第238話 兄と行動

 

 な、何とか女性陣の尋問から解放された。身の潔白を訴え、誤解を招く発言を行ったソノラにもちゃんと説明してもらい、見事無罪を勝ち取ったのだ!

 あぁ……自由って素晴らしい!


「エルネスト様。そろそろお時間です。次の場所へ移動しましょう」


 エルネスト兄上の秘書官マリア・ゴールドさんが兄上に進言するのが聞こえた。


「そうか。長居してしまったな。すぐ移動しよう」


 おっと。そろそろ俺たちも移動しなければ。あまり長く居続けると、列に並ぶソノラファンに殺されてしまいそうだ。

 女性陣はソノラとお別れをしている。

 俺たちは次はどこに行こうかな? ヒースとエリカに王都の街並みを案内したい。でも、もう少しコンテストを楽しむのもアリだな。これは悩む。


「シラン」

「なんですか、兄上」

「この後もコンテストの店を回るつもりなら一緒に来い。もちろん、お前の婚約者たちもだ」

「えっ? 良いんですか?」

「当たり前だ。というか、普通に平民の列に並ぶな! 身分を考えろ! 逆に周りに迷惑がかかる!」


 そりゃごもっとも。

 ここにいるのは王子に公爵令嬢が二人、他国の姫と大公家の令嬢が一人ずつ。

 ちょっとした出来事で簡単に首が飛ぶ。普通に並んでいただけで処罰されたくはないだろう。

 周りの皆さん、何も考えずにごめんなさい。反省反省。

 皆と話し合った結果、兄上たちについていくことにした。


「じゃあソノラ。頑張って。約束はちゃんと覚えてるから」

「はい殿下。私、頑張ります! 今度はお店のほうに来てくださいね~!」


 ソノラの笑顔で見送られ、出張『こもれびの森』から離れる。

 改めて思うけど、列が長いなぁ。ソノラはとても人気だ。

 その後は、近衛騎士団に護衛されながら、コンテスト出場者のいろいろなお店を回った。飲食店とか、アクセサリーショップとか、魔道具店や武器屋もあった。

 とても楽しいかった。特にヒースが。ヒースは今まで引きこもっていて外に出ていなかったからな。

 何よりも、兄上と一緒に居ると列に並ばなくていい、というのが良かった。貴族特権。審査員特権。時間短縮。ラッキー!

 これでデートの時間が伸びた。もっといろいろな場所に行ける。

 次のお店に向かう途中、俺はスススッと兄上に近づいて、耳元で囁いた。


「兄上兄上! マリアさんとはどうです? 進展しました?」

「……別に何も」


 兄上はチラッと振り返る。その先にいるのは生真面目そうな女性。もちろんマリアさんだ。


「えぇー。何もないんですか? 特に、三日前の夜辺りに」

「やはりお前の仕業か、シラン」


 三日前の夜、すなわち親龍祭の前日の夜、貴族に絡まれたマリアさんを助けた俺は、寝る場所がないという彼女を兄上の寝室に押し込んだのだ。

 その後どうなったのか気になっていたのだが、進展は何もなかったらしい。つまらない。


「部屋に戻ったらマリアが俺のベッドに寝ていて驚いたぞ。リナはサムズアップして母上の部屋に泊まるし、メイドには寝室に閉じ込められるし、大変だった」


 リナというのはリナリア義姉上あねうえのことだ。エルネスト兄上の奥さん。


「兄上はどこで寝たんですか? マリアさんと同じベッド?」

「ソファに決まっているだろう。他にどこに寝る?」


 呆れた。そこまでお膳立てされて何もしないとか、兄上はヘタレなのか? せめて同じベッドに寝ようよ……。

 何故か俺ではなく、兄上がガックリと肩を落とした。


「その日以降、城の侍女の間に俺とマリアの結婚の噂が出回っている。すまんマリア」

「何故謝っているのですか?」

「それはだな……って、マリア!?」

「シラン殿下とのお話に割り込んでしまい申し訳ございません。私の名前が聞こえたものですから……」

「いや、大丈夫だ。話していたのは、その……噂話のことだ」

「あの噂ですか」

「すまない。何もなかったとはいえ一晩一緒に過ごしたら、周りはいろいろと誤解するのだ」

「大丈夫です。私は噂など気にしませんので。それに、エルネスト様とはお仕事で夜を一緒に過ごしたことが何度かありますよ」

「そうだったな」


 兄上~! そうだったな、と納得してないで、マリアさんの様子に気付けよぉ~!

 マリアさんの耳が赤いだろうがぁ~! 照れて目を伏せてるだろうがぁ~! めっちゃ噂を意識して気にしているでしょうがぁ~!

 それに全く気付かない兄上。こりゃダメだ。仲が進展するにはもう少し時間がかかりそう。

 というか、仕事で一緒に夜を過ごしたって、徹夜だろ! 兄上もマリアさんもしっかり休んで!

 ここは弟として一肌脱ごうじゃありませんか。


「もし、その噂でマリアさんが結婚できなくなったら、兄上が責任取らないといけませんよね!」

「「 っ!? 」」


 真っ赤になってチラチラと視線を向け合う二人。初々しいなぁ。

 これで少しはお互いに意識し始めるはずだ。後はゆっくりと眺めていよう。実に楽しみだ。

 二人からそっと離れると、同じく興味津々だった女性陣にジト目で見られた。


「シラン……人の恋路を邪魔していたら『一角獣ユニコーン』に蹴られて死ぬわよ」

「『二角獣バイコーン』じゃないのですか、ジャスミンさん?」

「えっ? 『天馬ペガサス』じゃないの? ねえエリカ」

「ええ、私も『天馬ペガサス』で育ちました」

「私の一族では『八脚軍馬スレイプニル』でしたよ」


 住む国や地方によって慣用句が若干違う……。

 ジャスミンは『一角獣ユニコーン』、リリアーネは『二角獣バイコーン』、ヒースとエリカのフェアリア皇国組は『天馬ペガサス』、テイアさんは『八脚軍馬スレイプニル』。

 いろいろな言い方があって面白いなぁ。


『マスター。蹴ってあげようか?』

『そ、そんなに蹴って欲しいなら蹴ってあげなくもないんだけど!』


 ピュアさん、インピュアさん。遠慮しておきます。蹴られたいわけではありませんので。


『じゃあ、踏む?』

『と、特別に足を舐めさせてあげても良いんだけど!』


 何故そんな変態みたいな提案をする?

 お二人には今夜お話があります。じっくりと話し合いましょう。

 女性陣や使い魔たちと会話をしていると、次のお店に到着した。
























≪本編には関係ないショートストーリー≫



『深紅の女王の微笑み』 その2




 彼女は歩く。真夜中の森の中を。

 静寂。闇。何も聞こえず、何も見えない。風も無い。森の木すら気配を殺していそうだ。

 自分の身体の境界すらわからず、風景に溶け込んでいく錯覚に陥る。

 夜空に浮かんでいるのは赤く大きな満月。しかし、それも鬱蒼と茂る木々の葉が覆い隠して見えない。

 彼女は歩く。目的もなく、ただただ暗い森の中を。

 足音、ドレスの衣擦れ、自分の呼吸。この森の中では異物のように感じられた。少しの音がうるさい。


「ふぅ……」


 彼女は立ち止まり、肺の中の空気を全て吐き出して紅い双眸を静かに閉じる。

 全身に森を感じる。闇を感じる。痛いくらいの静寂が心地良い。

 何も考えなくていい。何も考えず、ただひたすら無心に闇と一体化するこの時間が彼女は好きだった。


 退屈する毎日のことを忘れることが出来るから―――


「すぅー……」


 今度は、大きく息を吸い込む。闇を身体に取り込むように。身体の中から闇と溶け込むように。

 そして、彼女は目を開けた。闇の中で紅い瞳が血のように輝く。


くさい……」


 人間の限界を超えた鋭敏な嗅覚が、闇の中で更に鋭くなり、ほんの僅かな臭いを捉えた。

 火の臭い。焦げる臭い。灰の臭い。何かの食べ物の臭い。鉄の臭い。人間の臭い。そして、その中を流れる血の臭い。

 誰かが、彼女の縄張りの森の中で野営していた。


「命知らずね……ふふっ。退屈しのぎにはなるかしら?」


 冷酷に微笑んだ彼女は、臭いをたどり始める。まるで獲物を狙う狩人のように。

 しばらく森の中を歩くと、暗い闇の中に赤々と燃える薪の光が見えた。闇の中の光はよく目立つ。

 火を突いている男が三人。武器を腰に下げ、喋りながら周りを警戒している。

 でも、彼女には彼らの油断がはっきりと見えた。ここなら襲われることはないと確信している様子。

 彼女は足を止めずに、静かに、優雅に、姿を現す。


「ごきげんよう。良い月夜ね」

「誰だっ!?」


 慌てて立ち上がって武器を構える男たち。スラリと抜いた剣の刃が、薪の光を不気味に反射している。


「月が綺麗だわぁ」


 葉の隙間から月が覗いていた。血のように赤い月だ。

 男たちは警戒を解かない。突然現れた女性から目を離せない。


「誰だ!? 答えろ!」

「誰ねぇ……そんなことどうでもいいじゃない。『手に持った物騒なものは下ろして』」


 三人のうち二人がゆっくりと武器を下ろす。彼らの瞳は焦点が合っていない。口元に浮かぶのはとろんと蕩けた笑み。明らかにおかしい。

 無事だった男は異変を感じ、即座に背後へと飛ぶ。


「ちっ! 『魅了チャーム』か!」

「あらあら。私は魅了した覚えはないわよ。そこの二人が勝手に魅了されただけ。不便な体質ね」

魅了チャーム。金髪に紅い瞳の女。伸びた犬歯。お前がこの森の奥に棲む吸血鬼だな!」

「正解。私を討伐に来たの? 飽きないわねぇ」

「黙れ吸血鬼! 近くの村の女を襲い、攫っていると聞く。だからお前を倒す!」

「襲っても攫ってもいないのだけどねぇ。捨てられていたから拾っただけで……って、言っても信じないわよね」


 うおぉぉ、と雄たけびを上げながら立ち向かってくる男。それを見た彼女に歓喜の笑みが浮かぶ。


「私に刃を向けたこと、後悔しなさい!」


 男は、上から勢いよく剣を振り下ろす。Sランクに到達した冒険者の彼の剣は空気すら斬り裂く。


「なぁっ!?」


 しかし、彼女には届かない。

 あっさりと片手で受け止められ、渾身の一撃は防がれた。彼女の手のひらに傷一つついていない。

 男は驚愕した。

 圧倒的な力の差。たった一撃で理解してしまった。彼女には敵わないと。

 驚愕の先に待ち受けているのは絶望だ。

 絶望した男に気づき、歓喜の笑みから一転、彼女は落胆した。


「つまらない……つまらないつまらないつまらない! 退屈退屈退屈!」


 拳を握る。たったそれだけで、剣が砕け散った。


「くっ! 化け物め!」

「そうよ! 私は化け物よ! 貴方は化け物に喧嘩を売った。死ぬ覚悟はできてる?」


 犬歯を剥き出して獰猛に微笑んだ彼女の身体から猛烈な殺気が迸った。冷たい純粋な殺意。そして、周囲に満ちる濃密な血の臭い。

 男たちはガタガタと震えている。歯がカチカチと鳴って噛み合わない。殺気を当てられたせいで、残り二人の魅了も解けたようだ。

 彼女が一歩前に出ると、彼らは三歩後退る。


「来ないの? なら、こっちから行くわ!」


 深紅の閃光が駆け抜けた。地面を踏みしめ、視認できないほど早く走ったのだ。

 すれ違いざまに一撃。剣を失った男の片腕が消失する。

 傷口から噴き出す真っ赤な鮮血。吸血鬼の本能が刺激され、猛烈に興奮する。


「ぎゃぁあああああああああああ!」

「あぁ……良いわぁ! すごくいい悲鳴だわ! 血が……赤い血が……!」


 赤い雫に魅せられ、うっとりと陶酔した表情でヨロヨロと近づく女。しかし、血の臭いを嗅いで、ハッと夢から醒める。


「……くさい……やっぱりくさい。これだから男の血は……」

「うぐっ……ぎざまぁ……!」

「羽虫がうるさい」


 顔をしかめて不機嫌そうに男を睨む。彼女の腕から鮮血が噴き出し、空中に集まって、深紅の弾丸と化す。


「ぎゃぁっ!?」


 鮮血の銃弾が、片腕の男の身体に何発も撃ち込まれた。

 撃たれるたびに上がる悲鳴が暗い森に木霊して消える。

 男はまだ死んではいない。急所は外れている。だが、瀕死であることは間違いない。


「あはっ! あははははははは! アハハハハハハハハハ! キャハハハハハハ!」


 吸血鬼の本能が、獰猛さや冷酷さが、彼女を哄笑させる。

 彼女は笑い続ける。自分の心が壊れていく、死んでいくのを感じながら。


「《血濡れた弾丸ブラッディ・バレット》」


 周囲の空間を埋め尽くすほど大量の緋色の弾丸が出現した。照準は三人の男。


「―――死になさい」


 静かに、覇気を纏いながら彼女は冷酷に命じた。弾丸が一斉に発射される。


 ドドドドドッ!


 土煙が上がる。悲鳴が上がる。笑い声が上がる。

 全弾が撃ち出され、漂うのは不気味な静寂。

 土煙が晴れると、恐怖で腰を抜かした三人の男たちがいた。彼らの周囲は穴だらけ。股間から流れ出た液体がズボンを濡らす。


「と、まあ、こんな感じで殺すつもりだったんだけど、興が冷めたわ。私の気が変わらないうちに森から出ていきなさい」

「ひぃっ!?」


 情けない声をあげた男たちは、地を這いながら彼女から離れていく。着の身着のまま一刻も早く逃げる。彼女の気が変わらないうちに。

 すぐに、彼らの姿は森の闇の中に飲まれて消えていった。

 この場には、吸血鬼の彼女だけが残される。

 静けさが戻ってきた森。静寂が痛いくらいに包み込む。

 唐突に、彼女は静かに呟いた。


「―――それに子供の前で人を殺すのは寝覚めが悪いわ」


 彼女は、長い金髪を煌めかせながら振り向き、紅い双眸を輝かせて微笑む。


「ごきげんよう、小さな坊や」


 そこには、闇に紛れるように、銀髪のメイドを従えた10歳未満の幼い少年が、人懐っこい笑顔を浮かべて立っていた。



 ――――止まっていた彼女の運命が突然動き出す。


<つづく>



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