第25話 元婚約者 (改稿済み)

 

 元婚約者であるリデル・フィニウム嬢の前に立つ。

 彼女の周囲は剣を下ろしたままの近衛騎士が取り囲んで睨みを利かせている。

 リデル嬢が少しでも変な動きをすれば、即座に斬り捨てるだろう。

 俺が元婚約者様と楽しいおしゃべりをする前に声を開いたのはリリアーネだった。


「当家に何の御用でしょうか?」

「うっ! 誰よこの女!」


 公爵家の従者たちから殺意が迸る。リリアーネは誰からも愛されているようだ。

 というか、主催者の娘をこの女呼ばわりとは逆に感心してしまう。ここは公爵家だぞ?


「お初にお目にかかります。ヴェリタス公爵家当主ストリクトの娘、リリアーネと申します」


 リリアーネは怒ることもなく美しく微笑んで自己紹介。

 さらにニッコリと微笑んで短く告げる。


「どうかお引き取りを」


 あっ、やっぱり内心では怒っていたみたい。

 リリアーネの美しさに呑まれていたリデル嬢は僅かに後退り、口をつぐむ。

 彼女には敵わないと悟ったのだろう。

 この中で一番下だと思っている相手に感情をぶつける。


「シラン・ドラゴニア! 貴方にお話がありますわ」

「なんですか?」

「わたくしのダンデのことですわ! 追放を取り消しなさい! それと、我が家の賠償金も無しにしなさい!」

「それは無理」


 俺は即答する。だって、国王である父上が決めたことだし。

 追放はダンデサカムの父親のレペンス騎士団長が決めたこと。家庭の問題だ。

 でも、そんなことを理解できないリデル嬢は、ムキ―っと顔を真っ赤にして癇癪を爆発させる。


「貴方がしたことでしょうが! 早く取り消しなさい! 今なら許して差し上げますから!」


 いや、だから俺じゃないってば。

 怒りを通り越して呆れ果てた公爵令嬢の二人が、コソコソと喋りかけてくる。


「ねえシラン? この金髪ドリルは頭大丈夫?」

「彼女は侯爵家のご令嬢でしたよね? 身分を理解していらっしゃらない様子ですが……」

「そう思うよね……。俺も同意する」


 よほど甘やかされて育ったらしい。自分が一番だと思っているようだ。

 さてと、現実をわかっていない小娘に現実を教えてあげましょうか。


「リデル嬢。まず、ダンデサカム殿を追放したのは彼の父、レペンス・ダリア侯爵のお考えです。俺は関係ありません」

「嘘に決まっていますわ!」


 はぁ……今すぐ立ち去りたいなぁ。


「そう言われても、レペンス侯爵は一族郎党処刑してくれ、と嘆願してきました。減刑したのは俺です。ダンデサカム殿が今も生きているのは俺のおかげです」

「な、何を……!?」

「当たり前じゃない」


 初耳だ、という顔で信じていないリデル嬢に、ジャスミンが呆れながら説明する。


「あんた、シランと婚約していたじゃない。なのに、団長の息子のダンデサカムと不義を働いていた。王族の婚約者を寝取った相手は普通処刑よ」

「えっ? 彼女がシラン様の婚約者なのですか? というか、婚約者がいらっしゃったのですか?」


 青い大きな瞳を見開いて驚いたリリアーネ嬢に、紫色の瞳のジャスミンが目を丸くして驚く。


「えっ? リリアーネ嬢は知らなかったの?」

「はい。そういう話は一切聞かされていませんので」

「なるほどね。もう婚約破棄したから元よ、元。元婚約者。でも、大丈夫なの? この先やっていける? 深窓の令嬢として引きこもっていたみたいだけど、社交界はドロドロしてるわ。どうなるかわからないわよ?」

「わ、私、やっていけるでしょうか?」

「はぁ……同じ公爵家の娘としていろいろと教えてあげる」


 呆れた様子のジャスミン。彼女は意外と面倒見がいい。

 リリアーネ嬢は箱入り娘だからなぁ。純真で天然。汚れていない。


「ジャスミン。俺からも頼んだ」

「はいはい。頼まれたわ。対価はシランから貰うから。さあ、行きましょう。リリアーネ嬢、絶対に一人になっちゃダメよ。人と喋るのも原則禁止! 微笑んで黙っていればいいから。じゃないと、いつの間にか知らない誰かと結婚することになるわよ」

「わ、わかりました」


 ちゃっかり俺に対価を要求したジャスミンは、怯えたリリアーネ嬢を連れてどこかへと行こうとする。俺もついて行く。


「………………って、ちょっと待ちなさい!」

「「ちっ!」」


 俺とジャスミンは思わず舌打ちをしてしまう。

 しれっとこの場から立ち去ろうとしたのに、リデル嬢に気づかれてしまった。

 はいはい。一体何の御用ですかね?


「貴方は王子でしょう? 王子の権力を使って何とかしなさい!」

「無理です」


 権力はあるけど、今回は無理!

 全て国王である父上が了承してるから、息子の俺でも撤回は無理です!

 これ以上減刑すると王族の権威が無くなってしまう。

 ただでさえ、王族は優しくて貴族たちから舐められているのに。

 俺に要求を拒否されたリデル嬢は怒りでぶち切れ、嗜虐的に笑う。


「余程、余程痛い目に遭いたいようですわね? 今度ばかりは容赦いたしませんわよ?」


 あっ、ヤバい。爆弾に火が付いた。リデル嬢じゃなくてジャスミンの爆弾に。

 ジャスミンから冷たく静謐な魔力が漂い、紫色の瞳が据わっている。


「……今の話、どういうこと?」


 その様子に気づかないリデル嬢は、ふん、と得意げに鼻を鳴らす。


「身の程を知ってもらうだけですわ! いつものように!」

「……いつも? いつも何をしているの?」


 や、止めてリデル嬢! それ以上言ったら……。


「平民から生まれた穢れた血に相応しいことですわ! オーホッホッホ! わたくしも時々、直々に手を下しますが、あんな無様な姿は笑えますの! 転んで土で汚れた夜遊び王子! 飲み物をかけられた無能王子! この国の恥には当然のことです!」

「……選民思想。なるほど」


 うおっ!? またもう一人膨大な殺気を放つ人物が!?

 リリアーネ嬢の青い瞳が黒くて冷たい光を放っている。

 それに気づかないリデル嬢は高笑いをする。


「オーッホッホッホ! 無様に這いつくばるがいいですわ!」


 突如、突風が巻き起こった。

 誰かが高速で駆け抜け、リデル嬢へと襲い掛かる。

 怒りを我慢できなくなったジャスミンとリリアーネ嬢が動いたのだ。

 ………んっ? リリアーネ嬢も?

 ジャスミンは風を纏った手刀をリデル嬢の心臓へ向け放ち、リリアーネ嬢は隠し持っていた短剣を抜き放ち、リデル嬢の眉間を突き刺そうとしている。

 リリアーネの動きは暗殺術!?

 さすが武闘派の貴族の娘二人。二人の速さにリデル嬢は認識すらできていない。

 腕と短剣が突き刺さる瞬間―――俺は二人の腕を掴んで止めていた。


「は~い! 二人ともストップ!」

「ちっ!」

「くっ!」


 掴んで止めたけど、二人は暴れて目の前のリデル嬢を殺そうとする。

 慌てて二人の身体を抱きしめて拘束する。


「えっ? な、なんですの!? 一体何ですの!?」


 目で追えなかったリデル嬢には瞬間移動に見えただろう。

 美女が怒ると怖い。リデル嬢は恐怖で腰を抜かし、顔は真っ青だ。

 ジャスミンとリリアーネ嬢の本気の殺意の籠った冷たい瞳で睨まれ、リデル嬢の股からチョロチョロと黄色い液体が零れ落ちる。

 漂うアンモニア臭。黄色い染みがドレスや地面に広がっていく。


「……シラン放して。こいつを殺せない」

「……シラン様、すぐに終わりますから」


 あまりの怒りで、ジャスミンとリリアーネ嬢はとても低くて冷たい声だ。


「ダメだ。そう簡単に人を殺すな」


 もう血で手が汚れすぎている俺だからこそ、二人には血で汚れて欲しくないと思う。


「お願いだから止めてくれ」


 俺の悲痛な心の叫びが届いたのか、ハッと我に返って二人は武器を下ろした。


「二人とも、俺のために怒ってくれてありがとう」

「べ、別にシランのためじゃないから!」


 真っ赤な顔をして恥ずかしがるジャスミン。抱きしめられているのに抵抗しない。

 ジャスミンはツンデレだ。


「私は、何故か猛烈に怒りが湧き上がってきて、気づいたら身体が勝手に……。私はどうしたのでしょう?」


 落ち着いたリリアーネ嬢は、自分の感情がよくわからないようでオロオロしている。

 あぁー、うん、これどうしよう? 気づかないふりでいいかなぁ。

 ジャスミンさん? 怒りの対象を俺に切り替えないでくれません? 抓られた脇腹が痛いです。

 はぁ、とジャスミンは大きなため息をつき、腰が抜けたリデル嬢を睨みつけた。


「シランに感謝することね。それと、二度と私たちの目の前に現れないで。次は抑えられるかわからないから」


 ジャスミンの冷たい紫色の瞳で睨まれたリデル嬢は、恐怖で、ひぃっ、と小さく悲鳴を上げ、僅かに頷いた。

 リリアーネはニッコリと微笑み、再度告げた。


「どうかお引き取りを」


 失禁したご令嬢は馬車に従者によって引き上げられ、そのままあっさりと帰って行った。

 俺たちもお茶会会場へと戻る。




 貴族たちの噂は早い。

 その後すぐにリデル嬢は失禁令嬢と呼ばれるようになったらしい。

 この噂をどこかの公爵令嬢の二人に言った時、彼女たちの緩んだ口元に俺は気付くことはできなかった。


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