第282話 闇夜の訓練場

 

 セレンの独奏会は大歓声に包まれて無事に終わった。

 明日は各国に呼ばれて個別に歌を披露するらしい。小さなオリジナルステージ。その分時間は短いが。

 そして、明後日はリハーサル。明々後日は一般市民に向けたステージがあるのだ。

 もちろん、スポンサーはファタール商会。大規模な特設ステージを『働く女性コンテスト』が開催されていた王都の広場に建設中。

 歌姫セレンは休む時間がない。大忙しだ。

 夜くらいはゆっくり休んで欲しい。

 俺は一人、寝静まった王城の中を歩いている。


「……異常なしっと」


 婚約者たちは真剣に歌を聞きすぎたようで、精神的に疲れてあっさりとご就寝。

 会場を去り、城の中を歩いている間は美しい貴族令嬢を演じていたのだが、プライベートな俺の部屋に入った途端、ぐてーっと疲労感を醸し出した。

 あまりの変貌に驚いたものだ。

 ドレスを脱ぎ、お風呂に入って、髪を乾かして化粧水を塗る。

 その間、全員無言。誰一人喋らなかった。お喋りなヒースでさえも。

 そして全員、ベッドに近づくと同時にバタリと倒れ込む。死体のように動かないから確認してみると、全員がスゥースゥーと寝息を立てて寝ていたのだ。

 よほど疲れたのだろう。良い夢を見て欲しい。

 そうして、暇になった俺は暗部の衣装を着て、城の警備に当たっている。

 夜の城は昼間よりも人は少ないが侍女や執事たちが働いている。こういう人が少ない時間に掃除を行うのだ。

 特に、今はお客様が多い。塵一つ残らず綺麗に磨き上げる。


「お疲れ様」


 気配を殺し、侍女たちの間をすり抜けながら呟く。声は彼女たちには届かないが。

 今度母上を通じてハンドクリームとか贈ってもらおうかな。喜ばれるだろう。

 俺は城を出て、敷地内を警戒する。

 時折、警護中の暗部とすれ違う。今は超厳戒態勢。小鳥一匹でもモンスターや敵の使い魔かと疑ってしまう。


「んっ? なんだこの獰猛な気配は?」


 ふと、俺はある場所が気になった。

 午前中に御前試合があった騎士の訓練場だ。そこから苛烈で獰猛な気配を感じる。

 警戒しながらさらに気配を薄くし、訓練場の壁をすり抜ける。

 物質透過。

 分厚い壁をすり抜けること数枚、ようやく巨大な空間に出る。

 暗い観客席の隅っこから訓練場の中央を眺める。


「……あれは」


 自分の身長以上の槍を軽々と振り回す深紅の美女。舞を踊っているかのように美しい。

 銀色の刃が煌めき、空気を切り裂く。深紅の槍が弧を描く。

 薙ぎ払い、突き、袈裟切りに連撃。

 全ての動きが滑らかで隙が無い。そして、敵を殺すことだけに特化した対人戦闘の動きだ。


「ヴァルヴォッセ帝国元帥ブーゲンビリア・ヴァルヴォッセ」


 ブーゲンビリア元帥は目を閉じている。

 彫りの深い美しい顔立ち。美しすぎて逆に怖い。冷酷にも感じる。

 槍を振るって舞い続ける。

 驚くのは、彼女の身体は自然体ということだ。威圧、闘気、殺気、覇気……それが一切感じられない。無。もしくは世界と一体化していると言ってもいい。

 仮想の敵と戦っているのだろう。攻撃することもあれば防御に回ることもある。

 惚れ惚れする程の槍捌きだ。一種の芸術に近い動き。見る者に感動を与える。

 少しずつ、彼女の動きが素早くなる。

 キレが増し、空気を切り裂く音が俺にも届く。

 銀の光が舞い踊り、彼女の身体から飛び散る汗が僅かな光を反射し輝く。

 それでも彼女は息を乱さない。呼吸をしているのか疑うくらい静かに息を吸ったり吐いたりしている。


「技術で言うならタンジア元帥よりも上だな」


 御前試合で見たタンジア元帥の動きよりも彼女のほうが繊細だ。

 両者が本気で戦ったらわからないが、身体捌きや武器の扱いといった技術はブーゲンビリア元帥のほうが上。彼女なら一ミリのずれもなく槍の連撃が可能だろう。

 まあ、それもそのはず。武器が違うから仕方がないことではある。

 タンジア元帥は力を利用した大剣使い。ブーゲンビリア元帥は素早く正確な連撃を利点とする槍。タイプが違う。


「ランタナと良い勝負……いや、ブーゲンビリア元帥のほうが強いか……」


 あの超実力主義の帝国の元帥の地位にいるのだ。帝国のトップスリーには確実に入っているだろう。それほどの猛者だ。

 王国のレペンス騎士団長が勝てるかどうか……。そのくらいのレベル。


「はっ!」


 最後の一突きと同時に気迫のこもった息が吐き出される。

 静かな訓練場に反響し、神速の突きによる暴風が吹き荒れた。

 どうやら脳内の敵には打ち勝ったらしい。槍が人間の心臓のある位置を正確に貫いている。

 ブーゲンビリア元帥は大きく呼吸し、構えを解く。顔を振って汗を飛ばす。

 その仕草はとても美しく、格好いい。様になる。

 長い睫毛に縁取られた目が開かれた。灼熱の美貌。深紅の紅玉ルビーの瞳が美しく輝く。

 槍を振り回し、地面に突き立てる。


「―――見ているだけで良いのか?」


 ブーゲンビリア元帥は唐突に告げた。

 独り言ではない。明らかに第三者に向けられた言葉だ。

 この場にいるのは俺しかいないはず。ということは……


「そこにいるのはわかっているぞ、潜む者よ」


 紅玉ルビーの瞳が正確に俺がいる場所を射抜く。

 あちゃーバレちゃってたか。気配は完全に殺しているつもりなんだけどな。


「そなたのところだけ音の反響が狂っている」


 反響……反響か……。それは考えていなかった。

 なるほど。最後に呼吸と共に声を出したのは俺の場所を探るためだな。やられた。

 仕方がない。姿を現すか。

 隠密状態のまま、今度は音の反響を考えて移動する。

 彼女の前に立ち、若干気配を放出した。

 ふっ、と彼女は微笑んだ。


「貴殿とは二度目だな。一度目はワタシが一方的に見かけただけだったが、是非とも貴殿と一度手合わせをしてみたいと思っていたのだ」


 ブーゲンビリア元帥はニヤリと唇を吊り上げる。


「御前試合から身体の火照りが鎮まらぬ。どうかワタシと一曲試合おどってはくれないだろうか?」


 美しいその表情はあまりに獰猛で、ダンスに誘う女性の表情ではなかったとだけ言っておく。


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