第225話 アパート

 

「本当に大丈夫か?」


 俺は隣を歩くソノラに声をかけた。肌が爛れた原因はわかっていない。今朝も再発した。心配だ。今日は大人しくしていたほうがいいと思う。

 ソノラはいつもの元気な笑顔を浮かべた。


「大丈夫です。もしまた再発したら殿下のお屋敷をお邪魔しますから。(むしろの方が良いかも……)」

「最後に何か言ったか?」

「いいえ! 別に何も!」


 何やら呟いた気がしたけど、何でもないならいいか。

 ここは王都の住宅街。アパートが立ち並ぶ一角だ。ソノラが住んでいる地区でもある。

 朝早い時間帯だが、人は多い。親龍祭の期間中だから、人々は朝早くから動き出す。仕事に向かう人。もう祭りに向かう人。ゴミ出しをする人。早く目覚めて遊ぶ子供。

 実に平和な光景だ。

 朝食の美味しそうな香りを嗅いでいると、ソノラが住むアパートが見えてきた。

 孤児院出身のソノラは、働きはじめてから孤児院を出た。今では一人暮らしをしている。ただ、しょっちゅう孤児院に足を運んでは、子供たちと遊び、ご飯を作って、お風呂に入り、一緒に寝ているらしい。


「たっだいまー」


 ガチャリと鍵を外し、ソノラが部屋の奥に入っていく。俺も招き入れられた。

 ソノラの部屋に案内されたのは実は初めてだったりする。

 ワンルームの部屋。狭く感じるが、一人暮らしにはちょうど良い広さだろう。

 小物やお化粧品が乱雑に置かれたテーブル。乱れたベッド。脱ぎ散らかされた衣服や下着がちらほら。

 決して汚くはない。いい感じに乱雑で、でも清潔で、生々しい生活感があふれている。

 ソノラらしい部屋だと思う。いい部屋だ。


「わわっ! 今すぐ片付けるので、あっちを向いててください!」


 部屋から出ろとは言わないのか。素直に背を向け、慌てて片付けるドタバタした音を楽しむ。時々、つまずくような音や、痛い、と叫ぶ声が聞こえ、大丈夫だろうかと心配になった。


「もういいですよ」


 振り向くと、綺麗に片付いていた。ソノラがチラチラと視線を向ける先には押入れがある。きっと詰め込んだのだろう。気づかないふり気付かないふり。


「部屋に男性を上げたのは初めてというか、殿下しか上げるつもりはないのですが、とても緊張しますね。あはは」

「ソノラ」

「は、はい!」


 床に正座したソノラが顔を強張らせながら背筋をピシッと伸ばした。はっきりと感じるほど緊張が漂っている。


「ちょっと詳しく調べさせてくれ」

「ど、どうぞ!」


『ま、まだ朝なのに、私の身体を詳しく調べたいだなんて。頑張れ私! 天井のシミを数えてたら終わるから!』と危ない妄想の世界に旅立っているソノラをスルーして、俺は部屋に魔法の痕跡があるか調べていく。

 ふむふむ。反応は一つもないな。しいて言うなら、お隣の部屋がドタバタとうるさいくらいか。言い争いの声が僅かに聞こえてくる。


「あの~殿下? 何をしているのですか?」

「呪いがかかった物がないか調べてる。安心しろ。今のところ何もないぞ」

「で、ですよねー。そうですよねー。いろんな意味で安心したというか、残念というか……」


 ガックリと肩を落とすソノラ。恨みがましく睨まれる。一体どうしたのだろう?

 部屋を魔法で隈なく調べたが、一切見つけることはできなかった。お隣の部屋に防護結界が施されているのがわかったくらい。『いけません!』と女性の大声と暴れる音が響いてくる。


「隣はうるさくないか? すごく暴れてるぞ」

「こんなにうるさいのは初めてですね。喧嘩ですか?」

「さあ?」

「先日、新しく引っ越して来られたんですよ。綺麗な女性が三名。お隣は私の部屋よりも広いんです。その分家賃は高いですが」

「ふぅ~ん」

「ま、まさか! 殿下が興味をお持ちに!? この後、部屋に押し掛けるつもりじゃ!?」

「俺を何だと思ってるんだ。それにどうでもよさげな『ふぅ~ん』のどこから興味を持ったと判断した?」


 一回、ソノラとお話をしなければならないようだ。ソノラの時間がある時に、じっくり話を聞かせてもらおうじゃないか。


「さてと。調べ終わったし、俺はそろそろ帰るよ」

「……そうですか。ありがとうございました。お茶も出していませんでしたね。ごめんなさい」

「気にしなくていい。ソノラも今日から忙しいだろ?」

「はい。店長さんに謝罪しないといけませんし、今日はコンテスト関係の打ち合わせが」

「明日と明後日が『働く女性コンテスト』か。皆で応援に行くつもりだぞ」

「うげっ。やっぱりそうなりますよね。あぁー胃が痛いです」

「大丈夫。ビュティに化粧水とかもらっただろ? 回復能力もあるから、胃痛も即座に治る!」

「うわー、無駄に高性能な化粧水が嬉しいですよー。あはは」


 全く嬉しそうじゃないソノラ。顔をしかめて胃の辺りを押さえている。

 そんなソノラの頭に手を置いて、ポンポンと優しく叩くように撫でた。


「ほえっ!? で、殿下!?」

「頑張れ。いつも通り笑顔でいればそれだけでいい」

「……はい」


 ソノラは気持ちよさそうに目を細めつつ、太ももを擦り合わせてもじもじしている。下腹部が熱くて違和感があるのだろう。瞳は熱っぽく潤んでいる。

 なんかちょっと色気があってドキッとする。これ以上二人っきりで部屋にいるのは不味い気がする。主に俺の理性的に。


「じゃあ、俺はそろそろ帰るよ。また明日」

「はい。また明日。明日はあんまり見ないでいただけると助かります」

「残念。明日はソノラを見つめ続ける予定だ」


 玄関で頬を赤く染めながらも名残惜しそうに手を振るソノラに手を振り返し、部屋を出た。ドアがバタンと閉まる。

 ソノラの部屋か。また来る機会もあるのかな。

 今日は親龍祭二日目。俺にもこれから予定がある。そろそろ向かないと時間が危なそうだ。

 その時、ソノラの部屋の隣のドアが開いた。大声で言い争い、暴れていた部屋だ。


「じゃあ、あたしはデートをしてくるから、二人はしばらく大人しくしてて! 行ってきまーす」


 美しくオシャレをした三つ編みハーフアップの赤髪の美女が部屋の中に向かって叫び、俺に気づいて一瞬驚いてギョッとする。


「あれっ、シラン? どうしてここに?」


 とても見覚えのある紅榴石ガーネットの瞳がキョトンと瞬いた。








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赤「二日目のデートの相手はあたしでした!」

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