第75話 到着

 

 少し予定より遅れたが、俺たちは無事にローザの街にたどり着くことができた。

 所々温泉の湯気が立ち昇る、白と青で統一された美しい街並み。

 街の周囲は平原が広がり、その草原は森や山々に囲まれている。山の中腹には果樹園も見える。

 温泉と果物が有名で、貴族たちの別荘地にもなっている穏やかな場所だ。

 綺麗に整備された石畳を馬車や近衛騎士の隊列が通る。

 窓から軽く覗くと、人々が興味津々で俺たちを眺めていた。

 街の中なのでゆっくりと進み、街の中心部近くにある王家が所有する別荘へと到着した。

 馬車から降りて背伸びをし、澄んだ空気を深く吸い込んで深呼吸する。

 空気が美味しい。


「んぅ~! 素敵な場所ですね!」


 同じく伸びをしたリリアーネが素敵な笑顔を浮かべている。

 ハッと見惚れる程美しく、可憐で優しい微笑みだった。


「リリアーネはローザの街に来たことあるのか?」

「何度かあります。しかし、ほとんどが屋敷の中だったり、馬車の中だったり、出歩いたことはありません」


 なるほど。リリアーネは深窓の令嬢だったからなぁ。

 お父上のストリクト・ヴェリタス公爵がリリアーネを溺愛し、ほとんど公の場に出ることを許さなかったらしい。まあ、それの気持ちはわかるくらいリリアーネは美しくて可愛い。

 少しウキウキしているリリアーネの蒼玉サファイアのような綺麗な瞳に、悪戯っぽい輝きが宿る。


「だから、シラン様? よろしくお願いしますね?」


 チョコンと可愛らしくウィンクしてくる。

 おぉ…。我が婚約者様は街歩きをご所望だ。

 こんなに可愛いお願いをされたら断れないな!

 元々こそっと連れ出してデートする予定だったし!

 俺はニッコリと笑い、リリアーネにサムズアップする。


「任せろ!」

「何が任せろなの!?」

「あいたっ!?」


 背後から聞きなれた声が聞こえ、頭にバコンッと衝撃が走る。背後から叩かれた。


「何するんだよ、ジャスミン!」


 涙目で振り返った先には、紫水晶アメジストのような綺麗な紫色の瞳のジャスミンがいた。顔には呆れの表情が浮かんでいる。


「何って、お仕置き? また抜け出そうと画策してたわね?」

「だって、折角婚約記念旅行に来たからデートしたいだろ?」

「し、したいけど……」


 ジャスミンがデートに心を惹かれている。心が揺れている。

 婚約してから、ジャスミンは少し優しくなった。俺と共によくお忍びデートもしている。

 悩んでいる今、ここで一気に畳みかけよう!


「ジャスミンは、大量の護衛を引き連れてデートしたいか?」

「そ、それは……」

「二人きりでデートしたいだろ?」

「う、うん…」

「となると?」

「………抜け出すしかない」

「その通り!」


 はい、ジャスミンの洗脳……じゃなくて誘導成功!

 ジャスミンが味方になればこっちのものだ。心置きなく抜け出してお忍びデートをすることができる。

 俺がほくそ笑んでいたら背後から生真面目な声がした。


「シラン殿下? 何を考えているんですかっ!?」

「うおっ!? びっくりしたぁ。なんだ、ランタナ?」


 俺の背後に温かな橙色の瞳でジト目をしている近衛騎士団第十部隊部隊長がいた。


「殿下。また抜け出そうとお考えですね?」

「な、何故それを!?」

「全部聞こえていました! 抜け出さなくても一言言っていただけたら、変装して少し離れたところから護衛するなど、配慮致します!」

「い、いやぁ~。独り身が多い近衛騎士たちにイチャイチャを見せつけるのは悪いかなぁ、という俺からの配慮であって…」

「あ゛っ? 何か言いましたか、殿下?」

「何も言っておりません!」


 ランタナのドスの利いた低い声で背筋が寒くなり、思わずランタナに敬礼して答えてしまう。

 こ、怖かったぁ。温かな優しい橙色の瞳が、今の一瞬だけどす黒く淀んで据わり、顔からスゥっと表情が抜け落ちていた。

 地雷を踏み抜いてしまったらしい。

 近衛騎士団は美男美女が多いのに、なんで独り身の人が多いのだろう? ランタナだって美人さんだ。モテると思うんだけど…。

 仕事が忙しいのかな? もしそうだったら、ごめんなさい。

 はぁ、とため息をつく独り身の……おっと! 心を読まれて睨まれてしまった。ため息をついた職務に忠実なランタナ。もう瞳は元の綺麗な橙色に戻っている。

 弟に注意する姉のように叱りつける感じで、片手を腰に当て、指をさしてくる。


「殿下がデートに行かれる際は、必ず我ら近衛騎士団に報告すること。いいですか?」


 指をさすことは失礼だけど、今はそれどころじゃない。

 なにこれ? ギャップ萌え? 普段は生真面目なランタナが、優しく微笑んでいる姿がとても可愛い。

 普段からそうして微笑んでいればいいのに。

 ボーっと固まっている俺を不審そうに見上げる。


「殿下? ちゃんと聞いていましたか?」

「聞いてた聞いてた。デートに行くときは近衛騎士団に報告する。これで合ってるよね、ランタナお姉ちゃん?」

「お、お姉ちゃん…!?」


 おっと! つい口を滑らせてしまったぜ。

 俺の我儘な姉上よりも姉らしい。こんな優しい姉が欲しかった!

 うおっ!? どこからか寒気が…。特に城の方向から……これ以上考えてはいけない。

 ランタナはこのギャップが慕われる理由なんだろうな。とても優しいし。

 顔を真っ赤にして満更でもなさそうなランタナが、真面目な顔を作って、コホンと咳払いをする。


「では殿下。お願い致します」

「はーい」


 ランタナが一礼して、荷物を搬入したりしている近衛騎士団の統率に向かった。耳まで赤くなってるのが丸わかりだ。ちょっと微笑ましい。

 残された俺は、可愛らしい婚約者の二人がジト目をしていることに気づいた。


「ど、どうしたんだ、二人とも?」

「いいえ、別に」

「シラン様だなぁと」

「それってどういう意味!?」

「はいはい。気にしなくていいから、女誑しのシランも手伝ってよね」


 俺の幼馴染であり、婚約者であり、近衛騎士でもあり、公爵令嬢でもあるジャスミンが率先して荷物搬入の手伝いをし始めた。

 こうなったら身分も関係ないな。俺も手伝いまーす!

 早速俺は、近衛騎士の手伝いをするのであった。


 ………………って、ここぞとばかりに俺をこき使わないで! 日頃の恨みを晴らしてやるって感情を感じるんだけど!

 助けてジャスミンさ~ん! リリアーネさ~ん!  ランタナお姉ちゃ~ん!

 俺の叫びは華麗に無視されましたとさ。

 疲れた…。

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