猪突猛進の体当たり

 この長い廊下は何処どこまで続くのだろう。

 一体、この屋敷の中にはどれ程の数の部屋があるというのか。


 僕が思っていた以上に建物は広く、ひかりのところへたどり着くのは困難を極めた。

 流石は十億円かけて造られたという屋敷である。一部屋一部屋中を覗いて探索をしたが、なかなかひかりは見付からない。

「このままではらちが明かないな」

 地道な作業を続けても成果を得られそうにない。──そう思った僕は行き掛けに、横を通ったメイドの体に憑依ひょういをした。

 さらにタイミング良く廊下の先からこちらに向かって別のメイドが歩いてきたので、僕は声を掛けた。

「あの、すみません」

「はい?」

 メイド姿で呼び掛けると、相手のメイドは足を止めてくれた。

書斎しょさいは何処にありますかね?」

 僕の質問に、メイドは困ったように首を傾げる。

「書斎って、どの書斎のことを言っているのかしら? 書斎といっても十部屋はあると思うけれど……」

「十部屋も!?」

 思わず僕は声を上げてしまう。

 軽い気持ちで書斎探しを始めたが、それだけ似たような部屋があるから簡単には見付けられなかった。そうなると、このまま闇雲に探していても手間や労力が掛かるだけである。

 僕は、目の前のメイドから情報を引き出すことに専念することにした。

「その書斎の場所を教えて欲しいんですけど……」

 だが、言葉の途中で声を詰まらせてしまう。

──何故なぜなら視界の先に、異形いぎょうの者の姿をとらえたからである。異形の者──すなわちそれは死神だ。

 唐突とうとつ遭遇そうぐうに、僕は息をんだ。

 いつの間にか日が暮れて夜になっていた。夜は、死神の時間──。死者の魂を狩る魑魅魍魎ちみもうりょうたちが活発に徘徊はいかいを始める時間帯である。

 僕は死神を凝視ぎょうしした。

──いのししのようだ。

 ずんぐりむっくりの胴体で、鼻が上を向いていた。全身が長い体毛に覆われた猪が、廊下の先に立っていた。

 僕は警戒して身構えたが、どこかに油断もあった。

 猪とは距離があり、すぐにはこちらへ近付けないだろう。それに、まだ向こうはこちらに気が付いていないので、今の内に離れてしまえば──などと楽観的な考えを浮かべていた。

 しかし、そう思っていた刹那せつな──。

「ブモォオオオォオオッ!」

 猪の雄叫おたけびが廊下に響いた。──同時に、僕の体は宙を舞った。

 何かが高速で衝突しょうとつしてきて、気が付いた時には空を飛んでいたのだ。

 霊体である僕の体だけが空を飛び、メイドの体はそのまま廊下に残っていた。何かが衝突した拍子に分離させられ、僕の体だけが弾かれたのだろう。

 意識を取り戻したメイドは、キョロキョロと周囲を見回していた。


 猪に何かをされたのは明白であったが、一瞬のことで反応ができなかった。

 次の瞬間には、僕の体は廊下の床に叩き付けられていた。

「ぐへっ!?」

 舌を噛みそうになりながらも、まだ猪への警戒を解いてうかうかなどしていられない。

 僕はすぐに起き上がって先程視界に猪を捉えた方向へと視線を向けた。

──ところが、そこに猪の姿はない。

 敵影が視界からなくなったので不意打ちにも備えたが、猪の気配は完全に消えていた。

 取り敢えずは一安心と、僕は安堵の溜め息を吐く。そして、気持ちを落ち着けて冷静になったところで、あることに気が付いた。

「……ここは何処だ?」

 僕が立っていたのは、先程までとは異なる場所だった。廊下であることには変わりないが、窓の外から見える景色や廊下の壁に飾られている絵画など、景観が違っていた。

 どうやら衝撃によって、僕の体は何処か違う場所へ弾き飛ばされたようだ。

──まぁ、いくら辺りを見回したところで屋敷の間取りも知らないので、現在地を頭の中に思い描くことはできない。

 先程まで居た場所からは、どれくらい離れたのだろうか。また振り出しに戻ったという感覚におちいってしまう。

「ああ、そういえば……」

 ふと、思い返したように自身の全身を見回してみた。体のどこにも変化はない。

 確かに猪型の死神からの突進を、まともに受けたはずである。それなのに、モロに食らった割りに僕はノーダメージであった。

 突進を受けた衝撃や床に打ち付けられたことで全身に痛みを感じることはあったが、外傷はない。無論むろん、幽霊であるから骨を折ったり血が吹き出したりすることはないのだが。

 死神の攻撃を受ければ存在や体の一部分が消滅する印象があっただけに驚いてしまう。

 そもそも、あの猪は何故、僕に攻撃することができたのだろうか。これまでの死神の習性からして、生身の人間に憑依している霊体には手出しができないはずである。

 それなのに、あの猪はメイドに憑依状態の僕に真っ直ぐに突っ込んできた。

──不可解なことだらけで困惑してしまう。


 だが、用心に越したことはない。

 死神からの襲撃を回避する為には、誰かに憑依しておくことが一番だ。廊下を歩いていたメイドを見付けた僕は、その体に憑依した。

──今、すべきことは何か。

 先ずはひかりと合流することが最優先である。

 メイドの体に憑依した僕は猪と鉢合はちあわせないことを祈りつつ、ひかりが待つ書斎を探して廊下の扉を開けた。

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