第135話 押しかけ親子
ヒースは一人で塔の上の部屋に引きこもっていた。ここ数日、シランの使い魔のイルによって夢魔の読心の力を封じられて外に出たのはいいが、気疲れしてしまったのだ。
だから、今日は一人でのんびりしている。
専属メイドのエリカもいない。彼女は今、シランのお世話をしている。
食事の際は、エリカが配膳してくれるが、基本的にヒースは身の周りのことは自分一人で出来る。エリカが居なくても不自由はないのだが、やはり、話し相手がいないのは少し寂しい。
はしたないが、自分一人しかいないので、ベッドの上でうつ伏せに寝転び、足をパタパタさせながら本を読む。やはり、静かな時間が落ち着く。
しばらく本を読んでいると、部屋のドアがコンコンッとノックされた。
「はーい! どうぞー」
ゆっくりとドアが開き、一人の侍女が部屋の中に入ってきた。ヒースの近くの部屋で待機しているメイドだ。
「姫様。はしたのうございます」
「はーい」
注意されて、大人しく返事をしたヒースは、服の乱れを整え、ベッドに行儀よく座った。
「それで? どうしたの?」
「エリカ様はいらっしゃいますか?」
「エリカ? 今はシラン様のところだけど」
「やはりそうでしたか…。一応確認にと…」
メイドは部屋の中を確認すると、踵を返して部屋から出て行こうとする。
ヒースは、何故エリカを探しているのかとても気になった。
「どうしてエリカを探しているの? 何かあったの? 私に話して!」
逡巡したメイドは、隠すことでもないとヒースに話し始める。
「下にお客様がいらっしゃったので、エリカ様を探しておりました」
「えっ? なにそれ。それって私のお客様? それともエリカに?」
「えーっと…エリカ様です」
メイドは咄嗟に嘘をついた。本当はヒースのお客だった。しかし、あの男に会わせてはいけないときつく命じられているのだ。メイドが、他の侍女にエリカを呼びに行かせようと思ったその時、背後が何やら騒がしくなった。
「いけません! お下がりください!」
「うるさい! 俺に指図するな!」
「本当にうるさいわねぇ」
「きゃぁっ!」
女性の悲鳴と階段から転げ落ちる音が聞こえたかと思うと、怒鳴っていたであろう男と中年の女が姿を現した。濁った青髪のイケメンの若い男と太って香水臭い厚化粧の女。オダマキ・ウンディーネとその母アザミだ。
ヒースと喋っていたメイドは咄嗟にドアを閉めていた。しかし、それは悪手だった。部屋の内側からなら鍵を閉めることが出来たのだが、外側から閉め、ドアの前に立ち塞がってしまったのだ。
「お通しすることはできません! 公爵閣下と言えど…」
「邪魔だ!」
オダマキは拳で殴りかかり、メイドの女性は吹き飛んで、派手に頭をぶつけて気絶してしまう。ぐったりと動かなくなった。
邪魔者が居なくなり、満足そうに頷いたオダマキは、ドアの前で服を整えると、ノックもせずにドアを開けた。
部屋の中には、
「やあヒース! やっと会えたね。体調はどうだい?」
「えーっと、ウンディーネ公爵ですか? ご機嫌よう。エリカはここにいませんよ」
「エリカ? いやいや! 俺は君に会いに来たんだ。取り敢えず、お茶が飲みたいな」
「そ、そうですね! 申し訳ございません。えーっと…お茶を準備しますので、ソファにお座りください」
ヒースは突然のことに驚き、追い返すという選択肢を思いつかず、素直にお茶を準備し始める。ウンディーネ親子はソファにどっかりと座り、ヒースを眺めたり、部屋の中を見渡す。
「暗い部屋ねぇ。まるで牢獄みたい」
「ヒースはここに閉じ込められているんだろ? 助けてあげよう」
「えっ? 自分の意思でここにいますが…」
戸惑いながらお茶の入ったカップを差し出した。アザミは、
ヒースも対面のソファに座った。自分の淹れたお茶を飲みながら、上出来、と自画自賛しつつ、ヒースは話を切り出した。
「それで、どのようなご用件で?」
「さっきも言った。ヒースに会いに来た。歓談の場を何度も設けたんだが、エリカに追い返されてしまってね。あのパーティの時に約束しただろう?」
「はっ!? そうでした」
ヒースはあのパーティの記憶を思い出した。確かに、目の前のオダマキとそんな約束をした覚えがある。その後のセロシア・ウィスプ大公とエリカのお説教が怖すぎてすっかり忘れていた。
お喋り好きのヒースは、沢山の人とお喋りしたかったし、少しくらい喋るならいいかと思って答えたのだが、セロシアとエリカは大激怒した。トラウマレベルのお説教だった。
ブルッと震えながら彼女はもう一つ思い出す。お説教の時、何度も何度も聞かされた言葉。オダマキ・ウンディーネには絶対に近づくな、という言葉を。
「しょ、少々お待ちください。お色直しをしてまいります」
「どこへ行くんだい?」
立ち上がって退席しようとしたが、オダマキによって腕を掴まれた。ギュッと握られて痛い。
恐怖を感じる。相手が何を考えているのかわからない。心を読めないから、ほぼ初対面の彼らが何をしたいのかわからない。そのことがとても怖い。
「ですから、お色直しに…」
「そのままでも十分可愛いよ。その必要はない」
オダマキに笑顔で言われて、14歳の少女は怯えながらも従ってしまった。座らされて、何故か隣にはオダマキが座る。馴れ馴れしく肩に腕もまわされる。
ゾッとする。鳥肌が立ち、不快感と恐怖が襲ってくる。身体が小刻みに震える。
ヒースは、消え入るように小さく呟いた。
「さ、触らないで…」
「何だって?」
「さ、触らないで…ください…!」
「触らないで? 何を言っているんだい? これから夫婦になるというのに」
「ふ、夫婦?」
一瞬言葉の意味が分からず、震えながら首をかしげたヒース。夫婦という単語を徐々に理解すると、ヒースは顔を真っ青にする。
オダマキとの夫婦生活はエリカから軽く聞いている。とても酷いものだったと。喉を斬られ、目も潰されそうになったと。でも、パーティで出会った時には、オダマキはそういう風には見えなかった。別人のことだと思ってしまった。
ヒースは皇女だ。いずれは政略結婚をしなければならないだろう。それは理解している。夫婦と聞いて思い出すのは、イルに夢で見せられた夫婦の愛の営み。シランたちはとても幸せそうだった。14歳というお年頃のヒースは、その幸せに憧れた。
あれをオダマキとする? ヒースは想像しただけで心の底から拒絶と嫌悪と恐怖を感じた。彼とは絶対に嫌だ。
「………い、いや……嫌ぁ…!」
「嫌ですって? オーディの妻になれるのよ! こんなに名誉なことはないわ!」
「は、離して…」
「オーディが娶ってあげるのよ! 何故拒絶するの!? 皇族は優秀な血を取り込む義務があるわ! だから優秀なオーディちゃんの血を継ぐべきよ! 貴女にオーディちゃんの子供を産ませてあげるのよ! 嬉しいでしょ! 前回のあの女は役立たずだったから!」
アザミがヒステリック気味にキンキンした声で叫ぶ。ヒースは、ウンディーネ親子の言葉が全然理解できない。心の声が聞こえない。これから何をされるのか予想できない。そのことがとても怖い。
「オーディ。さっさと連れ帰りましょう。こんな牢獄みたいな薄暗い場所に居たくないわ。それに、一晩一緒に過ごして既成事実を作れば、皇王陛下も認めざるを得ないでしょ」
「うん、わかったよ、ママ! やっぱりママは頭がいいね!」
「うふふ。私の可愛い可愛いオーディちゃん。嬉しいことを言ってくれるわね」
香水臭いアザミが立ち上がってオダマキの頭を撫でる。
ヒースは震える。心の声が聞こえないのがとても怖い。相手の考えが読めないのが怖い。何もわからない、何も聞こえない。そんな自分以外の人間が怖い。
普通の女の子になる。これはヒースがずっと夢見て憧れてきたことなのに…。
恐怖でガタガタと震えて、何もできない。
少女は願う。誰か助けて、と。
その時、バンッと勢いよくドアが開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます