10.急転
旅立ちの朝も、空はこの上ない快晴だった。
セリアに怒られないように、きちんと早起きした僕は、大きく口を開けて眠っている彼女を優しく起こしてから、洗面所に向かう。歯を磨いている間に、セリアものそのそとベッドから這い出してきた。
「うー、眠い」
「おはよ。相変わらず凄い顔だね」
「女の子のこういうとこは見ちゃだめなのっ」
「ごめんごめん。洗面所、もう空くから」
歯磨きを終え、場所を譲る。セリアは欠伸を噛み殺しながら、身だしなみを整え始めた。時刻はまだ六時半。普段起きる時間よりも幾分早い。
それでも、港の方ではもう、船員たちが行き交っていた。出航へ向けて、食糧や貨物を船内に積み込んでいるのだ。皆、汗をかきながら忙しく動き回っていたけれど、この部屋の窓からでも彼らの表情が晴れやかなのが見て取れた。
海の男は、やはり船に乗ることが喜びなのだろう。
「よーし、おっけい」
「ん、大丈夫そうだね」
セリアは五分ほどで戻ってくる。この世界にどこまでメイクの概念があるのかは分からないが、彼女は殆どすっぴんでこの可愛さなわけだ。そんなことを思いながら彼女の顔を見ていると、何だか照れ臭くなってきた。何を考えているんだか。
出発の準備を済ませてから、僕たちは一度宿酒場の受付に向かう。ここは朝早くから夜遅くまで酒場としても営業しているので、午前七時前という時間でも、朝食をとることができるのだ。
主に船員たちのために作られたものが多く、注文して出てきたのは漁師めしのような料理だった。簡単に言えば海鮮丼とあら汁だ。味は当然ながら絶品で、セリアはこの後の船旅を思うと、もう一泊した方が良かったかも、などと言い出すくらいだった。
こうして宿酒場での最後の食事を美味しく完食し、僕たちはチェックアウトした。宿酒場を出て、港のある西側へ歩いていく。通りには、僕たち以外にも船の再開に安堵し、乗船券を買いに向かう人たちの姿があった。
七時を少し過ぎたあたりで、待ち合わせ場所である港に到着する。船上では船員たちが整備に勤しんでおり、あちらこちらから大きな掛け声が聞こえてきた。
「勇者殿、従士殿!」
掛け声に混じって、僕たちを呼ぶ声が飛んできた。間違いなく、今の声はコテツさんのものだ。
「おはようございます、コテツさん、ヒュウガさん」
「おはようございます。このような時間に集まっていただき、ありがとうございます」
「いえ、僕は問題ないので」
隣でセリアが、私には問題ありだという顔になっていたけれど、それは当然無視する。
「この度は、コンテナを盗んだ犯人を捕らえてくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。中身については、半ば諦めていたのですが」
「ちゃんと全部無事だったんですね?」
「はい、おかげさまで。勇者殿にご依頼して、本当に良かったです」
「あはは……保安部の方も協力してくださったんでね」
照れ隠しにそう付け足すと、コテツさんとヒュウガさんは互いに顔を見合わせた。
「そうだったんですか。まあ、勇者殿はアクアゲートの地理について、詳しくないでしょうしね」
「保安部の方には、事情などは」
珍しく、ヒュウガさんも口を開く。
「船が動かなくて困っているので、調査しようと思ってますとは」
「なるほど。まあ、勇者殿に取引を持ちかけたと言われてしまうと、こちらの評判にも影響があったかもしれないので。外面を気にして申し訳ないですが」
「いやいや、仕事はそういうもんだと思います」
「はは、心底できた人だ」
コテツさんはそう言って笑った。
「……では、早速ですがご案内します。どうぞこちらへ」
僕たちは、歩き出すコテツさんとヒュウガさんの後ろをとことこ付いていった。
港の北側。そこは旅客船ではなく、貨物船が停泊するスペースになっている。こちらも大小様々な船が並んでいるが、やはり頑丈そうな外観をしたものばかりだった。
コテツさんたちの船があったのは、港の中でも最北端に位置するところだった。ここまでくるともう街の建物も薄ぼんやりとした輪郭になり、波打つ音がやけに大きく聞こえてくる。街の中と外との境、と呼んでもいいほどの場所だった。
「遠くて申し訳ない。こちらです」
コテツさんが示す先には、木造の船が泊まっていた。大きさとしては中規模で、二、三十人は乗り込めそうな感じだ。
ここへ来るまでに泊まっていた貨物船は全て鉄船だったので、木造なのは少し気になったが、リューズの船は木造が多いのかもしれない。外観は綺麗でしっかりしているし、まさか沈没するなんてことはないだろう。
「準備は完了してます。乗り込めばすぐに出航できますので」
「了解です」
乗船口は、緩やかなスロープになっていた。扉の部分が倒れるように開き、それがスロープになる構造のようだ。四人全員が乗り込むと、最後にコテツさんがガラガラと歯車を回して扉を閉めた。
「ここが一階で、食堂や部屋があります。下は貨物室ですので、行く必要はないでしょう。上は甲板に繋がっているので、外の空気に当たりたければいつでも。夜はオススメしませんが」
「分かりました。何日かかかるんですよね?」
「そうですね、明後日の昼頃には到着すると思ってもらえれば」
「二日半かー、結構長いなあ」
セリアが溜息を吐く。船の上で丸二日以上過ごすのは、確かに退屈を感じてしまいそうだ。
出航前に、一階の案内だけは一通りしてもらった。やはり貨物船なので、広々とした部屋があるわけではなかったが、不自由なく過ごせるような環境は整っていた。ベッドがちゃんと二つあるのも安心だ。
船酔いが一番不安なところではあるけれど、まあきっと大丈夫だろう。
「では、そろそろ船を出しましょう。甲板からだと、いい眺めですよ」
「あ、じゃあそうしますー。行ってみましょ、トウマ」
「ん、行こうか」
セリアに手を掴まれ、僕は彼女と階段を上がって甲板へ出た。
「わー……本当、いい眺め」
「だね。ここはかなり広いし」
船の前方半分ほどが甲板部分にあたり、床の木板は丁寧にワックスがかけられていて美しく光っている。後ろを振り返れば、真ん中に大きなマストがそびえ、張られた帆の細かいところまでしっかり見えた。
「それじゃあ、出航します」
後部に操舵室があるようで、そちらからコテツさんの声が聞こえてきた。僕たちはお願いしますと返事をして、そのときをワクワクしながら待つ。
そして――錨が上げられ、ゆっくりと船が港から離れていく。
ゆらゆらと波に揺られながら、少しずつ速度を増して海へと進んでいく。
「港が、遠のいていくね」
「ね。……これが船の旅、かあ。思ったより嫌な揺れじゃなくて良かったわ」
「うん。僕も大丈夫そうだ」
どちらかと言えば、馬車に乗って移動するよりも心地よい、ゆったりとした揺れだった。
「……これで本当に、グランウェールともさよならだね」
「そうね。長かったようだけど、実際には結構、足早に過ぎていってるなあ」
中身は濃いものだったが、セリアの言うように滞在期間としては一ヶ月にも満たない。旅はとても順調に進んでいる。少しばかり、名残惜しいくらいに。
大陸が、その姿を小さくしていく。港に泊まった船ももう、ミニチュアのようにしか見えなくなる。
さようなら、グランウェール。これでひとまずの別れだけれど、僕たちはまた必ず、あの地を踏みしめるだろう。そうでなくてはならない。
僕とセリアは、大陸の姿が地平線の向こうへ消えてしまうまでずっと、二人並んで手すりにもたれかかっていたのだった。
*
船の旅は、想像通りやることもなく、すぐに退屈を感じて始めてしまった。何度か甲板に上がり、風を受けながら景色を眺めていたのだが、青い色以外には殆ど何もない。時々水面から大きな魚顔を出す程度の変化しかなかった。
コテツさんとヒュウガさんも、必要以上には接触してこないので、僕とセリアは殆どずっと二人きりでだらだらと時間を潰していた。
「そろそろ晩御飯だし、ちょーっと厨房でも覗いてこようかしら」
「あんまり邪魔はしないようにね」
暇に耐えかねて、セリアはそそくさと部屋から出ていく。僕は、せっかくなので自分がつけている手記の手直しでもしておこうかと、鞄から手記を取り出してパラパラと捲っていった。
読み返すと、多少は惚気を感じてしまうような恥ずかしい文章もあるけれど、それ以外は至ってまともな旅日記になっている。こういう冷静なときに、勢いで書いたところを訂正しておかねば、僕の手記が過去の勇者と同じように書籍化されてしまったとき、赤っ恥をかくことになる。大事な作業だ。
不要な描写を消しゴムで削除し、適当な言葉で埋めておく。そんな作業を続けていると、
「ねえ、トウマっ」
部屋の扉が開かれ、やや押し殺したようなセリアの声が飛んできた。
「……どしたの?」
「今、厨房に行ってみたんだけど……正確には、入ろうとしたんだけど。コテツさんとヒュウガさんの内緒話が聞こえてきて……」
「内緒話?」
どうやらセリアは、それを盗み聞きしてしまったようだが。
「それがね。勇者殿には悪いことをしたって、コテツさんが言ってたのよ」
「悪いことって……何だろ」
「その後ヒュウガさんが、仕方のないことだって続けてたけど」
「コンテナ事件の解決を僕たちに任せたことを申し訳なく思ってるとかじゃないのかな」
「うーん……それであんなに暗いトーンになるかしら」
二人の口ぶりは、かなり沈鬱なものだったらしい。確かに、コンテナ事件が解決したことは迷惑をかけたという一面もあるが、彼らにとっては喜ばしいことでもあったはずだ。暗すぎる、というのであれば違和感はある。
「……聞きに行ってみる?」
「ええ、気になっちゃうし。思い過ごしだったら謝るわ」
「そうであってほしいけども」
セリアの勘は結構当たる。嫌な予感がしたのなら、ハッキリさせておいた方がいいだろう。僕は彼女を連れて、厨房まで向かった。気配があるので、コテツさんとヒュウガさんはまだ中にいるようだ。
僕は軽くノックをしてから声をかける。
「すいません、ちょっといいですか?」
「あ……どうぞ」
コテツさんの声が返ってきたので、僕たちは厨房の中に入った。
夕食の支度はほぼ終わっているようで、フライパンや鍋には完成した料理が入っていて、後はそれを皿に載せるだけというところだった。二人は料理を作りつつ、密談していたらしい。
「すいません、食事を作ってくれている最中に」
「構いませんが、どうかされましたか」
「ええ、さっきもここの廊下を通ったんですけど、ちょっと気になる言葉が耳に入っちゃって……」
そう告げたとき、明らかに二人の様子が変わった。一瞬だが、体がびくりと震え、顔が強張ったのだ。
……セリアの予感はやはり当たっているということか。
「コテツさん、ヒュウガさん。……僕たちに何か、隠していることがあるんですか」
「……」
二人はしばらく黙り込んだままだった。嫌な沈黙が、一分ほども続く。
そして、彼らは互いの顔を見合わせ、やがて決心したようにこちらへ向き直った。
「……いずれにせよ、到着間近になれば分かることではあったんですがね」
「と、言うと」
ふう、と小さな溜め息。その後に、コテツさんは僕たちへ告白した。
僕たちに対して隠し続けていた秘密を、吐露した。
「この船は、ライン帝国へは行きません。船の目的地は――リューズです」
僕とセリアは、その言葉にただただ呆然とするしかなかった。
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