第85話 二人きりの時間

 

 しばらく無言のまま、俺とランタナは温泉で温まる。

 温泉がちょろちょろと流れる音がする。

 時々、ランタナが肩にお湯をかける音が聞こえ、俺はビクリと反応してしまう。

 恥ずかしそうな気配を感じるが、ランタナはお風呂から出ようとしない。


「ランタナはなんで騎士を目指したんだ?」


 沈黙に耐えられなくなった俺は、取り敢えず話をするため質問をしてみた。

 ランタナが身動きをして、チャポンと水が跳ねた音がした。

 緊張して少し上ずった声でランタナが答える。


「小さい頃から聞かされてきたドラゴニア王国の建国の物語に憧れたからです。初代国王陛下と一人の女性騎士が神龍様の助けを得て、戦乱の時代を治めていったという物語に」

「初代国王陛下と初代王妃殿下の物語か」

「はい。最後にお二人が結ばれるのがロマンティックですよね。素敵です」

「ランタナも普通の乙女だな」

「………何かご不満が?」

「いやいや。可愛いなって」

「ひぅっ!」


 ランタナがビクッと身体を小さくする気配を感じた。

 想像したらとても可愛かった。直接見たいけど、僅かに残った俺の紳士の心がダメだと叫んでいる。

 でも、女好きの夜遊び王子として有名だから、見ても大丈夫かなぁ。いやいや! ダメだぞ俺! 我慢するんだ!


「ラ、ランタナは平民出身だっけ?」

「はい。平民ですが、一応祖父母は伯爵家らしいですね。母は伯爵家の四女だったのですが、政略結婚されそうになり、家と縁を切り、父と駆け落ちしたそうです。今は父と二人でのんびり宿屋を営んでいますよ」

「へぇー。伯爵家かぁ。駆け落ちねぇ」

「内緒にしていてくださいね。今、殿下に話したのが初めてなので」


 悪戯っぽいランタナの声。思わず振り向いてしまった。

 露天風呂の透明なお湯に裸で浸かっている美女が俺を見て、肌を火照らせながら人差し指を口元に当てていた。

 あれっ? ランタナさんはずっと裸の俺を見ていた?

 いやいや。今はそんなことを気にする場合じゃない。

 火照った肌を伝う雫。しなやかな身体。予想よりも大きかった胸。熱っぽく潤んだ琥珀アンバーの瞳がパチパチと可愛らしく瞬いている。

 次第に状況を理解したランタナが爆発的に顔を赤らめ、バシャバシャとお湯をかけてくる。


「きゃあっ! あっちを向いてください!」

「す、すまん!」


 俺は顔を背けるだけじゃなく、身体ごと動かしてランタナに背を向ける。

 びしょ濡れになった顔を拭う。

 ランタナの身体は実に綺麗でした。騎士として激しく動くから、必要なところに必要な肉がついている感じ。とてもバランスがいい。触ったら柔らかそうだなぁ。

 スススッと動くお湯の流れを感知して、背中にしっとりと濡れた柔らかくて心地よい感触を感じた。

 一糸まとわぬランタナの背中だ。


「ランタナさん!? それは流石に!」

「黙っててください。こうすれば殿下が振り返ることはないと思います」

「冷静になって! 夜勤明けでおかしくなってるから!」


 徹夜明けのテンションでいろいろとぶっ壊れているらしい。

 普段はしないようなことをランタナがしてくる。

 俺の理性を壊すつもりなのか!? 結構ギリギリだぞ!


「………殿下が逃げ出さないようにくっついているだけです」

「無理があるぞ、その言い訳。俺に襲われたらどうするんだ?」

「殿下でしたら仕方がないかなぁと。襲われる覚悟はしてました」


 襲われる覚悟なんかしないで欲しい。女好きで有名な俺だから仕方がないかもしれないけどさ。身体を大事にしようよ。

 それに俺は無理やりするのは嫌いなの。どんなに興奮しようが、お互いに愛し合っていないとしません。これは俺の中では絶対のルールだ。


「数多の美しい女性と密接な関係を築いていらっしゃる殿下は、私なんかを襲うわけないでしょうが」


 私なんかって……ランタナは十分魅力的な女性だぞ。

 自分を卑下しないでもっと自信を持ってほしい。

 俺ならぜひお付き合いを申し出たいくらいの女性だ。

 ランタナが俺の背中に体重をかけてもたれかかって、コテンと頭まで預けてきた。


「………殿下。人を好きになるってどういうことなのですか?」

「極めて答えづらい質問だな」


 ランタナが明るくなった早朝の空を眺める気配がある。


「私は恋をしたことがありません。今でも兄弟ができるかもと不安になるくらいおしどり夫婦の父と母をずっと見て育ったのですが、恋というのはどんな感情なのかわかりません」

「こればかりは自分が経験しないとわからないだろうな」

「殿下はどうなのですか? 多くの女性がいらっしゃいますが」

「俺か…。ずっと一緒にいたい、一緒にいて楽しい、癒される……月並みな言葉だとこんな感じだが、やっぱり好きとか恋というのは、言葉では言い表せない感情、かな」

「言葉では言い表せない感情…ですか…」


 俺は温泉の温かさを感じながら目を瞑り、愛しい女性たちを思い浮かべる。

 ニッコリと微笑む多くの使い魔たち。そして、婚約者となったジャスミンとリリアーネ。

 皆が俺を愛してくれて、俺も皆を愛してる。好きで好きでたまらない。この感情は言葉では表現できない。


「幸い、俺にはお金も地位もある。子孫を残さないといけない立場でもある。何もできない無能で夜遊び王子だけどさ、こんな俺を選んで愛してくれた女性くらいは幸せにしたいかな」


 だから俺は、暗部としてどんなに血生臭いことでも残虐なことでも冷酷なことでもすることができる。

 国は綺麗事だけではやっていけない。裏事は誰かがしなければならないことだ。

 彼女たちの笑顔のために、俺は頑張り続ける。


「まあ、一度愛したら手放さないくらい嫉妬深いのに次から次へと女性を増やすから、節操なしって皆には呆れられたりお説教されたりしてるんだけどな」

「……最後の最後で台無しにするのを止めてください。殿下を見直した気持ちが吹き飛んでいきました」


 そう言いつつも、ランタナは悪戯っぽい口調だし、俺から離れようとはしない。

 若くして近衛騎士団の部隊長という重要な役職についているんだ。部下たちには弱い心を見せられないだろうし、ストレスや愚痴もたまっているだろう。

 臣下の愚痴を聞くのも相談に乗るのも上に立つ者の役目だ。

 それに、ランタナとのこういうまったりとした時間は新鮮で心地良い。


「私にも好きな人ができるでしょうか?」

「できるだろ、ランタナなら。でも、もし好きな人と巡り合わないで行き遅れになったら、俺がもらってやる」


 明らかに冗談だとわかる口調で揶揄うように言った。

 ランタナにちゃんと冗談が伝わったようだ。軽くクスっと笑い、波紋が揺れる。


「ジャスミン様とリリアーネ様に怒られますよ? ですが、もしもの場合に備えて覚えておきます。あとで忘れたなんて言わせませんからね? 言質取りましたよ」

「安心しろ。俺は記憶力は良い方だ」


 俺とランタナはお互いに体重をかけて背中合わせで支え合う。

 ゆったりとした時間が心地良い。

 俺とランタナの二人きりの時間を、昇ったばかりの朝日がずっと照らしていた。


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