第79話 絡まれる
ローザの街で調査という名目のデートを行っていた俺たちは、リリアーネが興味を持った冒険者ギルドに訪れていた。
ギルドは熱狂的な喧騒に包まれ、何故か王都で受付嬢をしているはずのシャルがいた。人懐っこい笑みを浮かべ、黒い狼の耳がピコピコ動き、尻尾がユラユラと揺れている。
「なんでシャルがここにいるんだ? 勤務先は王都の西門支部だったろ?」
「聞いてくださいよ、殿下! 私の専属パーティの《パンドラ》さんがここに旅行に来るらしいのです! あらかじめ大まかな日程を報告してくれたのはありがたいのですが、ギルドのほうから『専属受付嬢なら万が一の際の対応窓口になれ!』と命令してきたんですぅ。職権乱用ですよ! パワハラですよ! ハゲてしまえ~!」
シャルが頬を膨らませながら、次から次へ愚痴を言い続ける。
なるほどねぇ。上からの命令なら仕方がないよね。
でも、俺は罪悪感を感じてしまう。本当に俺たちのせいでご迷惑をおかけしました。《パンドラ》として今度何かお詫びをしよう。
愚痴をぶちまけて、フーフーと息を荒げたシャルは、言いたいことを言い終えてスッキリしたようだ。一仕事を終えたように額を拭い、耳はピコピコ、尻尾はわっさわっさ揺れている。
「まあ、ギルドも良いお宿を取ってくれましたから、毎日温泉に癒されていますけどね。源泉かけ流しは最高ですぅ!」
「そ、それならよかったな」
「はい! ………あっ! 申し訳ございません。ずっと立ち話でしたね。奥にご案内…」
「おい! そこの女! 早く俺様の手続きをしろ!」
シャルの背後の男の大声が響き渡り、彼女の言葉がかき消された。シャルは、申し訳ございません、と瞳で謝り、渋々振り返った。
男は二メートルを超える長身で、筋肉が盛り上がり、鋼のような肉体だ。筋骨隆々で大柄。周りにはパーティメンバーと思われる仲間はいない。おそらくソロなのだろう。傲慢そうに俺たちを見下している。
シャルは慣れた様子で男の対応を行う。
「受け付けはあちらになっております。並んでお待ちください」
「あ゛ん? 俺様はお前に言ってるんだ」
「申し訳ございません。私は原則的にAランク以上の冒険者や貴族様の対応が業務になっております」
「俺様の言うことが聞けないのか? あ゛ん?」
男がシャルを睨みつけるが、彼女は全然動揺しない。受付嬢は冒険者たちの威圧に慣れることが最初の仕事なのだ。耐えられないなら受付嬢はできない。
それにシャルは、犬・狼系最上位種のフェンリルの獣人で、族長の娘で次期族長だ。こう見えて滅茶苦茶強い。
「貴方はBランクですよね? なら言うことは聞けませんね」
「俺様は《
「でも、Bランクですよね?」
シャルは一切怯むことなく、無表情で淡々と述べる。
いつも元気なシャルが無表情なんて滅多にないぞ。俺様系は嫌いらしい。
「あ゛? ………お前、よく見たらいい女だな。よし! 俺様の女になれ!」
「嫌です! 何故貴方のような性格が悪くて弱っちい人の女にならないといけないんですか! せめて《パンドラ》のリーダーさんくらい優しくて強くないと!」
獣人の女性は基本的に強い人が好みだ。
シャルの好みは《パンドラ》のリーダーなんだね……って俺かよ! これは絶対に言えないな。
男のこめかみに青筋が浮かぶ。拒絶されたことでプライドが傷つけられたようだ。シャルに掴みかかろうとする。
フェンリルの獣人はとても誇り高い。他人に、特に異性に勝手に触られるのは一番嫌がられる。触れていいのは心を許した相手だけ。陵辱されるくらいなら死を選ぶ種族だ。
シャルはスッと避け、鋭い犬歯を剥き出しにし、唸り声を上げる。手が変化し、鋭い爪が伸びている。このままだと男を殺してしまいそうだ。
その前に、俺は二人の間に割り込む。
「で、殿下!? お下がりください!」
「あ゛? なんだ小僧? 邪魔だ! 殺すぞ!」
シャルから悲鳴に似た声が上がり、男は俺を睨みつける。
ジャスミンとリリアーネはいつでも飛び出せるように警戒している。
俺は男を煽って揶揄う。
「ダメだよ、おじさん。そんなんだからモテないんだよ。女性には優しく大切にしないと」
「女なんて欲を満たす道具だろうが! 壊れるほうが悪い! おぉ? 後ろの女二人も良いな」
ジャスミンとリリアーネに厭らしい視線を向ける男。俺の心にドス黒い怒りが湧き上がる。
「あの二人は俺の愛しい人だから」
「あ゛ん? じゃあ、死ね!」
俺の言葉の途中で、男は巨大な拳で俺に殴りかかってくる。頭が弾け飛びそうな威力がありそう。
どこからか息を飲む声や悲鳴が上がる。
俺って、女性を大切にしない奴って大嫌いなんだよね。陵辱とか強姦とか許せないんだ。
男の言動から、おそらく似たようなことやってるよね?
それに、俺の愛しい人たちを傷つけ奪おうとするのはもっと許せないんだ。俺、キレてるよ?
《
迫りくる拳を見据えながら、誰にも認識されない速度で男の口の中へある薬を放り込み、一言小さく呟く。
「《
突然、拳を止めた男が倒れた。そのまま床でバタバタと暴れはじめる。
男も周囲の人も何が起こったのかわからないだろう。
床で暴れる男が憤怒の表情で俺を睨む。
「…オレ…ざまに……なにを…じだ…」
「俺は何もしてないぞ。興奮とか、血が上り過ぎて頭の血管がブチッと切れたんじゃないか? 手足が上手く動かない。滑舌の悪さ。立派な脳梗塞の症状だな。早く処置をしないと後遺症が残るぞ。お大事にな!」
俺はニッコリ笑って男に手を振る。男は顔を青くしながらバタバタと床で暴れ続ける。
ハッと我に返ったシャルが素早く指示を出す。
「今すぐ医者か治癒術師を呼んでください!」
超人気受付嬢の指示により、一糸乱れぬ動きでファンの冒険者たちがゆっくりと動き出す。シャルに迫った男に怒りを抱いているらしい。一つ一つの動作が非常にゆっくりだ。医務室に歩くよりも遅いスピードで運んで行く。
ゆっくり運んでも脳梗塞じゃないんだよなぁ。俺がしたのは男の神経伝達の配線を逆にしただけだ。簡単に言うと、男が前に進もうとすると後ろに下がる。腕を下ろそうとすると上がる。全部逆の動作になるのだ。
そして、俺が飲ませた薬は『インポッシブル』。男性機能を失わせる超危険な薬だ。
俺ならどちらも治せるが、普通の人には治療できないだろう。ざまぁみろ!
男がいなくなって平和になったギルドの中。
俺は一仕事を終えて振り返ると、美しい笑顔の夜叉が二人もいた。無意識に体が動いて正座をしてしまう。
「シラン…私たち、とっても心配したんですけど」
「心臓が止まるかと思いました!」
「えーっと、ご心配をおかけしました。でも、あそこで割り込まないと男が廃るといいますか…」
俺は必死に説明をする。でも、良い言い訳が思いつかない。ただ単に二人の前で血生臭いことを見せたくなかっただけだ。
長いお説教を覚悟していたら、夜叉の二人はあっさりと怒気を霧散させ、仕方がないなぁ、とため息をついた。
「かっこいいと思っちゃったから、あまり強く言えないのよね」
「そういう所はズルいと思います。それに、あの男性が私たちに厭らしい視線を向けた時、怒ってくださいましたよね?」
「ちょっと嬉しかったわ」
な、なんだと!? 全部バレてるだと!? 何故だっ!? 超恥ずかしいじゃん!
婚約者二人は、とやかく言うつもりはないようだ。心配したという気持ちをわかって欲しかったらしい。ご機嫌の二人が差し出した手を握って立ち上がる。
そこに、シャルが頭を勢いよく下げる。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした!」
「シャル、気にするな」
「そうよ。全部シランが勝手に割り込んだんだから」
「何事もなくてよかったです」
「ですが! 何かお礼を!」
う~ん。お礼なんか必要ないんだよなぁ。
でも、シャルはずっと気にするだろうし、何かいい方法は無いかな?
おっ! そうだ! 情報を貰おう。
「じゃあ、情報をくれないか? 魔物の様子とか、隠れ家的お店とか」
「わっかりましたぁー! 周辺の魔物は今はとても大人しいです。というか、ほとんどいません。だから冒険者の皆さんもこうして暇なんです」
なるほど。だから人が多かったのか。
超人気受付嬢のシャルを一目見るために集まった気がしなくもないが。
「あっでも、ゾンビやスケルトンなど
取り敢えず頭に入れておこう。
「街の隠れ家的お店とかデートスポットとかを自分用にまとめた地図が丁度昨日完成したんです! コピーを持ってくるので少しお待ちを!」
シャルが目の前から消え失せる。素早い動きで冒険者の間をすり抜けていく。
コピーがあるならありがたく貰おう。冒険者ギルドの受付嬢は噂に敏感だから期待できるな。シャルはセンスもいいし。
超特急で持ってきた地図をありがたく受け取り、俺たちは冒険者ギルドを離れ、デートの続きを楽しむのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます