5.静かな夜は過ぎ
陽が沈み、窓の外はすっかり夜の闇が広がっていた。ポツリポツリと、橋に備え付けられた電灯が光を放っているのが幻想的だ。
夕食を終えた僕たちは、部屋に戻って交代でお風呂に入り、今はベッドに寝転がったり、ソファに腰かけて本を読んだりしていた。
「勇者の日記帳、もう全部読み終わりそう?」
「一応、ね。そこまで多くのことが書かれてるわけでもないし」
この本にまとめられているのは、五人分の日記だが、その文章量には当然ながら個人差がある。一番ページが多いのは、二年以上の長きに渡って旅をしていた、一代前の勇者グレンさんだ。ソーマさんと邂逅した際の日記でもあるかなと思ったのだが、それはどうやら記されていなかった。
「そう言えば、トウマは日記、書いてるの? それもジムくんに貰ってたけど」
「ん。一応、暇があるときにちょこちょこと。日記って、人に見せるようなものでもないしさ」
「勇者の日記は特別だと思うけどー?」
ニヤリと笑いながら、セリアは急に起き上がって僕の鞄が置いてある方へ歩いていった。もしや、人の日記を勝手に見るつもりか。あっという間に彼女は鞄からノートを引っ張り出して、パラパラと捲り始める。
「ふんふん。……へえ、案外普通に書けてるのね」
「面白い内容じゃなくてすいません」
「別に下手な文章を期待してたとかじゃ……まあちょっとはあるけど」
「やっぱり」
貶されなくて良かった。真面目に書いてる日記だから、馬鹿にされると流石に恥ずかしいというか、僕でも悔しくなってしまいそうだ。
「色んな人と会ったことを書き記しておけば、また会ったときにすらすら思い出話が出来るもんね。旅が終わったら見せてもらおっと」
「正直、セリアにだけならまだいいけど、この日記帳みたいに全世界へ広まるのは勘弁願いたい」
「二人だけの秘密にしとくしかないわねー」
ううむ、その言い方はちょっと語弊があるような気がするんですが。まあ、いいか。
セリアは面白い部分がないと判断したようで、残りのページは適当に捲っていく。まだそれほど書けていないので、十ページほどしか文章はないが、その最後で彼女の手が止まった。
……あれ、魔皇を倒した夜って何を書いたっけな。
セリアはぽい、とノートを僕のそばに放る。慌てて最後のページを確認してみると、そこには『セリアを守れて良かった』という一文。……そんなことも書いたっけ。彼女はそっぽを向いてしまっているが、何となく頬が赤らんでいるようだった。
「え、ええと。気になってたことがあるんだけどさ」
僕は早く話題を変えてしまおうと、無理やり切り出す。
「絶対封印って、封魔の杖を持った状態じゃないと発動できないのかな?」
「……ん。多分そうだと思うけど」
「試してみてくれない?」
セリアはこくりと頷き、精神を集中させて絶対防御の発動態勢をとる。すると、近くに置いていた封魔の杖が反応して光を放った。
「……トウマの手に掛けてみたわ。ちゃんと発動はしてるっぽいかな。杖からの反応が弱かったけど」
試しに、僕の手めがけて枕を投げてもらった。その枕が当たる直前、小さな防壁が出現して枕を弾き落とす。どうやら杖からある程度離れていても、認識出来れば発動するようだ。かなり近い距離じゃないといけなさそうだが。
「これ、相当魔力を消費しちゃうみたいなのよね……セーブして手に限定したけど、指定対象次第じゃ全部持ってかれちゃいそう」
「まあ、絶対防御っていうくらいだもんね。大技中の大技だと思う」
魔力を全消耗してしまっても無理はない。
「ううん、杖から離れると絶対防御が使えないんだし、やっぱり僕は絶対攻撃を使えないってことだな。勇者の剣、抜けなかった理由は今でも分かんないけど、何だったんだろ」
「こうして魔皇まで倒せた今、勇者じゃないなんて可能性は低いしねえ。新しい勇者候補も出てないし」
僕が勇者なのは、自分で言うのもなんだけどもう疑う必要のない事実なはず。だから、勇者なのに剣が抜けなかったというのが問題なのだ。
ランドルさんの話からして、一代前の勇者であるグレンさんは、どうやらこの状況を予見していたようだ。旅の中で、彼はそのことに思い至る何かを知ったのだろうが、その何かは全くの不明だった。世界には、不思議なことが沢山ある。さっき話をしたソーマさんの言葉が蘇る。目下のところ不思議なのは、グレンさんの旅路そのものだ。
「いずれにしても、考えたところで答えの出る謎じゃないし、どうすることも出来ないんだよなあ」
「そうね。いつかハッキリするときが来ればいいけど」
勇者が魔王を倒す。最初はただそれだけの単純な世界だと思ったものだが、中々どうして、不可思議なことだらけの物語だな。
……不可思議なこと、と言えば。
「……セリアは、指切りなんて知らないよね」
「指切り? 何それ」
やっぱり、彼女が知っているはずもない。それは僕が元居た世界のおまじないなのだから。同じ文化があるわけでなければ、絶対に分からないことだ。
それでも、あのとき彼女は自然に小指を絡めてくれた。思いつきでしたことだったが、それには必ず意味がある。僕はそう思っている。
ここは、異世界だ。元の世界から僕はここへ飛ばされてきた。元の世界とこの異世界は同時に存在している。だとしたら……そこに隠された関係がある可能性だって考えられる。例えば、僕以外にも異世界転移した人がいたり、そうでなくても物くらいはあるかもしれない。ランドル邸でチェス盤やビリヤード台を見かけたが、あれはひょっとすると、元の世界からやって来たものなのかも。
「……なんか難しい顔してる」
「うわっと」
いつのまにか、セリアが顔を近づけてきている。距離感が近づいているのは嬉しいが、突然迫られると流石にびっくりしてしまう。
「な、何でもないよ」
「そ? それならいいんだけど」
ここで、僕の隣で、不思議そうにこちらを見つめるセリア。彼女にだって、隠された関係がきっとある。世界の連関。僕がリバンティアにやって来たのも、もしかすれば偶然ではないのかも、しれない。
僕には、生まれたときから勇者の紋があったのだから。
「指切りって、向こうの世界の言葉なんだ?」
「そう。こうやって、小指を絡めて約束をするんだよ」
僕は両手を使ってセリアに示す。右手と左手では変な指切りになってしまったが、大体のところは通じるだろう。あのとき、一度はやったのだし。
「でね。嘘だったら針を千本飲まされるんだ。怖いでしょ」
「……それ、命がけの誓い? 怖っ」
「あはは、子どもの遊び」
「そんなデンジャラスな遊びを……?」
真剣に怖がっているので、あくまで定型的なことで実際はしないのだと補足しておく。
「そっか。こういう話を聞いてると、ますます興味が出てきちゃう」
「いつかセリアが逆異世界転移できるのに期待、だね」
「一人で行っちゃったら絶対死ぬわ。聞く限り、理解出来ない世界だもの。それを思えばトウマって、すんなりこの世界に馴染んでるわよねー……」
「元の世界じゃ、こういう剣と魔法の世界は本とかで創作されていたからさ」
「へえ……想像で書かれたお話が、この世界と似てるのかあ」
……それも、想像じゃあなかったり、するのかもな。誰かがこっそり転移して、この世界を描いた。それがファンタジーの始祖ということも、決して有り得ない話じゃなかった。
そんな世界の不思議だって、知ることが出来たら面白そうだ。魔王を討伐して生きて帰ったら。探検家として、リバンティアの謎を解明していくのも、いいかもしれない。
隣にはもちろん、セリアを連れて。
「……ま、今日のところはそろそろ寝ますか」
「そうしますかー」
僕たちはベッドに潜り込んで、明かりを消す。さざ波の音が子守歌になるような、橋の宿の夜。
暖かな毛布に包まって、静かに目を閉じると、訓練の疲れもあって、僕の意識はすぐに眠りの中へ沈んでいった。
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