6.そして事件は起こる


 トントン、と扉がノックされる音で、僕の目は覚めた。布団の中でもぞもぞと動いている間にもノックは繰り返される。眠たいし、髪の毛も滅茶苦茶で出るのが嫌ではあったが、仕方がないので僕は扉を開けることにした。

 鍵を外して扉を開けると、宿の従業員さんが申し訳なさそうな表情で立っていた。下から目線でこちらを見ながら、


「おはようございます。朝早くから申し訳ございません」

「ああ、いえ。……どうかしたんですか?」

「それが……ちょっとした事件が発生したようでして」

「事件?」


 事件とは穏やかでない。僕たちが眠っている間に、グランドブリッジ内で何が起きたというのだろう。


「はい。お客様の一人が、盗難にあわれたのです」

「盗難、ですか……」


 なるほど。貴重品を盗まれたから、その犯人を捜しているということか。犯人が分からずとも、せめて事情を知っている人がいないかと、全員の部屋を回っているようだ。従業員さんも、こういうハプニングが起きたときは大変だな。


「すいません、僕たちはノックの音で起きたくらいで……特に物音とかも聞いてないんですよね」

「そうですか……。一応、任意ですが荷物の確認をさせていただいても?」

「え、ええ。まあ構いませんけど。ちょっと、もう一人を起こします」


 扉を開けたままにしておいて、僕は部屋の中へ戻る。セリアの肩を揺すって起こし、手短に事情を説明すると、彼女は目をしょぼしょぼさせながらも、ある程度身だしなみを整えるためにバスルームへ入っていった。


「じゃあ、お願いします」


 入口に戻って従業員さんを部屋に入れる。彼は腰を低くしながら部屋の中をさっと見て回り、僕たちの鞄もチェックした。しかし、疑わしいものが見つかるはずもなく、重い溜息を漏らしている。


「盗まれたものって、どういうものなんです?」

「それが……貴重なオーパーツだ、と説明されるだけで」

「はあ……オーパーツ」


 それってどういう意味だったか。確か、古代の品なはずなのに、とても近代的な造りをしているとか、そういう時代や場所にそぐわないモノのことを言うのだっけ。そんなものを持ち歩いている人がいるのがむしろ驚きだ。

 そう言えば昨日、商談をしている男性二人を見かけたが、ひょっとしたら商品の一つなのかもしれない。だとすれば話はまだ通じる、か。


「念のため、衣服も簡単にチェックさせてもらっていいですか」

「ええ、構いませんよ」


 従業員さんは、軽く僕の服やズボンを手で叩いて、変なものがポケットなどに入っていないか確認する。これももちろん空振りだ。

 そこに、髪の毛だけを何とか整えたセリアが戻って来る。従業員さんは、とりあえず彼女にポケットだけ中を引っ張り出してもらうよう頼み、何も入っていないことを確認すると、バスルームに向かった。


「私たちが泊まった日に盗難なんて、災難よねえ……」

「まあね。でも、起きちゃった以上仕方ないし、協力できることはしなくちゃ。……従業員さん、少し可哀想だし」

「大変よね……」


 結局ここでの捜索は徒労に終わり、彼はとぼとぼと帰っていく。この部屋は廊下の一番奥にあるし、多分もう全ての部屋を調査し終わったのだろう。見つからず終い、ということか。一体盗難されたオーパーツとやらは、どこにあるのやら。それに、どんなものなのやら。

 とりあえず、起こされた形ではあるが目はすっかり覚めたので、身支度を整えて朝食をとりに部屋を出る。事件が発生しているので、食堂がちゃんとやっているかは気掛かりだったが、幸い通常どおり営業していた。

 朝食は一種類しかなかったので、僕もセリアも同じものが運ばれてくる。柔らかいパンを頬張りつつ、それとなく辺りの様子を伺ってみると、どうもギスギスとした空気が漂っているように感じられた。盗難の事実は、従業員さんの捜索があり皆知っているだろうし、この中の誰かが犯人なのかと心中疑っているのに違いない。


「……全く、誰が私の貴重なオーパーツを……」


 ブツブツと呟いているのは、昨日商談をしていた男の片割れだ。やはり、彼が盗難被害に遭った人物らしい。もう一人の男は、この場にはいないようだが。

 

「早く見つかればいいわねえ……。多分、解決するまで出られないような気がするわ」

「うん、そうかも」


 兵士も一人、この場で警備しているし、検問所に待機中の兵士も増員していた。今のところ、誰も出入り出来ないように封鎖しているような感じだった。


「お、お二人ともおはようさんー」

「あ、ニーナさん。おはようございます」

「おはようございますー」


 いつのまにか、ニーナさんがすぐそばまでやって来ていた。近くの空いている席に腰かけると、彼女は軽く溜息を吐く。


「いやはや、まさかここで盗難事件が起きるなんてなあ。街の宿とかならまだ分かるけど、わざわざ兵士が詰めてるこのグランドブリッジでなんて……困ったもんやわ」

「今までこういうことは?」

「全く。日頃からある程度警戒はしてるけど、宿の部屋前までは警備も行き届いてないからなあ」

「まあ、あの廊下にずっと兵士さんがいるとかだったら、逆に気が休まらないって苦情が入りそうですしね。仕方ないですよ」


 全体としては、二十四時間の警備がしっかりなされているだろうし、落ち度があったとは思えない。何にせよ、悪いのは盗難を行った犯人だ。


「悪いけど、盗まれたモノが発見されるまでは施設を封鎖することに決まったから、しばらく出発は我慢してくれへんかな。何とか早めに見つけるから」

「ああ、全然気にしないでください。こういう事態ですし。僕たちも何か協力できるなら、力を貸しますから。……まあ、出来ることはそんなになさそうですが」

「あはは、そんときは頼むわ。……さて、と。そんじゃ被害者の人に事情聴取するとしますか」


 そう言うと、ニーナさんは僕たちに手を振って、そのまま被害者の男性のところまで歩いていく。男性に声を掛けて立ち上がらせると、彼女はその男性を伴って食堂を出ていった。詰所の方で事情を聞くのだろう。

 入れ違いに、食堂へ一人の男がやって来る。彼は被害者の男性と商談を行っていた人物だ。グレーのスーツを身に纏い、青のネクタイを緩く結んだビジネススタイル。襟の部分には男が所属している団体のものか、キラリと光るバッジがついていた。彼は濃い緑の髪を撫でつけながら、さっきニーナさんが座った席につき、店員を呼んで朝食セットを注文した。


「……隣をすまないね。君たち、もしかすると勇者と従士じゃあないかい」

「え? あ、はい……その通りです」


 突然そんな風に声を掛けられるのは予想外だったので、僕はしどろもどろになりながら答える。すると中年男性はくすりと笑い、


「失敬、商売柄観察眼は養われているんでね。君の右手にある紋を見て、どうやら勇者らしいと推測してみたんだ」

「あはは……よく見てらっしゃいますね」


 僕は一応お世辞としてそう言っておいたが、セリアは急に接触してきたこの人を怪しんでいた。心なしかじっとりとした目つきになっている。


「私はジェイク=バートレイ。ザックス商会に所属している者だ。全国に加盟店があるから、君たちもどこかで利用したことがあるかもしれない」

「ザックス商会……」


 その名前は、コーストフォードで一度耳にしたことがあった。ランドルさんの話に出てきたのがザックス商会だ。世界規模の商会らしいが、以前の話からして、黒い部分もありそうな感じがして、それほど良い印象は持てなかった。

 ジェイクさんは、そこに所属する営業マン、ということらしい。なるほど、バッジをよく見れば、ザックス商会のイニシャルであるZの字になっている。


「先日から、商談のためにここへ出張して来ていたんだが、商談相手が盗難にあったようでね。事件のことは、既に周知されているとは思うが。そのせいで、商談そのものが有耶無耶になってしまうわ帰るわけにもいかないわで、非常に難儀しているんだ」

「それは、ご愁傷様です」

「私たちも、出発できないのは困るんですけどねー」


 予定では、一泊だけしてすぐにでもここを発つつもりだったが、長引くようならもう一泊していくことになりそうだ。最寄りの町までは、大体馬車で二時間かかることを案内板で確認済みだった。


「ただ缶詰にさせられるのも退屈だからね、情報収集ということで、ここにいる旅行者たちと話でもしていこうと、君たちにまず声をかけてみたんだ。事件のこともそうだし、何なら最近のトレンドでも、聞いてみたいところだな」

「と、トレンドですか。それは流石に……」

「トウマ、勇者なのに記憶喪失なんです。今、勇者のことがどんな風に広まってるかは分かんないんですけど、初耳だったり?」

「記憶喪失……いや、そんな話は聞かないな。尤も、グランウェール方面にまで詳しく広まっていないからかもしれないが。今のところ、私が聞いた情報としては、勇者の剣が抜けないまま旅立った勇者が、コーストンの魔皇を見事に討伐してグランウェールに向かっている、というところかな」


 剣が抜けなかった、というのは認知されているようだ。それなら、今後は剣がないから勇者じゃないと言われることも減っていくかな。勲章もあるし、面倒なことにはもうならないだろうけど。

 というか、セリアがさらっと僕が記憶喪失である設定で話をしてくれるのは、ありがたいな。これも、二人だけの秘密というやつだ。


「ジェイクさんは、事件について心当たりはないんですか?」

「私かい? そうだな、昨日被害者と話していたのは私だけのようだし、正直なところ一番疑われているのは私だろうというのは理解しているんだが……生憎、さっぱり分からなくてね。まず盗まれたものがどういうモノかも、誰も詳しく知らない」


 セリアの問いに、ジェイクさんはそう答えて首を振る。


「オーパーツ、とか言ってたみたいですけど。商会に所属しているジェイクさんなら、ご存知だったりは」

「いや、残念ながら。あの人はコーストンの貴族だからね、色々コレクションしているのは知っているが……オーパーツのことは分からないな」

「そう、ですか」

「ただ、複雑な機構をした小型の装置が手に入ったというのは昨日ちらっと話していた。盗難に遭ったものと断定は出来ないが、恐らくそれではないかと考えているよ」

「小型の装置、ですか」


 昔の遺跡などから発掘されたのがそういう品だったなら、確かにオーパーツと言えそうだ。だが、大雑把な情報なので盗難品のディテールはやはり見当がつかなかった。


「これは可能性だが、彼は誤って落としたのを盗難に遭ったと勘違いしているかもしれない。君たちも、もしどこかに怪しい物が落ちてたりしたら、是非知らせてほしい。私にでも構わないし、被害者やここの兵士にでも」

「ああ、それはありますね。分かりました」

「さっさと解決してほしいもんね」


 見た目で決めつけるのは良くないが、被害者の男性はプライドが高そうだったし、自分が大事なコレクションを落とすはずがないと決めてかかっているというのも考えられる。ジェイクさんの言うことは一理あるし、どうせここから出られないのなら散歩がてら探してみるのも、時間潰しにはいいかもしれないな。


「ところで、なんだが」

「はい?」


 ジェイクさんは、僅かに声のトーンを落として、僕たちに訊ねてくる。


「昨日の夕食時、君たちと話していた青年がいたね。あの子は、知り合いだったり?」

「ああ、いや。今のジェイクさんみたいに、偶然席が隣になったので」

「そうかそうか。いやなに、私の知っている人かもしれないと思ったんでね」

「似てたんですか?」

「うむ。……変わらないな」


 変わらない。普通なら、大した意味もない言葉だ。しかし、ソーマさんのことなら、事情は違ってくる。

 彼は長く生きていると話していた。過去の勇者にも会ったことがあるらしい。ジェイクさんの言った変わらないの意味が、そういうものなら。彼の知っている人は、まさにソーマさんかもしれない。


「君たちは、『冬ノ旅団』というのを聞いたことがあるかい」

「冬の……? いえ、全然」

「まあ、噂話のようなものなんだがね。気の遠くなるような長い間、世界中を放浪し続けている青年がいるという」

「……それって……」


 まさに、ソーマさんのことだ。やはり、ジェイクさんは彼を知っているのか。


「彼は旅を続けながら、身寄りを失った子供たちに施しをしたり、或いは一緒に旅をしたりしているのだと。誰も本人から直接話を聞いたわけじゃあないが、そういう青年がいるというのが、各地で囁かれている」

「孤児を助ける。そのために、頑張っている人なんですね」

「そのようだ。私自身、関わりがあるわけではないんだが……まあ、それとなく見守りたいと思っていてね」


 そこでジェイクさんは、初めて困ったような表情を浮かべた。言葉を慎重に選んでいるというか、迷っているような素振りだ。ただ、見守りたいという言葉に他意はなく、純粋にそう思っているようではあった。

 ……彼はどうも、悪い人ではないようだな。


「……ふう、話し込んでしまって申し訳ないね。食事もとったし、そろそろ私は行くとしよう。商売人として、時間は有効活用しなければ」


 ジェイクさんはビジネスライクな笑みを浮かべ、さっと立ち上がる。


「もしかすると、君たちはこの先冬ノ旅団……いや、彼について色々と知ることがあるかもしれない。だが、なるべくならそっと見守ってあげてほしい。長く生きるというのはきっと、どうしようもない痛みを伴うものだろうからね」

「あ……は、はい」


 そして彼は食器類を返却すると、食堂を去っていった。何というか、言いたいことだけを言っていかれた感じだったな。

 多分、昨夜僕たちがソーマさんと話していたのを見たときから、接触しようと決めていたのだろう。ソーマさんのことを、僕たちに伝えるために。

 見守ってあげてほしい、か。一番言いたかったのはそれなんだろうけど。


「個性的な人とばっかり会うわね、ここでは」

「あはは……そうだね」


 様々な事情を抱えた人がいる。僕たちだってもちろんそうだが。その事情に関わっていいときもあれば、そっとしておくべきときもある。丁度今なら、前者は盗難事件、後者はソーマさん。そんなところか。


「ジェイクさんの真意はともかく、どうせソーマさんの問題に首を突っ込もうとは思ってないし、気にせずいよう」

「そうねー」

「よし、ご飯も食べ終えたし……僕たちも戻ろうか」

「りょーかい」


 返却口までプレートを持っていき、食堂を抜ける。そのとき気付いたのだが、僕たちから一番離れた席に、ソーマさんが遠くを見つめたまま座っていた。一瞬だけ僕は立ち止まってしまったが、そのまま声を掛けることなく静かに立ち去った。



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