10.誘い
つい先日、僕たちが訪れた小さな鍛冶屋。
そこにあった筈の建物は今、外壁が崩れ、黒く焼けた骨組が露出し、無残な姿を晒していた。
隣接する建物も半焼していたが、やはり火元だった鍛冶屋は殆ど跡形もない状態だ。火の手が上がったのは深夜だというのに、未だに白煙が細く立ち昇っている。チリチリと、何かが燻る音も聞こえてきた。
「……酷い……」
セリアが口元を押さえる。そう、ただただ酷い光景だった。バルカンさんが何十年と鍛冶師としての仕事を行ってきた場所が、こんなにもあっさりと消し去られてしまうだなんて。
「……無くなっちまったんだな……全部」
呆然と、建物の残骸を見つめたままバルカンさんは零す。フラフラと近づいていく内に、瓦礫に躓いてしまいそうになったので、僕とマルクさんで慌ててその体を支えた。
「す、すまねえ……」
「いえ」
そんな風になってしまうのも無理はない。むしろ、張り裂けそうな胸の痛みに耐え、ここまでやって来ただけでも凄いことだと僕は思っていた。
入口があったと思わしき場所から、内部へ入ってみる。商品を陳列していたスペースは、床が木材だったこともあって完全に焼けていた。ただ、奥の作業場は石材のところが多く、辛うじて形を留めている部分もあるようだ。
まだ使えそうなものが、ここに残されているだろうか。
「……うむ。金床は無事だ。これが火事程度で使えなくなるわけはないからな」
「ああ……そうですね」
「良かったー……」
煤ですっかり色が変わってしまっているけれど、金床は綺麗にすればまだ使えるようだ。鍛冶屋にとって最も重要な道具の一つだろうし、それが無事だったのは良かった。
他にも、ハンマーやヤットコ、鉋などの道具が瓦礫の中から見つかった。質が良かったこともあり、それらは多少の汚れこそあったものの、全て無傷に近い状態のようで、バルカンさんは発見した道具を手に取る度、安堵の息を吐いていた。
「……しかし、妙だな」
少しばかり気力を取り戻したバルカンさんは、そんなことを呟いた。何か、引っ掛かることがあるのだろうか。
「道具類が残っているなら、素材や商品、造りかけの部品なんかもあるんじゃないかと思ったんだが」
「……確かに、見当たりませんね」
「木で造られたものはともかく、剣や鎧まで無いのは……」
それだけが焼失した、というのは考えにくい。
とすれば、犯人は放火しただけではなく、ここにあった商品や部品を掻っ攫っていったのだろうか。
火事場泥棒ならぬ、放火泥棒とは……。
「じゃが、どうしてわざわざ儂の店の物を盗んで……」
「高値で売れるからとかじゃないんですか?」
セリアの言葉に、ヘイスティさんは首を振る。
「ザックス商会が今のところ、一番怪しい。しかし、奴らには十分な金がある。放火だけなら土地を奪うための強引な手段と考えられるがな、どうでもよさそうな装備や素材を盗んでいくのは、よく分からん」
「まあ、どうでもいいってことはないと思いますが……」
盗みは余計に思えると、そういうことらしい。僕はザックス商会についてそれほど知っているわけではないが、世界一の商社ならば確かに、小さな鍛冶屋の装備を盗んでいくのは余計、かな。
他に犯人の痕跡がないか確認してみたものの、それは徒労に終わった。最低限の道具が残っていたのは収穫だが、事件については足踏み
状態だ。
「まあ、ローランドさんやナギが、見落とすはずもないですからね」
マルクさんがそう言って苦笑する。メンバー間の信頼はとても厚いようだ。コーストフォードの二人と違い、年齢も性格もバラバラなギルドなのに、上手く噛み合っているよな、と思う。
とりあえず、ギルドに道具を運び込むことにしようか。
そう思ったとき、ふいに建物の入り口前に一人の男が現れた。
「……ここか」
そばにやって来るまで、気配が感じられなかった。どうもただの野次馬というわけではないようだ。男は僕たちに目を向けると、低いながらも凛と通る声で話しかけてきた。
「失礼する。私はシオウ=ミツカネという者。……鍛冶屋バルカンはここだな」
「……そうじゃが、見ての通り燃えちまったよ」
「そのようだ」
シオウと名乗った男はぐるりと周囲を見回しながら言う。……青い長髪に切れ長の目。スーツ姿だが腰には刀を差しており、服装さえ違えばまるで侍だ。名前からして彼もリューズ人だろうし、ナイトというよりは侍という方がやはりしっくりくる。
「よもやこのような時期に火事が起こるとはな……原因は」
「放火です。夜中に、誰かが火を」
「待て、トウマ。……お前さん、どうしてそんなこと聞くんだ」
ヘイスティさんが鋭い眼差しでシオウさんを睨みつける。しかし、彼はすまし顔のままだ。その顔を訝しげに見ていたマルクさんが、彼の正体に思い至ってあっと声を上げた。
「貴方は、もしかして……商会の」
「そうだ。私はザックス商会の副会長を務めている。増築するマーケットの予定地で火事が発生したと聞いて足を運んだ次第だ。……貴方がヘイスティ氏か。心中お察しする」
ザックス商会のご登場か。犯人は現場に戻ってくるという言葉があるが、それは安易な想像過ぎるかな。
「何が心中お察しする、じゃ。涼しい顔をして、裏で何を企んでおるやら。この火事がザックス商会の差し金でないと、証明出来るか?」
「……残念ながら、当方としても寝耳に水の事件だ。すぐに商会が無関係であることを示すことは出来かねる」
目撃者もいない事件だ。犯人が出てこない限りは、無実を証明するなんて誰にとっても困難なことだろう。
犯人を自分の手で見つけるくらいしか、方法はなさそうだ。
「……ところで、そちらは」
シオウさんが僕たちのことを訊ねてきたので、勇者であることはなるべく伏せておこうと、名前だけは名乗っておいた。だが、シオウさんは険しい顔つきでこちらを見つめると、
「……トウマ=アサギと言えば、此度の勇者がそのような名前だったと記憶しているが」
僕の名前が耳に入っていたらしい。関わりたくないという思いとは裏腹に、事態はどんどん僕たちとザックス商会を近づけるように進行していく。
「ふむ……ちょうどいい」
シオウさんは、一人頷いて、それから僕たちに言った。
「全員、今からザックス商会まで来てもらえるだろうか。こちらとしてもこの件を放っておくわけにはいかないのでな」
「ザックス商会に、私たちが?」
「そうだ。一度会長に会っていただきたい。元々今後について、ヘイスティ氏と話し合わなくてはならないと考えていたところだ。勇者殿と、ギルドの……マルク氏は、ヘイスティ殿の知人か?」
「まあ、ここへ来てからですけど。武器を造ってもらうことになっていたので」
「僕も顧客ではありますね」
「なら、是非勇者殿も同席してほしい。この件を解決するため、会長を交えて話がしたいのだ」
ここまでくると、もうどうにでもなれという感じだった。ザックス商会の方からこちらに飛び込んでくるのなら、真正面から対峙してやろうじゃないか。ジェイクさんの忠告は無駄になるけれど、ここで断っても事態は進展しないのだから。
「ふん。是非とも解決していただきたいもんじゃな」
「僕たちもご一緒します」
「え? あ、私も」
セリアは微妙だったが、とりあえず全員が同意したので、シオウさんは自分についてきてほしいと、身を翻して歩き始めた。ヘイスティさんは先に道具を運んでいきたかったようだけれど、今は諦めてついていくのを選んだ。僕たちも後に続く。
歩いたのは、ほんの二、三分だけだった。そう言えば、付近にマーケットがあるからその増築のために、ヘイスティさんの鍛冶屋が奪われそうになっていたんだもんな、と思い出す。
ザックス商会。世界一だと認められている商会の本社は、マーケット部分が大きなコンテナ状になっており、西側に事務所であるビルが建つ連棟になっていた。マーケットの入口はシャッター式のようで、今みたいな開店時は、まるで切り抜かれたように広く口を開けて客を迎え入れ、閉店すれば強固なシャッターで不届き者を寄せ付けない、理に適った造りだった。
この近辺の個人商店に客が少ないのは、このマーケットがある影響なのだろう。正直僕も、この規模のマーケットなら用がなくとも一度入って商品を見て回りたくなってしまった。
「こちらだ」
シオウさんは、本社ビルの方へ僕たちを誘う。こちらも相当金を注ぎ込んだと一目で分かる外観だ。入口はマギアル製の自動ドアだし、何より外壁にガラス素材が多用されていて美麗だった。ファンタジーな世界にも、こういうのがあるのだなと驚かされる。
ビルの中へ入り、廊下を進んだ先にある階段を上がる。一番上は六階で、それまでの各階には経理部や営業部など、様々なセクションが配置されているようだ。
最上階。廊下の向こうには、重厚な扉がある。こういうのもゲームではたまにあるシーンだな、とふいに思った。相手はマフィアだとか、悪い組織と交渉するような流れが多かった記憶があるけれど。
「この奥に、会長がいらっしゃる。粗相のないように」
「何故儂が気にせにゃならん。そちらこそ、おかしなことを言い出すと許さんぞ」
「……誤解は、早く解きたいものだな」
シオウさんは、やれやれと肩をすくめる。ポーカーフェイスな人なので、その言葉が本当かどうかは全く分からない。
扉の前まで歩いていき、シオウさんがコンコンとノックをした。返事はなかったが、失礼しますと声をかけ、彼は扉を静かに開いた。
「待ってたわ、シオウ」
「はい。お待たせしました、会長」
周囲には数多くの調度品が所狭しと置かれ、天井付近には歴代会長の肖像画がずらりと並ぶ、如何にもな雰囲気の部屋。
その奥に座っていた、ザックス商会の会長。
僕はきっと、偉そうに踏ん反り返った小太りの中年男性だろうと決めてかかっていたのだが。
その予想は外れていた。
「初めまして。ザックス商会現会長、メアリ=ザックスよ」
会長は、女性だった。それも、モデルのように美しく、そして理知的な。
背中まで伸びた金髪、赤縁の眼鏡、体のラインを強調するような黒スーツ。目つきは鋭く、見つめられるとドキリとする。女王様、という単語がどうしてか浮かんでしまうような人だった。
会長が女性というのを知らなかったのはどうやら僕だけのようだが、それでもメアリさんの容姿には、他の三人も驚いているようだ。しばらく沈黙が続いてから、思い出したようにヘイスティさんがぼそりと名前を言い、僕たちも同じように名乗った。
「シオウ。後の三人は?」
「ギルドの者と、勇者にその従士です。客としてヘイスティ氏の店に来ていたようで。現場にいたので同行してもらいました」
「なるほどね。勇者様にギルドの方までいるなら、話がスムーズに進められるかもしれないわ」
「ど、どういうことです?」
メアリさんは足を組み替えながら、不敵に笑う。
「ヘイスティさん、貴方のお店には度々私たち商会の使いが来ていたそうね?」
「ああ、そうだ。マーケットの増築に伴って土地を買い取ることになっているとしつこかった。証拠を持ってこいと言うと、いつもトボトボ帰っていったがな」
「それ、私たちも迷惑していたのよ。何せ、まだ契約なんて結んでないのだもの」
「何じゃと?」
「要するに、そちらを訪ねていたのは我々商会の人間ではない」
壁に凭れるように立っていたシオウさんが、そこで口を挟んだ。その一言にヘイスティさんは目を丸くし、
「馬鹿な。責任逃れに嘘をついておるんじゃないだろうな」
「こちらとしても馬鹿な、という話なのよね。増築はするつもりなんだけど、それに乗じて悪さをされちゃ堪らないわ」
「……むむ……」
自分たちも被害者である、と主張するメアリさんに、ヘイスティさんは反論できなかった。嘘だと一蹴して、もしもザックス商会が無実だとしたら苦しい立場に陥ってしまうし、あまり短絡的なことは言えないのだ。
「そこで。ザックス商会としてはこの件の無実を証明し、今後の計画を円滑に進めるためにも、犯人を捕まえなくてはと考えたわけ」
「……つまり、メアリさんが仰りたいのは」
マルクさんがおずおずと訊ねる。メアリさんはそれを待っていたかのように、
「ずばり、取引しましょう。ギルド風に言えば依頼と言ってもいいかしら。犯人を捕まえてくれれば、相応の対価を支払うわ」
「取引じゃと……?」
「勿論、ずっとあの場所で商売させろというのは流石に確約できないけれど。それ以外なら、大抵のことは約束出来るわ」
ザックス商会の組織力、財力を持ってすれば、確かに出来ないことは殆どなさそうだ。取引内容としては悪くない。しかし、ヘイスティさんはどう思うだろう。
「……儂は、あの装備を造るのが最後の仕事じゃと思っとった。あれを完成させねば、死んでも死にきれんと。……今、勇者のために造っている装備の完成まで、商会が全面協力する。そういう約束でなら……取引しても構わん」
……最後の仕事、か。ヘイスティさんはもう高齢だ。これ以上鍛冶屋として活動することに、限界を感じていたのだろう。プライドもあるのかもしれない。質が落ちてしまわない内に、一線を退きたいのだ、きっと。
だから、望みは最後の作品を造り、勇者へ恩を返すこと、ただそれだけ。
「お安い御用よ。それなら取引成立ね。私たちは犯人を捕まえたい、貴方達は装備を完成させたい。良い協力関係が結べてホッとしているわ」
「じゃが、犯人がザックス商会でないと認めたわけではない。これが芝居だったならば許さんぞ」
「ええ。私たちも勝算がなければこんなことはしません。犯人の手掛かりがあるの」
「え、本当ですか?」
僕の問いに、一応だけど、と前置きした上で、
「ハンバー湖。……そこに最近、商人や冒険者とは思えない、怪しい人物が出入りしているという情報があるの。それが本当に不審者なのかはハッキリしてないとしても、時期的に符合する部分はある」
「なので、ザックス商会としては近く、そこに傭兵を派遣し調査しようと考えていた」
メアリさんの言葉に、シオウさんが繋げるようにして言う。放火事件が起きなかったとしても、調べるつもりではあったようだ。
……ハンバー湖、か。僕たちが魔物退治に訪れた際、あそこには人が立ち入った形跡があった。二人が話す情報を補強する材料ではある。
「じゃあ、僕たちはそこへ向かって、不審人物がいないか調査してくればいいですね」
「そして犯人っぽかったら、捕まえると」
「ええ、身柄はウチに引き渡してほしいけれど、問題ない?」
「グランウェール軍には?」
「ウチの名を騙っていたという自白を引き出せたら、軍に連れて行くわ。罪を裁く権利なんて持ってないもの」
「分かりました。捕まえることが出来たら、そちらに引き渡します」
「お願いね」
ザックス商会は、仕事の依頼にあたっては契約書を締結しているとのことで、ヘイスティさんが契約書にサインをすることになった。敵視する相手が出してきた書類だったので、ヘイスティさんは一字一句怪しい文言がないか確認していたが、不利になりそうなところはなかったようで、渋い顔でサインし、拇印を押した。
「期待してるわ、勇者さん」
契約書を丸めながら、メアリさんは自身に満ち溢れた笑顔を浮かべる。それは、巨大企業を統べる会長らしい、風格のある笑顔だった。
ザックス商会の思い通りに事が運んでいる気がするけれど、僕たちにとってもこの契約は悪くないはずだ。他に良い選択肢がない以上、今は彼らに協力しておくことにしよう。
それで全てが丸く収まるのならいい。ヘイスティさんの念願が、それで果たせるというのならば。
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