第287話 嫌な予感

 

「シランよ。怪我を治していただき感謝する。貴殿には借りができた。シランが助けを必要とした時、ワタシ、ブーゲンビリア・ヴァルヴォッセは力になろう。この恩をワタシが返しきったと判断するその時まで―――」


 全裸のビリアが凛々しく帝国式の敬礼をしている。

 正直に言うと、怪我をさせてしまったのは俺だから居心地が悪い。罪悪感が襲ってくる。しかし、そんなことはビリアは知らない……はず。知らないよね?

 休戦中とはいえ帝国の皇女が敵国の王国の王子に恩返し宣言か。政治的には父上が喜びそうなことではあるが……。


「わかった。そして俺、シラン・ドラゴニアは政治的な利用をしないと誓おう。この貸し借りは俺とビリアの個人的なことだ。国は関係ない」

「……良いのか? 戦場で出会った時は効果ないぞ」

「ふっ。戦場で俺を殺せるものなら殺してみろ!」

「ほう?」


 ビリアの紅玉ルビーの瞳が鋭く尖る。挑発と捉えたのだろう。

 だが残念。俺は彼女の突き刺さる視線を受け止め、自慢げに踏ん反り返った。


「だって戦場なんか俺は行かないからな!」


 行かないものは出会えない。出会えないのなら殺せない!

 フハハハハ! 我ながら最低だな。無事に無能王子を演じられているのではないか?

 毒気を抜かれたビリアは目をパチクリ。何度か長い睫毛が生える瞼をパチパチ。そして突如、大声で笑い始めた。身体が震えて爆乳が揺れる。


「くくく……あーっはっはっは!」


 お腹を抱えるほど爆笑。目の端に浮かんだ涙を拭う。


「そうかそうか! 戦場にはいかないか! 自ら戦わないか! ならば、個人的な貸し借りで十分だな!」


 あぁーまた腹が痛い、と彼女は小さな笑いが止まらない。

 強者が偉いという実力主義の国の元帥にこんな発言をするとキレられるかと思ったが、予想が外れてビリアは大爆笑だった。

 獰猛な笑みを見慣れていたが、こうやってビリアも普通に笑えるのか。


「意外そうな顔をしているな?」

「いや、うん。軟弱者とか言われるかと思った」

「他の者なら言うであろうな。だが、ワタシは言わんよ」


 ビリアは微笑む。少し辛く、悲しく、寂しそうに。


「強さにもいろいろある。それだけ言っておく」


 強さにもいろいろある、かぁ……。

 今の辛そうな表情などすぐに吹き飛び、彼女は俺の肩に腕を回す。しっとりと濡れた素肌が触れ合い、爆乳が押し当てられる。

 柔らか~い! なにこの張りと弾力はっ!? って、いかんいかん! 煩悩退散!


「そんなことよりも、早う風呂に入ろうぞ!」

「ちょっ! わかったから離れてくれ!」


 男勝りでサバサバしているというか、豪快というか、無防備というか……少しは警戒心を持って欲しい。

 襲われても撃退できるという強者の余裕の表れなのだろうが。はぁ……でも、恥じらいというものは必要だと思うんですよ、俺は。

 騎士が使用する風呂。使用時間がある。今は使用時間外で大浴場のお湯は抜かれてしまっている。

 ビリアに連れてこられたのは小さな水風呂だった。サウナの後やのぼせた時に浸かる水風呂。


「一人だけだと水が勿体なくてな。ここだけ使うと言っておいたのだ。しばし待て」


 チャプンとビリアは一人で透明な水風呂に入っていく。その後ろ姿は、天女が泉で水浴びをしている姿を連想するほど美しい。

 水の冷たさをものともせず、ゆっくりと肩まで浸かる。その瞬間―――彼女の身体から灼熱の闘気が放たれた。


「ふんっ!」


 すぐに水面から湯気が立ち昇る。自らの熱で水を温めたのだ。

 腕で水をかき混ぜ温度を一定にする。


「こんなもんか。シラン、良いぞ」


 一度立ち上がり、俺に場所を譲るビリア。彼女の太ももの何かに気づいたのはその時のことだった。

 太ももの内側。それも足の付け根の近くに何か刻まれている。


「んっ? どうした?」


 じっと見つめていた俺に気づいたビリアが首をかしげる。

 俺は正直に指さした。


「足の付け根に……」

「どれだ? すまんな、サラシを外すと足元が見えないのだ。まだ血が垂れていたか? それとも、このタトゥーのことか?」


 湯船のふちに片足を上げて、太ももの付け根に刻まれていたタトゥーを見せてくれる。

 よく見せようとムキュッと左太ももの肉を摘まんだビリアさん。

 だから恥じらいを……秘密の花園が全部見えちゃってますから。眼福な光景ですけれども!


「ヴァルヴォッセ帝国に伝わる風習だな。身体のどこかにタトゥーを刻むのだ。ワタシは左太もも内側の付け根だな」


 そうだった。帝国ではそういう風習があるんだった。

 帝国出身のアルスにももちろん刻まれている。彼女の場合は右のお尻。アルスと初めて出会った時に、水浴びをしていた彼女のお尻を見てしまったのだ。


「それって確か、家族や伴侶にしか見せちゃダメなやつだよな?」

「半分正解で半分不正解だ。昔から帝国貴族や皇族のタトゥーは服で隠れる部分に刻まれる。それ故、見ることができるのは家族や伴侶のみ。それが次第に、家族や伴侶だけにしか見せてはダメ、という風習になったらしい」


 な~るほど。納得しました。でも、今ビリアのタトゥーをじっくり見ている俺はセーフなの? アウトなの?

 普通ならアウトなのだろうが、ビリアは全く気にしない。俺が欲望に従って襲い掛かろうものなら即座に撃退されるだろうが。

 彼女的に見るのはオーケー、触るのはアウトってところか。


「いつまでワタシの裸をじっくりと眺めるつもりだ? 身体が冷めるぞ」

「あ、ああ。そうだな」


 促されるままお湯に浸かる。丁度良い湯加減。身体が癒される。温かい。

 ぼけーっとお互いに身体を脱力させてお湯に身を委ねる。

 気持ちいい。対面には裸の美女。実に眼福だ。プカプカと浮かぶ爆乳が何とも……って、煩悩退散! 煩悩退散!

 何か別のことを考えなくては!

 …………胸ってお湯に浮かぶんだな……って、煩悩退散!


「タ、タトゥーのことなんだけど、絵柄は決まっているのか?」


 先ほどじっくりと見せてもらったビリアのタトゥーはグリフォンだった。グリフォンは帝国が崇めている国の獣でもある。皇女だからグリフォンなのかもしれない。

 そして気になるのが、アルスのお尻に刻まれているのも同じグリフォンのタトゥーということだ。アルスとビリアはとても顔がよく似ている。まるで姉妹のように。

 本人に問いかけたら親戚だからと返答されたが、本当のところはどうなのだろう? どれくらいの親戚なんだ? やはり従姉妹か?

 チャプチャプとお湯を肩にかけながら、ご機嫌そうにビリアは言った。


「そうだな、皇族はグリフォンのタトゥーだと決まっている」


 …………ほうほう。なんか俺、嫌な予感がしてきたぞ。

 身体から汗が流れ出す。これはお湯のせいではない。冷や汗だ。

 アルスの家は帝国の高位貴族だと聞いているんだが、まさかな。


「つかぬ事を伺いますが……」

「なんだ、急に改まって?」

「アルストリアという名前の女性をご存知でしょうか?」


 アルスの名前を出した瞬間、ビリアの目がこれでもかと見開かれた。

 あぁ……物凄く嫌な予感がする。胃がキリキリと痛み出す。


「何故アルスの名を知っている? アルスはワタシの愛しい実の妹だ」


 アルスさーん! 俺は貴女が帝国の皇女だなんて聞いてませんよー!














<おまけ>


丁度その時―――


「へっくち!」


抱き枕を抱き、寝る準備を整えていたどこかの紅榴石ガーネットの瞳の女性はくしゃみをした。


「ズピッ! 誰かがあたしの噂をしてるのかなぁ~?」

「アルス様、風邪ですか?」

「お風呂上りに薄着で過ごされていたので身体が冷えたのでしょう。何度も注意しましたよ?」

「ズピッ……あはは、ごめんごめん。謝るからフウロもラティも睨まないで!」



ということがあったという。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る