警察署内での一悶着

「ふざけんじゃねーよ!」

 警察署のロビーでは、尚も五十嵐と受付の警察官との押し問答が続いていた。

 五十嵐の難癖に長時間付き合わされている警察官が、余りにも不憫でならない。

「どうしたんだい、千葉ちゃん。随分と大きな声が外まで響いてきているけど?」

 野浦が僕の肩に手を回したまま、受付の制服姿の警察官に尋ねた。

 千葉と呼ばれたカウンターの制服警官は、野浦の顔を見るなりパァッと表情を明るくした。

「聞いて下さいよ、シゲさん! この人が、近所の騒音問題をどうにかしろってしつこくて……」

「あんだとぉ!? しつこいって、どういうことだコラァ!」

 警官の言い草が癪に障ったようで、五十嵐が語気を強める。

 そんな五十嵐に、自然と一同の視線が集まった。

 中でも五十嵐の顔を見た野浦の眉が一際吊り上がっている。

「あらぁー、五十嵐ちゃんじゃないの。奇遇だねぇー、どったの?」

 野浦は僕の肩から手を外すと、五十嵐に近付いてその背中を力一杯に叩いた。

 五十嵐が食って掛かると思いきや──五十嵐は急に低姿勢になって、ペコペコと頭を下げ始めた。

「いやぁ、野浦さんじゃないっすか。ご無沙汰しております……」

「シゲさんのお知り合いですか?」

 スーツ姿の青年は五十嵐の存在を知らないようだ。

 青年の問いに、野浦は豪快に笑った。

「いやいや、ただ俺が三回程、コイツを引っ張ってやっただけさ」

──引っ張ったとはつまり、五十嵐をこれまで逮捕してきたのがこの野浦なのだろう。

 五十嵐もこの野浦という刑事には頭が上がらないようで、先程までの威勢は何処へやら。物腰が柔らかくなっていた。


「お前、どったの? 次、人様に迷惑掛けたら容赦しないって、俺、言ったと思うけど?」

 野浦はにこやかで口調も柔らかかったが、なんとも言えぬ威圧感があった。

 五十嵐は慌てて首を横に振るう。

「違いますよっ! むしろ、迷惑を被っているのは俺なんすから! ただ、この警察官に親身に話を聞いて貰ってただけですよ。な、なぁ?」

 五十嵐がわけの分からぬ主張を始め、千葉に助けを乞うような眼差しを向けた。

「は、はぁ……」

 千葉の方も困った様になってはいたが、反射的に頷き返している。

「何だって構いやしないさ。迷惑を掛けるような人間はしょっぴく。ただ、それだけのことだよ。俺らからしたらな」

「だ、だから、迷惑はかけてないですって!」

「そうかい。なら、邪魔したね」

 野浦は五十嵐から興味を失ったようだ。

「じゃあ、俺は目先の問題をどうにかしないとな。……なぁ、ヨシノちゃん! 一番取調室は空いているかい!?」

 野浦は奥でデスクワークをしている婦人警官に声を上げた。ヨシノちゃんと呼ばれた婦人警官は両手でキーボードをカチャカチャと操ることに夢中になっているようで、野浦の声には反応しない。

「ちぇっ! これだから、金持ちのお嬢様は!」

 野浦が肩を竦める。

「シゲさん、何かやらかしたんじゃないですか? えらく無視されてますし……」

「知らねぇよ。課長も、最近は事件を回して来ねぇし、自分の足で稼げってのかよ!」

 ウンザリしたように野浦は吐き捨てた。

──野浦がそんな状況に追いやられている理由は、彼が幽霊であるからであろう。

 いくら野浦たちが幽霊になったことに気が付いていなくとも、まともに社会生活を営んでいれば生者との間に不和が生じるものである。

 恐らく、ヨシノちゃんと呼ばれた婦人警官も、別に野浦の言葉を無視しているわけではないのだろう。そもそも、彼の声自体が耳に入っていないのだ。


「あの……」

 いい加減、話を引っ張るのも何なので、僕は口を開いた。

「僕は、此処に自分の体が安置してあると伺ったので、それを取りに来たんです」

「はぁ?」

 一同の視線が、僕へと集まる。

 奇異の目を向けられたが、それが事実なのだから仕方がない。

「随分と面白いことを言うじゃないの、お兄さん」

 野浦は鼻で笑い、カウンターに肘を付いて寄り掛かった。

「体が安置? じゃあ……今、俺たちの目の前に居るアンタは誰なのさ? まさか、幽霊だとでも言うんじゃないだろうね?」

 冗談のつもりで野浦は言ったのだろうが、その通りなので僕は頷いた。

「ええ。僕は既に死んでいます。あなた方の前に居る僕は、幽霊なんです」

「はぁ……分かりましたから。詳しい話は、部屋の方でお聞きしますよ」

 青年は呆れた顔になっていた。精神的にヤバい奴とでも思われたようである。

 逃げ出さないように、青年に腕をガッチリと掴まれてしまった。


──ワジャワジャワジャ。


 ふと、どこからかブツブツと、小さな囁き声が聞こえてきたような気がした。

 スーツ姿の青年や野浦の顔を見るが、どうやら彼らの耳には聞こえていないようだ。

 気のせいだろうか──。


 僕は嘘つき呼ばわりされるのが心外だった。本当のことを打ち明けたのにあんまりだ。

「僕だけじゃありません。僕のことが見えているあなた方も、死した幽霊なのです。これは、冗談じゃありません!」

「フンッ! 馬鹿げた話だぜ」

 横から部外者である五十嵐が、馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「だったら、俺も幽霊だっていうのかよ? あっちもこっちも幽霊って……。んな訳があるかい!」


──ワジャワジャワジャ。


 その間にも、不気味な囁き声は、どこからともなく聞こえてきている。

「……ん? 何だ?」

 どうやら野浦たちの耳にもその声は聞こえたようだ。

 不気味な声の出所が分からず、野浦たちは辺りを見回している。

 僕は外に視線を向けてハッとなった。──日が落ちていた。

 夜となり、死神たちが活動を開始する時間へと突入していた。


──ワジャワジャワジャ。


「死神が、来る……」

 僕は体を強張らせながら、ボソリと呟いた。

「死神? そりゃあ、いったい何の比喩だい?」

 僕の側に居るスーツの青年に、その呟きが聞こえたようである。青年に尋ねられるが、今は悠長に答えている場合でもない。

 僕は叫び声を上げた。

「此処は危険です。早く逃げて下さい!」

 大人たちはも僕の叫びに、キョトンとしている。

 誰もこの場から動こうとはしない。

「ワジャ、ワジャワジャワジャ……」

──そして、とうとう恐れていた事態が起こってしまう。

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