第162話 子守歌

 

 太陽が傾き始めた。孤児院のちびっ子たちやソノラ、セレネちゃんにテイアさんと別れて、俺は家に帰ることにする。

 別れ際、テイアさんは何度も何度もお礼を言っていた。奢ったのは俺が迷惑をかけたからなのに。優しい人だ。

 レナちゃんとセレネちゃんという癒しの天使二人に手を振ってバイバイするのはちょっと辛かったな。

 子供って可愛いよね。ジャスミンにリリアーネにエリカ、使い魔たちとも頑張ろう。こればかりは運に任せるしかないし。

 途中でファナとも別れた。暗部のことがバレるかもしれないから屋敷に近づけないのだ。ファナの立場上、知られるわけにはいかない。表向きは大商会のトップだからな。

 肩に日蝕狼スコルを、頭には月蝕狼ハティを乗せ、屋敷に帰った。

 出迎えてくれた使い魔たちに、ただいま、と挨拶しながら屋敷の奥に行こうとすると、玄関ホールにリリアーネがやってきた。青色のゆったりとした服を身に纏っている。これは確か……キトン?


「シラン様、お帰りなさいませ。ジャスミンさんが怒って…いま…した……よ?」


 何故かリリアーネの言葉が途切れ途切れになり、最後は疑問形になって消えていった。真剣な顔でじーっと見つめられる。見つめられ過ぎてちょっと恥ずかしい。

 やっぱりジャスミンは怒っていたか。昨日の夜、疲れ果てて眠ったのを見届けてから抜け出したからな。朝になっても帰らなかったし。


「ただいま。ごめんな、帰りが遅くなって。ジャスミンはどこだ?」

「……ジャスミンさんなら騎士団の訓練のためにお城に。そろそろお帰りになる頃かと」

「そうか。あとで怒られそうだなぁ……って、リリアーネどうした?」

「じーーーーーーっ!」


 蒼玉サファイアの瞳が瞬きもしないんですけど。


「本当にどうした?」

「じーーーーーーっ。シラン様、ついて来てください!」

「えっ? リリアーネ?」


 ガシッと手を掴まれて、俺はリリアーネに引っ張られる。問答無用で引きずられる。

 連れて行かれた先はリリアーネの部屋だった。

 えっ? もしかしてお説教? リリアーネさんもお怒りで?

 戦々恐々していたが、リリアーネによって俺はベッドの上に誘われた。

 身体が倒され、ベッドの上に横になった。甘い香りのする柔らかな枕が……いや、これは枕ではない! リリアーネの太ももだ!


「シラン様。少しお休みになられてください」

「えっ?」


 美しいリリアーネの声が上から降ってくる。優しく頭を撫でられるのが気持ちいい。


「気づかないと思ったのですか?」

「あっ、いや……」

「寝てください」

「……はい」


 少し威圧感漂うリリアーネの命令に従い、俺は静かに目を閉じる。

 リリアーネの甘い香り。心地良い体温。至福の柔らかさ。優しい手つき。全てが愛おしくて癒される。

 今まで気づかなかった疲れが一気に襲ってくる。

 張りつめていた緊張も消えた。疲れた。心も体も疲れた。


「シラン様は頑張り過ぎです。こういう時は甘えてください」

「……いや、男の自尊心プライドがな」

「そんなちっぽけな自尊心プライドなんか必要ありません」


 ちっぽけ…ちっぽけな自尊心プライド…。そ、そっすか。

 若干心が傷つくが、リリアーネのナデナデによって瞬く間に癒されて修復される。自分で傷つけて自分で癒すとか、リリアーネは恐ろしい子!


「でも、何故膝枕?」

「シラン様がお好きだと聞いたので」

「誰にっ!? 好きだけども!」

「ふふっ。秘密です。ですが、その方曰く、シラン様は『一人で溜め込んで限界まで頑張るお馬鹿』だそうです。その時は、こうやって癒すようにと。子守歌を歌えばすぐに寝るから、と」

「……ディセントラ母上か」


 全く。母上め! 俺の黒歴史も全部暴露していそうだ。

 でも、助かったのは事実である。俺はもう限界だった。


「……リリアーネ。少し寝る」

「はい。子守歌を歌いましょうか?」

「……頼む」

「ふふっ。では。~~~~♪ ~~~~♪」


 初めて聞くリリアーネの子守歌。聞きなれた母上の歌声ではない。でも、美しい歌声は俺の心まで浸透し、癒しと安らぎをもたらす。

 優しい温もりに包まれるような感じがしながら、俺は意識を手放した。



 ▼▼▼



 リリアーネの寝室のドアがノックも無しに勢いよく開いた。


「リリアーネ! シランが帰ってきたって聞いたわよ!」

「ジャスミンさん。シーっです」


 リリアーネが人差し指を口元に当てながら、小さく囁いてジャスミンに注意する。その太ももを枕にして、シランが目を閉じて眠っていた。

 聖母のように慈愛に満ちた表情で、リリアーネはシランの頭を優しく撫でる。


「シラン様はお疲れのようですので」

「んっ? ホントね」


 一瞬にしてシランの様子に気付くジャスミン。静かに気配を殺してベッドに座った。


「泣いてるの?」


 シランの顔にははっきりと涙の跡があった。寝顔はまるで小さな子供。恐怖や苦しみで泣いていた子供が、母親に抱きしめられて疲れ果てて眠ってしまったかのよう。


「私たちに黙って何をしてるんだか」


 優しげな声でジャスミンが呟き、ハンカチでシランの涙を拭い、人差し指で頬をツンツンする。シランはむにゃむにゃと寝返りを打った。


「シランのばか。私たちを頼りなさいよ」

「シラン様は意外とヘタレで甘え下手ですから」

「そうね。その通りね」


 二人は小さな声でクスクスと笑う。


「今日はお説教は止めましょう」

「それがいいと思います」

「コイツが起きたら一緒に抱きしめない? 何も言わず抱きしめ続けるの」

「ふふっ。いいですね。恥ずかしさで真っ赤になるかもしれませんね」


 リリアーネはシランの頭を優しく撫で、ジャスミンはそっと手を繋ぐ。

 少しして、目覚めて気が緩んでいるシランを二人が優しく抱きしめた。訳が分からず動揺し、珍しく顔を真っ赤にして恥ずかしがるシランの姿が見られたという。



 ▼▼▼



「~~~~♪ ~~~~♪」


 ボロボロの超格安アパートに優しい子守歌が響き渡る。母親が娘の頭を優しく撫でる。ちゃんと眠っているのを確認して、テイアは歌うのを止めた。娘のセレネに毛布を被せ直し、額にそっとキスをして、静かにその場から離れた。

 音を立てないように部屋から外に出る。

 少し離れた暗い路地裏。テイアは壁に手をついて膝から崩れ落ちた。


「ゴホッゴホッ!」


 激しく咳き込む。なかなか止まらない。咳に血が混じる。


「これ、使ってくださいよ、奥さん」


 ザザッと土を踏みしめる足音が響いて、テイアにハンカチが差し出された。警戒をしつつもテイアは受け取り、ハンカチで血を拭う。

 テイアの前に現れたのは、スーツのような黒服を着た二人組の男だった。片方は知的な雰囲気で、もう片方はチャラチャラした雰囲気だ。


「何しに……来たんですか?」

「催促ですよ、奥さん。催促しないと借金を返済してくれないでしょ?」

「早く支払うんだじぇ~」


 チャラチャラした男が、テイアの前でしゃがみ込み、ニヤニヤと笑った。首にかけたネックレスがチャラリと音を立てる。


「その呼び方は止めてください…」

「おっと。そうでしたね、テイアさん。それで? 払えそうですか? 何年も待っているんですけどねぇ~」

「待ってるんだじぇ~」

「必ず! 必ず払いますから! あと少しだけ待ってください!」


 テイアはその場で土下座して懇願する。チャラ男が彼女の頭をコンコンと叩いた。


「さっさと払うんだじぇ~」

「止めろ」

「へ~い、兄貴」


 知的な男に注意されて、チャラ男はテイアを叩くのを止めた。


「私たちも貴女に同情しますよ。でも、私たちもこれが仕事なんです。借りたものは返す。これは常識です。例え、貴女の夫が借りたお金だとしてもね」


 ビクッと土下座の姿勢で身体を震わせるが、テイアは何も言わない。


「放浪する獣人の一族出身。この近くに来たときに、貴女の夫は私たちに借金。借金の形として当時妊娠していた貴女を置き去りにして一族は出発。その後、一族は魔物に襲われて全滅。貴女には借金だけが残った」

「………」

「おぉ! 娘さんも残りましたね。可愛らしい娘さんだ。自分の分の食事まで渡すなんて、何という愛情だ。感動ものです」

「泣けるんだじぇ~」

「……娘には手を出さないでください!」

「ええ。出しませんよ。私たちも法律に縛られていますから。連帯保証人の欄に名前を書かなければ、貴女も夫の借金を返済しなくて済んだのに…」

「知らなかったじゃ済まないんだじぇ~」


 頭を下げながら、テイアは、くっと唇を噛む。


「貴女の夫も酷いものだ。力に任せて貴女を襲い、連帯保証人の名前にまでサインさせるとは。掟なら仕方がありませんが」

「古い考え方だじぇ~」


 くっくっく、と男たちは笑う。

 獣人種は基本的に、強い者が偉いという考え方だ。テイアが生まれた一族は、それがとても強かった。強い者が弱い者を従える。そういう古い考え方で、掟にも定められていた。だから、当時弱い立場だったテイアには何も権限がなかった。

 一族の一人の男に見初められ、セレネを妊娠し、借金の連帯保証人になった。テイアは抵抗も何もできなかった。


「貴女の不憫な境遇に同情して、利子率は永年1%としています。私たちも利益はほとんど無視しています。ですが、貸したものを返してもらわないと、大損害なのですよ」

「……わかっています」

「テイアさんが払ったのは過去四年で40万イェン。貴女の夫に貸したのは5000万イェン。利子として1%の50万イェンを追加して、返済額を引いても、残り5010万イェンも残っているのですよ」

「大金だじぇ~」

「年10万イェンづつ返しても、返済が終わるまで500年はかかるのです。どうするおつもりですか?」

「……頑張って返します」


 だが、テイアも限界だ。セレネのために自分の食事の量を減らし、夜遅くまで露店で販売する商品を作る。毎日生活するだけで精一杯だ。彼女の身体はやせ細っていく。


「テイアさんができる行動は四つ。一つ目は、今おっしゃったように頑張って返済する。二つ目は、お金持ちに頼って肩代わりしてもらう。三つ目は、私たちが紹介したお店で働いてもらう。まあ、やることはわかりますよね?」


 テイアさんは僅かに頷いた。男たちが言っているのは、身体で稼げということだ。

 男は最後の一つを提案する。


「四つ目は、私たちの伝手で、肩代わりしてもらう人を探す、ということです。私の伝手は広いですからね。人身売買のギリギリ。グレーゾーンですけど。もしかしたら、奴隷になる可能性もありますね」

「この国では奴隷は禁止されているはずです」

「ええ、この国では。しかし、ヴァルヴォッセ帝国とデザティーヌ公国は禁止されていません。帝国から、猫の獣人を探している人がいるという情報も入っているんですよ」


 ビクッと身体を震わせるテイア。このまま無理やり連れ去られてしまうのではないか、という恐怖が襲ってくるが、男たちは動かない。何かするつもりはないようだ。


「私たちは何も言いません。テイアさんが決めてください」

「金を払えば何も言わないんだぜぇ~」

「よく考えてくださいね。では、そろそろ私たちは帰ります」

「また催促に来るんだじぇ~」


 男たちはテイアに背を向けて歩き出した。

 ふと、知的そうな男が立ち止まった。振り返ることなくテイアに告げる。


「ちゃんと食事したほうがいいですよ。それに、病院にも行った方がいいです。死にますよ」


 そう言い残して、男は歩き去った。

 暗い路地裏に残されたテイアは立ち上がり、土を払う。そして、ヨロヨロと歩いて眠っている娘のもとに戻るのであった。

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