第221話 爛れた少女

 

 隠れ家レストランこもれびの森で休憩した俺たちは、そろそろ家に帰ることにする。

 親龍祭一日目を存分に楽しめた。セレネちゃんははしゃぎ過ぎたようでぐったりと疲れ果てている。

 空はオレンジ色。綺麗な夕暮れだ。

 王都の賑わいは衰えていない。むしろ、これからが大人の時間だ。

 酒場で夜通し酒を飲むのだろう。娼館も賑わうはずだ。

 お願いだから貴族たちは自重して欲しい。これ以上の面倒事は関わりたくない。これが後9日もあるなんて考えたくない。


「今日は楽しかった。ありがとな」

「いえいえ。こちらこそありがとうございました。セレネも楽しんだよね?」

「うみゅ……」


 抱っこされたセレネちゃんの目はほとんど閉じかかって、うつらうつらしている。テイアさんと顔を見合わせて思わず笑ってしまった。早く帰ってベッドに寝かせてあげなきゃ。

 朝よりも距離が近いテイアさんと人混みを掻き分けながら歩く。肩や腕が触れてしまうが、テイアさんは気にしていない様子。

 甘い香りもふんわりと漂ってきて、ちょっとドキッとするのは秘密だ。これが大人の魅力なのだろうか。


「おっと!」


 ぼんやりとしていた。反応が遅れて、前から歩いてきたフードを深くかぶった人と肩がぶつかってしまった。相手は地面に倒れ、持っていた食料品が地面に散らかっている。


「すいません!」

「……いえ、こちらこそごめんなさい」


 慌てて拾い集めるフードの人。拾う手伝いをした俺の手からもひったくるように物を受け取る。

 何かを焦っている様子。まるで人と触れ合うのを恐れているかのよう。

 そして、俺は一つ気になることがあった。

 フードの人物の声。とても聞きなれた女性のものだった。


「……ソノラ?」

「っ!?」


 ビクッと身体を震わせたフードの女性が即座に駆け出して逃げ出そうとした。

 俺は彼女の手袋で覆われた手を掴んで引き留める。


「いやっ! 殿下離して! お願いだから……お願いですから!」

「やっぱりソノラだ。どうしたんだ……って、暴れるな!」

「嫌ぁ~!?」


 暴れて俺の手を振り解こうとするソノラ。周囲の視線が集まるが、気にしてはいられない。

 明らかに何かおかしい。俺を拒絶するソノラは初めてだ。理由があるに違いない。

 すぐにその理由がわかった。

 深く被っていたフードが暴れたことにより、僅かに捲れたのだ。


「ソノラ……その顔は……」

「見ないで……見ないでください! 殿下にだけは……殿下にだけはぁ~!」


 絶望が滲んだ悲鳴を上げたソノラはその場に崩れ落ちた。大きく身体を震わせて泣きはじめる。

 俺はしゃがみ込んでゆっくりとフードに手をかけた。一度弾かれたが、二度目は拒絶をしなかった。諦めたらしい。

 周囲の人は見えないように、俺だけが見えるようにフードをわずかに上げた。

 涙がポロポロと零れ落ちる鳶色の瞳と目が合う。

 ソノラの顔は、本人とわからないくらい赤く、ドロドロと酷い火傷のように爛れていた。



 ▼▼▼



 取り敢えずその場では治癒せず、何とかソノラを屋敷に連れ帰ることが出来た。

 号泣し、絶望感が漂う彼女を支えながら、俺は専門家の部屋へ連れて行く。

 ノックもせずにドアを開けると、もう既に準備を終えていた白衣の少女がいた。ポワポワした不思議ちゃんのオーラを放つビュティだ。眠そうな目は半開き。

 念話で事前に連絡していた。


「……ベッドに寝て」

「ぐすっ……」

「……服を脱ぐ」

「……ふぇっ? でも、殿下が……」

「……問答無用。シランはあっちむいてて」

「きゃっ!?」


 ビュティがソノラの服に手をかけた瞬間、俺はもう背を向けている。

 背後で無駄な抵抗音と衣擦れの音が聞こえてくる。

 投げ捨てられた衣服が目の前に飛んできた。色気も何もないシンプルなグレーの下着。ソノラの下着だ。

 ふむ。これはこれであり。濡れたら……ゲフンゲフン!


「ビュティ、どうだ?」

「……顔だけじゃない。爛れてるのは全身。首、右胸、左肩から腕、手の甲、お腹、右脚。ちょっと横になって……お尻や背中もある」

「火傷じゃないよな?」

「……どうなの?」

「ち、違います! 私には覚えがありません!」


 まあ、熱湯を被ったらそこだけ火傷するか。今のソノラのように場所が点々としているのはおかしい。それにここまで元気ではいられない。


「いつからだ?」

「一昨日です。朝起きたらこうなっていました」

「変わったことは?」

「いいえ、何も」


 ふむ。何か原因があるはずなんだけどな。


「病院には行ったのか?」

「……いいえ、行ってません。殿下と出会うまでパニックになって家に閉じこもってました。思いつきませんでした」


 パニックになるのは仕方がないか。家に閉じこもり、食料が無くなって、何とか買いに出たところで俺と出会ったということか。ウチには専門家がいるから結果的によかったかも。


「……ぺろり」

「ひゃぅっ!? な、舐められましたよ、殿下!?」

「ビュティはそうやって診断するんだ」

「えぇっ!?」


 ソノラは徐々にいつもの元気を取り戻し始めている。治るかもしれないという希望の光が見えるようになったからだろう。

 ビュティが、むむむ、と唸っている。


「毒か?」

「……違う」


 えっ? 違うんだ。毒が一番可能性が高いと思ってたんだけど。


「じゃあ、呪い?」

「ふぇっ!? 私って呪われたんですか!? そんな恨みを買った覚えはありませんよぉ~」

「……呪いでもない」

「ほっ。良かったです」


 いや、安心している場合じゃない。毒でも呪いでもないのなら、何故ソノラの肌は爛れた?

 うんうんと悩んだビュティがソノラに問いかける。


「……ねえ、貴女人間?」

「失敬な! 私は歴とした人間です! 両親は知りませんけど!」

「……なんか変。人間だけどちょっと変」

「それって性格がおかしいってことですかぁ!? 私泣きますよ! さっきまで大号泣してたから今更ですけど!」


 ソノラのテンションがちょっとおかしい。ここ数日寝てないのかもしれない。徹夜明けのテンションだ。


「……シラン、インピュア呼んで」

「わかった。インピュ……」

「なによ!」


 俺が治癒魔法が得意なインピュアを呼び掛けた瞬間、部屋のドアが勢いよくバーンと開かれた。そこに居たのはもちろん黒髪の女性。インピュアだ。

 えぇー。いくら何でも早すぎない? もしかして、ドアの前で待機してた?


「あぁー。インピュア、ソノラに治癒魔法をかけてくれないか?」

「ふん! あんたのお願いだから仕方なく聞いてあげる! 感謝してよね!」


 感じる魔力の波動から、インピュアが使える最上級の治癒魔法をソノラにかけてくれているのがわかる。さっすがツンデレのインピュア。可愛い。


「よしっ! これで治ったわね」

「あ、ありがとうございました。すごい! 本当に治ってる!」

「インピュア、ありがと。ビュティも」

「……んっ!」

「べ、別に感謝されても嬉しくなんかないんだからね! ちゃんと対価を貰うんだから!」


 インピュアは二人きりで可愛がってほしいということか。任せろ!

 俺は背を向けているからわからないが、ソノラはちゃんと治癒したらしい。

 良かった良かった。ただ、原因がわからないからモヤモヤする。


「ソノラ、今日は泊まっていけ。もう日は沈んだし」

「ふぇ、ふぇぇえええええ!? で、殿下のお屋敷にお泊りぃ~!? あの、えーっと、下着が……」

「んっ? 下着ならここに……」

「いや、下着というか着替えが……って、ぎゃー! 私の下着がなんでそこにぃ~!? 何故普通に素手で拾おうとしてるんですかぁ~! 殿下のばかぁ~!」

「ふぎゃっ!?」


 ドタバタと荒い足音が聞こえ、グレーの下着を拾おうと屈んだ俺は、背後から勢いよく突き飛ばされた。

 その後、ちゃんと服を着てプンプン怒った真っ赤な顔のソノラに頭を叩かれた。

 まあ、うん。デリカシーがなかった俺が悪い。ごめんなさい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る