3.魔法を科学する
翌朝になり、僕たちはホテルで質素な朝食を済ませると、早速マドック研究所を訪ねてみることにした。事前にホテルの従業員さんに研究所の情報を聞いてみたのだが、魔法について科学的に研究していること、街の発展にも寄与してくれていること、その二点以外は良く知らないようだった。如何に研究都市とは言っても、一般市民には、各研究所の詳しい研究内容までは分からないのだろう。
外へ出て、昨日見た案内板の配置を思い出しながら、大通りを歩いていく。ある程度進んだところで、マドック研究所まであと何メートルかを示す看板も立っていたので、迷う心配は全くなかった。
学術エリアの東側に、マドック研究所はあった。その規模は中々に大きく、エリア全体の十分の一くらいが敷地になっていた。本館と別館があって、それぞれ違う研究や実験がなされているようだ。僕たちはとりあえず、メインである本館の方へ行くことにした。
「はあー、この中で大勢の人が研究に明け暮れてるのね」
「ノナークでも研究所には入ったけれど、それとは別次元の大きさだよね」
「うんうん。あっちは考古学だったし、また別物だわ」
あの研究所で会った人のような、気さくな性格の研究員さんばかりならいいけれど、どうだろう。門前払いになるのだけは避けたい。一抹の不安を感じながらも、僕は玄関前のインターホンを鳴らした。
「いらっしゃいませ。こちらノナーク研究所です。どのようなご用件でしょう」
数秒ほどで、受付らしき若い女性の声が返ってくる。僕は自分たちの身分と、研究所に立ち寄った理由を簡単に説明した。すると、判断に困ったのか受付の女性は少々お待ちください、と言い残して離れていき、しばらくしてから別の女性の声が聞こえてきた。
「失礼しました。どうぞお入りください」
ロックが解除される音がして、左右の扉は自動でスライドして開いた。その技術に、セリアはびっくりして半歩退いている。そんな彼女の姿が面白くて笑ってしまうと、頭に平手が飛んできた。痛い。
気を取り直して、施設の中へ入る。自動ドアの先には、この施設の研究対象などが記載されたパンフレットや、研究成果に対して与えられた記念盾などが置かれた小さなスペースがあり、奥にあるもう一つの自動ドアを抜けると、そこが受付になっていた。
オフィスによくありそうなグレーのカーペットが敷かれた受付ホール。カウンターの向こうには若い女性が座っていて、内線電話やイミテーションが挿さった花瓶などが傍に置かれている。そして、カウンターの手前側には縁なしの眼鏡を掛けたインテリチックな雰囲気が漂う、三十代くらいの白衣姿の女性が、両手を体の前で組み、真っ直ぐな姿勢で立っていた。
「マドック研究所へようこそ、勇者様、従士様」
僕たちの姿を認めると、彼女は腰だけを曲げ、綺麗なお辞儀をしてくれる。サラサラとブラウンの髪が肩から流れる。僕たちも慌てて頭を下げたが、彼女に比べるとかなりぎこちないものになった。
「私はこの施設の研究主任を任されている、エリス=コリアーです」
「あ、トウマ=アサギです。どうも」
「セリア=ウェンディです」
「突然の訪問で少々驚きましたが、勇者様に興味を持っていただけていたのは光栄です。施設内につきましては、私がご案内させていただこうと思っておりますが、如何いたしますか?」
「んー、そうですね……お願いしても?」
「はい、畏まりました」
エリスさんはまたも四十五度のお辞儀をこなす。研究の傍ら、来客の対応も任されていて、慣れているのだろう。役職は主任とのことだが、実際はそれ以上の働きをしていそうだ。将来の幹部候補なのかもしれないな。
「それではこちらへどうぞ」
彼女の先導で、僕たちは施設内を進んでいく。扉は殆ど全てが自動になっていて、勝手に開いていった。ただ、セキュリティ上ロックの掛かった場所も当然あって、そういう扉は壁面に取り付けられたリーダーに、研究員の証明カードを通してロックを解除する仕組みになっていた。
「うわあ、良く分からんけど凄い……」
「だいぶハイテクなんですね、カードを読み取って開錠するなんて」
「あら……トウマさんはお詳しいのですね」
「ま、まあ科学技術に興味があるので」
流石に僕がいた世界では常識です、なんてことは言えないので、興味があるというワードで通すことにする。僕が知識を持っていることにエリスさんは嬉しくなったのか、ほんの少し言葉遣いが砕けたような感じがした。
「トウマさんがここへ来た目的である研究については、施設の奥で広いスペースを使って日夜研究をしております。しかし、それ以外にも人々の生活を豊かにすべく、色々な研究を行っているのですよ」
「生活を豊かに……」
「はい。街の周囲を監視している装置もマドック製ですし、耐久性に優れた建築資材も開発し、一部が街の施設に使われています。勿論この研究施設にも」
「あの装置、ここで作られてるんですか。それは凄い……」
「フフ、そう言っていただけると研究主任として誇らしいです」
長い廊下は、左右の壁面が分厚いガラス窓になっており、向こう側の研究室で何をしているかが目視できる。左の研究室では大きな部品同士を組み合わせていたし、右の研究室では薬品を掛け合わせて反応を確認しているのが見えた。こういう場所を見学していたら、丸一日でも飽きずに見て回れそうだ。
「一般の人には、日々の中で科学の恩恵を感じることはあまりありません。そもそも身近にそういった製品が少なすぎる。武器や魔法で魔物を倒すという営みが生活の中で少なくない部分を占めるのだとしても、いつまでも足踏みせず、科学技術をもっと発展させていくべきだという思いを胸に、私はここで研究を重ねているのです」
「いや、流石です。科学技術の成長速度は、確かに少し遅い感じはしますし、エリスさんのような研究者が沢山いたら、きっとこの世界は急速に発展していけるんじゃないでしょうか」
「それは買い被り過ぎですわ。でも……ええ、そう思いたいものです」
あくまで素人目ではあるが、科学技術が発展した世界から来た僕が見る限り、ここで行われている最先端の研究というのは、かなり高水準なものだと思う。これまでの旅で、リバンティアの世界観は中世のヨーロッパという印象を持っていたが、現代に近い部分もちらほらあるようだ。
「この奥が、第九研究室……言うなれば、魔法を科学する研究室ですね」
廊下の突き当りにある鉄製の扉。この扉の向こうが、魔法について研究しているスペースらしい。エリスさんはまた、壁面のリーダーにカードを通して、ロックを解除した。認証音とともに扉は左右にスライドして開いていく。
「どうぞ」
「は、はい」
エリスさんに続いて、研究室の中へ入る。そこは比較的大きめの部屋で、テーブルや本棚、それにドリンクサーバーまで設置されていた。天井付近には、モニターが吊るされていて、別の部屋の映像が表示されている。
「入口にあたるこのスペースは談話室のようなもので、奥に複数ある部屋が研究・実験を行う場所になっています。あそこのモニターに出ているのは、その映像ですね」
「なるほど……ここは施設の中でも一番場所を割いてる感じがしますね」
「力を入れている研究ですから」
そう言いながら、エリスさんは誰かを探すように視線を動かす。そして、目当ての人物を見つけたようで、ゆっくりと歩いていった。
「所長、失礼します。先ほどお伝えした、勇者様をお連れしました」
「ほうほう、こちらが」
部屋の端にあるテーブル席に座り、コーヒーを啜っていた初老の男性。短い髪は完全に白髪になっていて、分厚い眼鏡を掛け、ヨレヨレの白衣を身に着けている。これぞサイエンティスト、といった風体の人物だった。
「お初にお目にかかります、ジョイ=マドックです。ここの所長を勤めてましてね、日々頭を悩ませておりますよ」
「トウマ=アサギです。突然お邪魔してすいません。こちらの研究について知る機会があって、興味を持ちまして」
「セリア=ウェンディです。魔法を科学するって、何だか面白いですね」
所長、ということはこの研究施設で一番偉い人物なわけだ。名前もマドックだし、彼が実権を握っているのは容易に分かる。僕たちに笑顔を向けてくれはするものの、その眼光はどこか鋭く、研究者としての風格というか、威厳のようなものが感じられた。
「いやむしろ、魔法という領域を科学的に捉えるのは、人類の進歩にとって不可欠ですぞ。科学と魔法は両輪となって人類を未来へ進ませていくのです」
「所長は私が生まれるよりずっと前から、そういう姿勢で研究を続けてらっしゃるんですよ」
「そんなに長くですか……凄い」
流石にエリスさんの年を直接聞く度胸はないが、きっと三十前後だろうし、それより長く魔法の研究を行ってきているわけだ。筋金入りのサイエンティストなのだな。
「魔法はとても有用なリソースになる。試作段階ではあるものの、魔法を利用した発電も施設内で行っていて、約三分の一程度は電力を賄えているのです。技術が確立すれば、完全に魔力発電に移行することも出来るでしょうな」
「魔力はそれほどのエネルギーということなんですね」
「うむ、そういうことです」
ジョイさんはそこで、白衣の内ポケットに手を突っ込んでごそごそと漁り、小さな装置を取り出した。
「プロトタイプではありますが、この装置は大気中の魔力を感知し、雷魔法を発生させられます。発電方法としてはこれがシンプルですな」
「と、言うことは……これも一種、魔法を道具化しているものだと」
「ええ、研究の成果です」
そう言うと、ジョイさんは僅かに足を引き摺るようにしながら、奥にある扉の方へ体を向ける。
「……というところで、お二人がいらっしゃった目的の道具をお見せするとしましょう。ついてきてください」
「は、はい。よろしくお願いします」
年のせいか、不健康な研究生活が祟っているのか、ジョイさんの足取りは危なっかしい。少し心配になりながらも、僕とセリアは彼の背中を追った。その後ろから、エリスさんもついてくる。
扉を抜けた先の部屋では、大きな装置が音を立てて駆動している横で、数名の研究員がデータを取っている。ここで行われていることも気にはなったが、目的の部屋はここではないようで、ジョイさんは真っ直ぐに突っ切っていき、次の扉を開いた。
「ここが魔法道具の試作品を試験する部屋になります。出来上がったものは順次、ここへ持ち込まれて試験を行うわけですな」
「なるほど。奥のラックに幾つか、小さな円柱状の物がありますけど……あれが?」
「試作品です。数は少ないですが、製造番号を割り振って、どれが一番出来が良いのかを調べているところです」
「ほうほう……」
部屋は清潔に保たれていて、床や壁には汚れも全く見当たらないし、余計な物も殆ど置かれていなかった。試験用に環境を整えているのだ。この部屋で目立つのは主に二つ、試作品が置かれているラックと、データの計測に用いていると思われる複数の装置だった。
「世界には、実に七十二のスキルが存在すると言われておりましてな。そのうち物理攻撃を伴うスキルについては全く目処が立っていないのですが、魔術士と愈術士スキルについては道具化の実験が進められています」
「現在最優先で進めているのは、カノニア教会と共同で行なっている製品ですね。これは特殊スキルに該当するのですが、アナリシスというスキルを道具によって利用できるように研究しています」
「強さを測定できるスキルですよね。確かに、それが誰でも使えるようになったら便利だと思います」
僕は一度だけ、ヒューさんに見てもらったくらいだが、戦闘職として長く活動している人は、頻繁に教会へ出向いているに違いない。その手間が省けるのなら、その人にとっても教会にとってもありがたい話だろう。
「正直なところ、物理スキルを道具で発動させるのは難しそうですがね、魔法系統については少しずつ世に出していけるという自信があります。とにかく今は研究あるのみですな」
「一冒険者として期待してます」
「私も。……ところで、試作品はまだ使えるような状態じゃないんですか?」
セリアが訊ねると、ジョイさんは思い出したように手を打ち、
「そうそう、ようやくまともな試作品が完成しそうなのですよ。ただ、近頃材料が全く手に入りませんでな」
「材料というと?」
「魔石ですな。非常に貴重な鉱石なのですが、採取できる場所も減り、おまけに大企業による買占めも行われているような状況なのです」
「なんだか、枯渇しちゃいそうで怖いですね、それ」
セリアの言葉に、ジョイさんは厳かに頷いた。
「世界に満ちる魔力や、それに関連した力が魔石を生み出します。なので永遠に取れなくなることはないでしょうが、一時的に全く無くなってしまうということは十分あるのですよ」
「ううん、大変ですね……」
「以前までは良好な取引も出来ていたんですがな……あの商会は、近頃こちらと会いたがらなくなってしまった」
ジョイさんは半ば独り言のようにそう呟いた。あの商会、というのは気になる。
「ひょっとして、ザックス商会ですか?」
「うむ、商会と言えばそこしかありませんからな。もう少しこちらの研究にも協力を続けてほしいものです」
どうやら昔はザックス商会から魔石を買えていたのに、最近はそれが出来なくなってしまったようだ。魔石を買占めているということだが、何か大きなビジネスの動きがあるのだろうか。
グランドブリッジで出会ったジェイクさんを思い出す。彼は商会が厄介な問題を抱えていると口にしていたが、それと何らかの関係があるのかもしれない。あくまで憶測には過ぎないが。
「魔石ってどこで採れるんです?」
「グランウェールで採取できるのは、マギアルから少し離れたところにあるスケイル鍾乳洞ですね。ただ、魔王復活の影響で、あの鍾乳洞は魔物の巣窟になっています」
「エリスさん、その鍾乳洞に行ったら、私たちでも魔石を採ることって出来るんですか?」
「ええ……採るくらいなら問題なく。見つけるのは至難の技でしょうが」
「ふむふむ」
セリアは神妙に頷く。まあ、考えていることは分かる。僕もそれを提案しようかと思っていたところだ。
「その鍾乳洞には一度行ってみなきゃって思ってたところなんです。魔物退治のついでに、魔石が採れそうなら採ってきますよ」
「本当かね? それはありがたい」
ジョイさんが目を輝かせた。本当にこの人は研究に情熱を捧げているのだな、と感じる。
「必要なのはごく少量です。試作品を完成させるだけですからな。小石ほどの魔石が採れれば、それで十分完成させられますぞ」
「それくらいでいいんですね。分かりました、探してみますよ」
「勇者様にこのようなお願いをするのは申し訳ありませんが、是非とも。相応のお礼はいたしますので」
エリスさんが深々と頭を下げる。困った人を助けるのも勇者の務めだし、申し訳ないと思う必要はないのだが。
「じゃあ、一度そのスケイル鍾乳洞に向かってみることにします。大体の場所って分かりますか?」
「はい。昔は鉱物の採掘も行われていたので、道が続いています。マギアルの東口から出て、ずっと進んでいけば見えてきますね。魔石は独特の紫色をしていますので、一目で分かるかと」
「了解です。ご期待に添えるかは分かりませんけどね」
「いえいえ、行ってくださるだけでも大変ありがたいです」
もしも魔石が採取出来れば万々歳なんだろうが、そこまで上手くいく保証はない。とりあえず、くまなく探してみることにしよう。
僕たちは、一度マドック研究所を出て、スケイル鍾乳洞へ行くことにした。魔物の巣窟ということなので、気を引き締めてかからねばならない。
街を発つ前に荷物の確認もしたのだが、回復薬等は今まで殆ど使ってこなかったし、まだ沢山あった。魔石も剣があれば採取できるとのことだったので、特に買い足さないといけないものはなかった。準備はオッケーだ。
「よし。行こう、セリア」
「頑張りましょうね!」
僕たちは、マギアルの東出口から出発する。道なりにずっと歩いていけばスケイル鍾乳洞に着くはずだ。
試作品の完成に協力するため、その性能を見せてもらうため。それに街の治安維持のためでもある。勇者として、やれる限りのことはやってみよう。僕は小さく頷いて、真っ直ぐに伸びる道を歩き始めるのだった。
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