込められている。
くっ! もどかしい!
「いえ、我々近衛騎士団の失態です。中の隅々まで確認をするべきでした」
申し訳ございません、とランタナが代表して謝る。
「今は二人を見つけることが先だ」
「はい」
「シラン様。念話は通じませんか?」
ジャスミンとリリアーネも心配そう。顔が青い。
「ダメだ。さっきからやってるけどヒースにもセレンにも繋がらない。意識が完全にないのか、強力な結界を張られているのか……」
多分後者だろう。転移の魔道具を使用するような奴らだ。誘拐した後に結界を張らないわけがない。
念のため施していた術式も全て無効化されている。位置が特定できない。
使い魔たちにも確認してもらったのだが、二人の匂いは女子トイレで途切れているらしい。トイレの中に残っていたのは複数人の香りと強力な睡眠薬の香り。
推測だが、ヒースとセレンも気を失って転移の魔道具でどこかへと連れ去られたのだと思う。
苛立ちが募る。
「くそっ!」
その時、けたたましいサイレンが王都中に鳴り響いた。
『緊急! 緊急! 王都西方向約2キロ地点に《
『王都東方向でも《
『王都北方向でも《
『王都南方向でも《
はっ?
俺たちは全員が絶句した。目が点になる。
《
そんなのあり得るのか、と誰もが一瞬誤報だと思っただろう。しかし、アナウンスには切羽詰まった恐怖の響きがある。
『緊急防衛レベル5を発令します。これは訓練ではありません! 繰り返します―――』
ローザの街で経験した《
今は親龍祭の期間中。国内外から観光客が押し寄せ、各国の要人たちも集まっている。
その状態での四方向からの《
真っ先に我に返ったのは近衛騎士団だった。彼らは即座に動く。
「殿下! 城にお戻りを!」
「ダメだ! ヒースはフェアリア皇国の皇女。俺よりも他国の姫の救出が優先だ!」
「くっ!」
優先順位は俺よりもヒースが上だ。もうなりふり構っていられない。
「俺もヒースとセレンを探しに―――あ、れっ……?」
立ち上がった瞬間、俺の身体から力が抜けた。グラリと揺れる。
俺の身体はどうしたんだろう……?
その場にいた全員がギョッとして駆け寄ってくるのがぼんやりと見える。
「シラン!」
「シラン様!」
「旦那様!」
「シラン殿下!」
女性陣が俺の名前を叫ぶ声を聞きながら、俺の意識は暗闇に呑み込まれた。
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