11.ランドル=モーガン②
申請所は南西エリアだったので、南エリアにあるランドル邸までは、さほど時間は掛からなかった。ほんの五、六分くらいで、大きな建物が見えてくる。そう言えば、城から申請所へ来るまでにもちらっと目に入った建物だ。
「こちらが私の邸宅です。今、門を開けますので」
入口にあった黒い鉄格子の門は、鍵を開いてから、壁面のレバーを操作するだけで左右に開いた。門の向こう側には庭園が広がっていて、色鮮やかな花々が咲き誇っている。
庭園を抜けて、両開きの玄関扉を開く。ギギイ、という音とともに開かれた扉の先には、吹き抜けの玄関ホールがあった。床一面に赤いカーペットが敷かれている。両側には階段があって、そこから二階へ上がれるようだ。
「これ、個人のお家なんですよね……」
セリアが素直な感想を呟く。田舎暮らしの人間にとっては、ここが人の住む家だということが信じられないくらいの大きさなのだろう。
「父が建てた邸宅なんだが、私も些か広すぎると思っていてね。セレスタやケイティもここで暮らしてもらっている。それでも幾つか部屋が余っているんだ」
「ランドルさんが相続してからしたことと言えば、簡単な改修工事くらいのものですね」
「セレスタが優秀な業者を探してくれて助かったよ」
ランドルさんと私設兵団は、言うなれば主従の関係なのだろうが、やりとりを見た感じではむしろ、信頼関係という方がしっくりくるようだ。特にセレスタさんとは、長い付き合いのように思える。
「さて、少し早いですが、これから準備をしますので、六時にはディナーを振る舞えると思います。お伝えしたいことは沢山あるのですが、その時間までどうぞ、ごゆっくり過ごしていただければ」
「あと一時間半くらい、ですね。分かりました」
「適当に散策させてもらいますー」
ランドルさんはぺこりとお辞儀をすると、僕たちに背を向けて、廊下を歩いていく。
「では、私がお二人に付いておくことにしましょう。セレスタさん、どうぞお休みになっていてください」
「すまないな、ケイティ。後はよろしく頼んだ」
セレスタさんも、どうやら少し疲れているらしく、ケイティさんに謝ると、階段を上っていった。ここで生活しているとランドルさんが言っていたので、二階に自室があるのだろう。
そんなわけで、僕とセリアはケイティさんに案内されつつ、ディナーまでの時間を邸宅内で過ごすことになった。
最初に案内されたのは、来客用の応接室で、休憩したくなったらここを使ってほしいとのことだった。室内に紅茶やお茶菓子といったものが揃っており、いつでも提供できるらしい。後にディナーが控えていなければ、セリアがご馳走になりたいと言い出していただろう。
次に、図書室と遊戯室を案内された。図書室には壁一面に本棚が設置されていて、古びた書物から現代文学まで幅広く集められているようで、すぐ隣の遊戯室に移ると、そこにはビリヤード台とチェスボードが置かれてあった。どうやらこちらの世界にも、ビリヤードとチェスは存在しているようだ。パッと見た感じ、ルールも変わりなさそうなので、同一のもので間違いない。
「トウマさんは、ビリヤードもチェスもご存じなんですね」
「え、ええ。まあ」
「私は知らないなあ。……向こうの世界にはあるんだ」
セリアが、後半だけを小声で聞いてくる。僕は首だけを縦に動かしておいた。
「ふうん……不思議ね」
「うん。そこはちょっとびっくりだ」
こちらでは、貴族のお遊びというイメージが強いようだな。チェスはともかく、ビリヤードは確かにそうなっていてもおかしくはないか。
「私も時々、ランドルさんやセレスタさんと一局指すことがあるのですが、未だに勝てたことがありません。お二人はとてもお強いんです」
「へえ……ケイティさん、凄く頭が良さそうなのに」
「そうでもないですよ。頭が良ければ、もう少し賢い生き方が出来ていたはずですから」
「……と言うと?」
僕が問うと、クールだったケイティさんの表情に少しだけ翳りが差す。
「ライズナー家をご存じですか? 古くより大公に仕える名家です。実は、私の家系……クレイシア家も大公に仕えていたのですが、私はヴァレス大公の自堕落ぶりに耐え切れず、背を向けてしまったのです」
「そんなことが……」
「幸い、両親はその選択を責めはしませんでした。自身が納得のいく決断だったならそれでいい、と。そして私は、ランドルさんの私設兵団に惹かれ、入団を決意して、今に至るのです。生き方をがらりと変えたわけですね」
「うーん、そうやってちゃんと決断できたのって、凄いことだと私は思うんですけど」
「ありがとうございます。ですが、感情のままに長く続いてきた関係を放棄したことが良かったのか。他に道は無かったのか。そういうことをたまに、考えてしまうのですよ」
「……真面目なんですね、ケイティさんは」
真面目すぎるほど、真面目な人なのだ。彼女は。
でも、賢い生き方が幸せな生き方だとは限らない。
少なくとも、僕はそう思った。
「悔やまなくていいですよ。ヴァレス大公に嫌気が差したときの気持ちが、ケイティさんの一番ストレートな気持ちだったんでしょうし、大事にすべきなのはその、ストレートな部分だと思います。だから、今の生き方は……そう、クールです」
「トウマさん……」
適当に思いついたことを口にしただけだったが、殊の外ケイティさんの胸に響いたようだ。感動してくれてるのは嬉しいが、言ってから少し恥ずかしくなった。
「……ふふ、若いというのはいいことですね」
「って、ケイティさんもまだお若いでしょう」
「あら。そんなお世辞まで言われるだなんて」
「あー、トウマったら女ったらし」
いや、その発言はおかしくないか、セリア。……嫉妬されてるのかな、ひょっとして。
その後もケイティさんと話をしつつ、僕たちは邸内を見て回ったが、一時間半も余裕はあったはずなのに、全部を回り切る前にディナーの時間が来てしまい、邸宅の広さを改めて思い知らされた。ダイニングルームは玄関ホール正面の扉を抜けた先とのことだったので、僕たちは最初の場所まで戻ってから、奥の扉を開いてダイニングに入った。
「うわあー……」
そこには、虚構の世界でしか目にしたことのない晩餐のシーンが再現されていた。長いディナーテーブルに、等間隔に並んだ燭台、そして豪華な料理の数々。一番奥の席には既にランドルさんが座っていて、左右に二つずつ、かなり間を空けて椅子が置かれている。そりゃあ、五人でここを使うのだから間が空くのは当然だ。というか、僕たちがいないときは三人でここを使っているのか。
「さ、どうぞこちらへ」
促されて、僕たちは各々着席する。すると使用人らしき人がするりと近づいてきて、目の前に置かれていたカップに飲み物を注いでくれた。お酒かと一瞬戸惑ったが、多分ジュースにしてくれているだろう。
「……本日は私の邸宅にお越しいただいて、ありがとうございます。堅苦しい挨拶はこれくらいにして、早速いただきましょう。乾杯」
軽くカップを前に出して、僕も乾杯の仕草をする。それから一口飲んでみたが、やはり中身はジュースだった。
しばらくの間は、僕たちの旅の話をランドルさんが聞いてきて、それに答えながら、コースの料理を食べていくというのが続いた。出される料理は一々豪華で、味も全てが一級品だった。一流のシェフを雇っているんだろうな、羨ましい限りだ。
メインディッシュの肉料理を食べ終わったところで、ランドルさんは一旦話を切って、僕の方を静かに見つめた。いよいよ本題を話そうという頃合いになったようだ。
わざわざここへ僕を呼んだ理由。僕の特殊な事情に勘付いている理由。ようやくそれが分かるのか。
「勿体ぶってしまって申し訳ない。そろそろこちらの事情を話させていただきましょう。……私は過去に、先代の勇者に命を救われたことがあるのです」
「先代って……グレン=ファルザーさん?」
「はい。手記が世界中に出回っているので、名前はご存知だと思いますが、彼がコーストフォードに滞在していたとき、私は彼のおかげで死なずに済んだのですよ。……正確には、私とセレスタは」
「お二人が、勇者に命を救われた……」
勇者グレンが魔王討伐の旅をしていたのは、三二三年から三二六年までの間だ。つまり、今から二十年ほど前に、ランドルさんとセレスタさんは彼に助けられたということか。
「当時の私は若く、後先を顧みない馬鹿な男でした。また、そのときから大公は市民から反感を買っていました。ゆえに私は大公の悪行を何とか見つけ、その座から引き摺り下ろしてしまおうという甘い考えを抱いていたのです。そこで、友人であったセレスタと二人であれこれと策を巡らせ、やがて小さな可能性に行き着いた」
「それは……」
「大公城に、定期的に訪れる業者がいるのを、セレスタが突き止めたのです。ザックス商会の重役でした。詳細は分からないまでも、一企業の人間が定期的に城へ足を運ぶことの怪しさに、これは何かがあると感じ、私たちは調べを進めることにしました。その直後……父が怪死した」
「そ、そんな!」
セリアが声を上げる。ランドルさんは無言で頷いて、先を続けた。
「私は……そこで諦めることは出来なかった。無謀にも、セレスタと二人で更に調査を続けたのです。そして、もう少しで尻尾を掴めそうだというとき、私たちは襲われてしまった」
「私もランドルさんも、腕にはそれなりの自信があったのだが、相手はそれ以上の手練れだったのだ」
「私たちは死を覚悟した。しかし次の瞬間、暗殺者たちは地面に倒れ伏していた。奇跡が起きたと、そう思いましたよ」
つまり、そのとき助けに来てくれた人物こそが……勇者グレンだったと、そういうわけだ。
「彼は……グレンさんは私たちを助け、もう危険なことに身を突っ込んではいけない、と忠告してくれました。そんな方法をとるよりも、他に出来ることがあるはずだと。それを聞いて私は、これ以上裏でこそこそ調査せず、堂々としたやり方で街を変えていく方がいいと、思い直すことが出来たのです」
「グレンさんは、お二人にとっても勇者だったわけですね」
「まさしく。今でも感謝の心を忘れたことはありません」
ランドルさんは、目を閉じて胸に手を当てつつ、しみじみとそう言った。
「……助けられた私たちは、グレンさんにお礼をしたいと申し出ました。こう言っては何ですが、貴族ということもあり、資金面では幾らでも援助しようと思っていたのです。しかし、グレンさんはそんなもの必要ないと断ってきました。その代わりに、奇妙なお願いをしてきたのです」
「奇妙な、お願い?」
「それが、昼間の言葉に繋がるのですが」
そう前置きして、ランドルさんは続けた。
「グレンさんの願いは、このようなものでした。コーストフォードのこれからのために、私設兵団を作るべきだ。そして、強固な部隊を作ることが出来たら……次に現れた勇者に、戦いの手ほどきをしてあげてほしい」
「……え?」
僕に……戦いの手ほどき?
あまりに突拍子もないことだったので、僕は間抜けな顔のまま、ランドルさんの方を見つめてしまった。
「次の勇者は、今までと違って大きなハンデを背負うことになる。だから、それを補うための手助けが必要だ。……グレンさんは、そう言っていました」
「そ、そんな……それって」
つまり……先代勇者は、この状況を予見していた?
僕が勇者の剣を抜けないまま旅立つという状況を、予見していたというのか?
訳が分からなかった。
だが、今の言葉からすると、その可能性は非常に高かった。
「あ、あの。グレンさんって、他に何か言ってませんでしたか?」
「いえ……私も気にはなったのですが、それ以上のことは何も。彼は現れたときと同じように、颯爽と去っていきました。だから私たちは、いつか必ずお礼をと、こうして私設兵団を立ち上げ、次の勇者を待っていたのです」
ランドルさんが私設兵団を創設したのは、民衆の期待を受けてというだけではなかった。
そこには、恩人である勇者グレンとの約束があったのだ。
「お待ちしていました、トウマさん。もしかするとご迷惑かもしれませんが、私たちに先代勇者の願いを果たさせてもらいたい」
「……あはは。滅茶苦茶ビックリしてますけど、僕は確かにハンデを背負っています。勇者の剣が抜けなくて、そのまま旅に出るしかなかった。グレンさんは、どうしてか分からないけれど、そうなることを予測していたんですね。……ハンデを補う、か。せっかく遺してくれた思いを、無為にするわけにはいかないな」
理由は分からない。正直に言えば、グレンさんが何故この状況を予測出来たのかを知りたかった。でも、それは叶わないだろうし、諦めるしかない。
それよりも、彼が僕に遺したものを、ありがたく受け取ることの方が大切だ。僕の基礎能力は低ランクで、彼はそれを高めさせようとして、ランドルさんというキーパーソンを与えてくれたのだから。
「戦いの手ほどき、していただけるのなら、是非ともよろしくお願いします」
「……ふふ、ありがとうございます」
今ここに、先代勇者グレン=ファルザーの思いが一つ、結実した。
そのことに、僕は胸が熱くなるのを感じた。
こうして、驚きに満ちたランドル=モーガンさんとのディナーは終了し、僕たちは翌日、街の近郊で模擬戦闘を行うことを約束して、邸宅を辞去したのだった。
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