第124話 水妖精の親子
ピュアとインピュアを迎えに来たのだが、厩舎では何やら揉め事が起きているようだ。苛立って声を荒げる男の声が風に乗って聞こえてくる。
「一体何事だ?」
「ご主人様」
「なんだお前は?」
ハイドが申し訳なさそうに俺に一礼し、ハイドに怒鳴りつけていた男が割り込んだ俺をイライラしながら睨んだ。
濁った青髪の男だ。見た目は二十代前半。女性が黄色い歓声を上げそうなくらい顔立ちは整っている。イケメンだ。
『……この男!』
背後でエリカがギリッと歯を食いしばる音がした。チラッと見ると、メイド服をギュッと握りしめている。
イケメンの男は声を荒げて怒鳴る。
「この俺の会話に割り込むなんて良い度胸じゃないか!」
「ハイド、何が起こっている?」
「無視するな! 無礼者が!」
「この方がご主人様の騎獣を寄越せと」
「だから俺を無視するな!」
俺とハイドが無視すると、男は我儘を言う子供のように地団太を踏んだ。
なんだこの男は。格好悪い。
状況はよくわかった。男がピュアとインピュアを欲しがって、ハイドに詰め寄っていたのか。なるほど。彼女たちは超綺麗だからな。欲しがる者は多いだろう。
ピュアとインピュアは男に角を向け、瞳を怒りで燃やしている。今にも男を塵一つ残らず消し飛ばしそう。少し遅かったら確実にぶっ飛ばしていたはずだ。間に合ってよかった。
男は偉そうに踏ん反り返って、俺に命じる。
「お前がこの馬の持ち主か。俺が気に入った。この俺に相応しい馬だ。俺が貰ってやろう」
「断る」
即座に断ったら、予期せぬ返答でびっくりしたようだ。男は一瞬顔が凍り付き、すぐに怒りで顔が真っ赤になる。
「この俺を誰だと思っている!? オダマキ・ウンディーネだぞ!」
「誰?」
ウンディーネの家名か。一応知ってるけど、男を煽るためにわざととぼけてみた。案の定男は怒り狂い、顔が赤黒くなる。
俺はエリカに念話で確認を取る。
『なあ? ウンディーネって…』
『ええ。そいつはフェアリア皇国の四大公爵の一つ、ウンディーネ家の馬鹿当主です。お見苦しいものをお見せして申し訳ございません』
『これで公爵家の当主かよ…』
『先代はとても素晴らしいお方だったのですが、二年前に亡くなって、そいつが当主に…。実権は先代の妻、この馬鹿の母親が握っております』
『さっきからそいつとか馬鹿言ってるけど、もしかして…』
『はい。私の元夫です』
マジですかぁ。道理でオダマキって言う男を睨んでるわけだ。
エリカを捨てたのも喉を斬りつけたのもこの男か。許せないな。
でも、他国の俺はどうすることもできない。
喚き散らして唾を飛ばす馬鹿は無視して、ピュアとインピュアの顕現を解く。純白の
頭の中で二人の罵詈雑言の嵐が吹き荒れる。とてもお怒りらしい
「なぁっ!? お前! 俺の馬をどこにやった!?」
オダマキが掴みかかってこようとするが、俺の近衛騎士たちが許さない。剣の柄に手をかけて威嚇をする。ランタナが鋭くオダマキ睨んで、冷たい声で警告する。
「それ以上近づいたら、無力化させていただきます」
「この俺に剣を向けるのか!? 俺を誰だと思っている!? 俺は公爵だぞ! 俺の馬を返せ!」
「彼女たちはお前のじゃない。俺の使い魔だ」
「なにっ? 何様だお前は!」
「俺か? 俺はドラゴニア王国第三王子だが?」
滅多に出さない覇気を身に纏う。俺の近衛騎士たちがビクッと身体を震わせ、オダマキは気圧されたように一、二歩後退った。
俺は今、ピュアとインピュアに手を出されそうになって、結構怒っております。俺の大切な使い魔に手を出そうなんて良い度胸じゃないか!
正体をバラしたのに、なおも突っかかってきそうなオダマキを止めたのは、中年女性の声だった。
「落ち着きなさいな、私の可愛い坊や」
「ママ!」
マ、ママ? 一同がドン引きする。
現れたのは、ママという言葉から察するに、オダマキの母親だろう。顔は化粧を塗りたくってけばけばしい。香水の香りが強くて鼻が曲がりそう。ポチャッとした体形にピッタリとした胸元が開いたドレスを纏い、豪華な指輪やネックレスをしている。右手には宝石が散りばめられたブレスレット。
正直言うと、顔を逸らしたい。
「ママ! アイツが俺の馬を盗んだんだ!」
「そうなの、可愛い可愛い私のオーディ。そこのお前、盗んだ馬を返しなさい」
オーディって、オダマキの愛称? まあ、どうでもいいや。
「俺の使い魔だと言っています。他人の使い魔を無理やり奪うことは大罪に当たると先代公爵の奥方ならご存知ですよね?」
昔、他人のテイムされた使い魔を奪うことが横行したらしい。使い魔はほとんどが主に従い大人しい。だから、盗んで殺して売りさばくこともあったと言う。だから、世界各国が他人の使い魔を奪う行為を大罪としたのだ。即死刑もあり得る。
「それに、他国の王子の使い魔を奪う。これがどういうことかわかりますよね?」
公爵であろうと、先代の妻だろうと、逃れられない罪だろう。友好国だからいいものの、敵国ならば戦争が勃発してもおかしくない。
流石に母親のほうはよく理解しているらしい。あっさりと引きさがった。
「坊や。今回は我慢しなさい」
「……ママがそういうなら我慢する」
うわぁ…。周りが本当にドン引きしてる。
母親が実権を握っているというのはそういうことか。コイツは重度のマザコンか!
………最近、母上の膝で寝た気がするけど、俺はマザコンじゃないはず。
オダマキの母親がでっぷりとした身体で頭を下げる。
「シラン・ドラゴニア王子殿下とお見受けします。この度はお騒がせ致しました」
「ふっ。ママの広い心に感謝するがいい!」
息子のオダマキは鼻で笑って踏ん反り返り、見下してくる。コイツは何様だよ。
近衛騎士の皆さん? 斬りかかろうとしないでくださいね? 今僅かに剣を抜いたよね? ランタナも斬りかかりそうだよね? 本当に止めて!
俺がハラハラドキドキしていると、オダマキは俺の背後に視線を向けた。
「んっ? 後ろにいるのはエリカじゃないか!」
「ちっ!」
エリカが小さく舌打ちした音が聞こえた。喋ることはできないけど、舌打ちはできるらしい。そりゃ当然か。
彼女は嫌そうに睨むが、オダマキは全然気づかない。
「やあエリカ! 君がいなかったから妻に会えなかったじゃないか。ちゃんと仕事をしてくれ」
『……汚らわしいクズが姫様を妻なんて呼ぶな!』
「今日は帰るけど、次はヒースに会わせてくれよ!」
『お前なんかが姫様の名を呼ぶなぁぁああああああああああ!』
念話を繋げたままだったので、エリカの怒りの声が響いてくる。メイド服を握り、歯を食いしばって、必死に襲い掛かりたい衝動を抑えている。
ヒース。確か第二皇女の名前だったはずだ。エリカが仕えているのは第二皇女殿下か。
先代公爵の妻が元嫁のエリカを鬱陶しそうに見下す。
「喉を潰したのは正解だったわね。耳障りな甲高い声を聞かなくて済んだわ。でも、その反抗的な赤い目。気持ち悪い。目も潰せばよかったわ」
んっ? 赤い目?
よく見ると、エリカの瞳が綺麗な赤紫色になっていた。美しい瞳だ。でも、エリカの瞳は青緑色だったはずじゃ…。
「ママ! 今すぐ潰そうか?」
「止めなさい、坊や。あの女の目を潰したらオーディの奥さんと会えなくなるわよ」
「それは大変だ。止めるよ、ママ」
『このマザコン、厚化粧ババァ、○○○、×××、※※※、○×△、…』
おぉ…。エリカが心の中で口汚い言葉を次から次へと吐き出している。延々と呟き続けている。聞いている俺の心が折れそうだ。
「オーディ帰りますよ」
「はい、ママ!」
「では、殿下。失礼いたします」
ウンディーネ公爵家の親子は、ゆっくりと歩いて行き、自分の馬車に乗り込むと、すぐに見えなくなった。
エリカはその親子の背中を赤紫色の瞳でずっと睨みつけていた。唇も噛みしめたのだろう。血が流れている。
俺はハンカチを取り出すとエリカに渡す。
「エリカ。これ使え」
『ハンカチ?』
「唇。血が出てるぞ」
全く気付いていなかったのだろう。手で触ってようやく血に気づいた。
『ハンカチなら自分のが』
「いいから使え」
『……ありがとうございます』
心の中ではお礼を言い、無言で一礼すると、ハンカチで口元の血を拭う。こそっと治癒魔法を発動させて、傷を治しておいた。
血を拭いたエリカは、もう一度無言で一礼する。
『ありがとうございました。洗ってお返しします』
顔を上げた時には、エリカの瞳は綺麗な青緑色に戻っていた。さっきの赤紫色の瞳も綺麗だったけど、こっちの色も綺麗だ。
「エリカの瞳って…」
エリカは少し辛そうに顔を伏せた。
『……お見苦しいものをお見せいたしました。生まれつき、瞳の色が変わるのです。日が出ている間は青緑色、夜になると赤紫色に。お昼でも感情が昂ると赤く変化します。あの馬鹿親子と同様に、気持ち悪く思う人は多いのです』
「気持ち悪い? どこが?
『ア、アレキサンドライト?』
エリカは、俺の言葉にキョトンとして、パチパチと目を瞬かせる。
意味が分からない、という顔。少し間抜けだ。でも、すぐにハッと気づいたようだ。
『そういえば、ドラゴニア王国では女性の瞳を宝石に例える風習がありましたね。
一瞬だけ嬉しそうに微笑んだエリカの笑顔は、ハッと見惚れるほど美しかった。
でも、本当に一瞬だけで、すぐにクールビューティな無表情に戻る。
『確か、瞳を宝石に例えるのは、告白に匹敵するとか…。ごめんなさい。無理です。生理的に無理です。ごめんなさい』
ただ褒めたつもりで、告白したつもりはなかったんだけど、本気で謝られるとちょっと傷つく。謝られるたびに、冷たい言葉の槍が俺の心にブスブスと突き刺さる。
「シラン殿下? 先ほどから彼女とお話をしていらっしゃるようですが、もしかして念話ですか?」
「あっ…」
ランタナに指摘されて俺はやっと気づいた。エリカと喋る時に口に出して喋ってた。ヤバい。どうやって誤魔化そう。
呆れ果てたランタナが頭を抱えた。
「殿下は何となく彼女の感情を把握して喋っていらっしゃるのですね? 念話ではなく」
「そ、そう! 全部何となくだ! 決して念話ではない!」
「やはりそうでしたか。失礼いたしました」
ランタナや近衛騎士たちは非常に優秀だ。念話じゃなくて、何となく、ということにしてくれた。本当にありがたい。後で何かプレゼントしよう。決して口止めではないぞ! いつも優秀な仕事っぷりへのお礼なのだ。
俺はゴホンと咳払いする。
「じゃあ、馬を労おうかな」
ピュアとインピュアを迎えに来ただけなのに、いろいろあったな。
気分転換に他の馬を撫でたり、エサをあげたりしようかな。
こうして、俺は近衛騎士団の馬をナデナデし、自分も自分も、と言わんばかりに顕現したピュアとインピュアもナデナデしてあげるのだった。
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