9.いつか良き報せを

 ノナーク聖堂までキルスさんを連れて行き、事の顛末を司教さんに報告した。司教さんはまず僕たちに謝罪と感謝を述べると、自警団を呼んでキルスさんと廃坑に置いてきた傭兵崩れの男を逮捕するように頼んだのだった。


「お前は近頃、危なっかしい思想を持っていると睨んでいたが……このようなことをしでかすとは」

「……申し訳ありません」

「キルス。お前の行いは、一人の罪無き青年の命を奪うところであった。大変に罪深きことだ」

「……」


 自警団の男たちが、キルスさんの腕に手錠を掛ける。その間も、彼はずっと俯いていた。


「本日をもって、カノニア教会の職を解く。キルスよ、これから先、自らの行いをよく反省しながら、正しい生き方を見つけて行きなさい」


 司教さんが最後にかけた言葉に、キルスさんが答えることはなかった。自警団の人に引っ張られるようにして、彼は刑務所への道を歩いていくのだった。

 キルスさんの姿が消えるまで、黙ったまま見送っていた司教さんは、こちらに向き直ると改めてお礼を言う。


「……事件を最悪の結果となる前に食い止めていただいて、本当に助かりました。勇者様、従士様、重ねてお礼申し上げます」

「いえ……当然のことですし」

「本音を言えば、一回くらい引っ叩いておきたかったけど」

「こらこら」

「はは。それくらいで済むなら良いでしょうが。彼はもう、道を踏み外しましたから」

「あってはならないこと、ですもんね」


 救いを説く者が、他者に危害を加えるなどというのは、もっての外だ。クリフィア教会を異端者と吐き捨てた彼の方が、もう正しき道には戻れなくなってしまった。

 自業自得だが、悲しいものだな、とも思う。


「神の教えをどう解釈するかは自由です。誰かに強制されるものではなく、最終的には各々が信じるもの。ただ、それが救いであるということが、否定されてはならない。キルスは自らの行いで、救いを捨て去ってしまったということ」

「む、難しい……」

「誰かを傷つけたらもう、それは救いじゃないってことだと思うよ、多分」

「そういうことです」


 話を終えると、後のことは司教さんに任せて僕たちは研究所へ向かった。ライルさんは、嗅がされた薬のせいでしばらくは意識がハッキリしないようだったが、町に戻ったときにはもう回復していた。先に研究員たちに無事を伝えたいと、研究所へ走っていったので、僕たちも後で行くことにしたのだ。

 研究所前は、博物館が開いているお昼時でも人通りが少なかった。苦笑しながら、僕とセリアは扉の前に立って、インターホンを鳴らす。数秒ほど待って、今朝話した研究員の男性がまた出て、お礼とともに扉を開いてくれた。


「さあ、ライルの部屋へ行ってあげてくれ」


 促されるまま、僕たちはライルさんの部屋まで歩いていく。一度だけ道を間違えたが、部屋の前まで辿り着き、僕はコンコンと扉をノックした。


「あ……トウマさん、セリアさん。どうぞ!」

「失礼しまーす」

「ん、失礼します」


 休んでいるだろうと思っていたけれど、デスクの上にはノートとペン、参考書が置かれていて、どうやら机に向かい何かを書いていたのだろうことが分かる。熱心だなあ。


「勉強ついでに、今日の出来事を記録してたんです。貴重な経験でしたから」

「って、僕たちのこととかも? それは恥ずかしいような」

「トウマはライルさんのヒーローなんだから、いいじゃない」

「いえいえ、セリアさんだって、ボクの恩人ですよ」

「おっと。確かに、マジメに言われちゃうと恥ずかしいかも」


 ライルさんに勧められ、僕たちはソファに座る。彼の方は一度部屋の奥に引っ込んで、しばらくしてからコーヒーを盆に載せて戻ってきた。


「あ、ありがとうございます」

「お客さんですからね」


 僕たちの前にカップを置いて、自分の分もデスクの上に置き、ライルさんもデスクチェアに座った。ここでコーヒーを啜るライルさんを見ると、確かに研究者なんだなあ、という感想が浮かんだ。失礼だけど。


「結局、クリフィア教会はこの町で活動なんてしなかったみたいで。カノニア教会……というか、キルスという人に振り回されただけでした」

「僕たちはターゲットにされちゃったから仕方ないとして、ライルさんはたまたま外に出たところを狙われたんだから、不運でしたよね……」

「そのおかげで、トウマさんたちの格好良いところを見れたんだから、いいんです、いいんです」


 そうやって笑ってくれるのならありがたい。これが心の傷になるなんて悲しいことは、あってほしくなかったから。


「研究所の皆には凄く心配されちゃって。しばらくは一人で外を出歩かないように、なんて言われちゃったんですよ。それは過保護だと思うんですが」

「あはは……皆ライルさんが可愛いんですよ」

「可愛いっていうのはおかしいですよー……」


 心外だと言うように、ライルさんは口を尖らせる。僕は謝りつつも、そういうところがまた可愛いと思われる部分だろうと思った。


「……実は、今回のことで決心したことがあるんです」

「決心、ですか?」

「はい。この研究所では、年に一度、二、三人の研究員が遠征を行うことになってるんですが、正直選抜メンバーに志願して、遠くの地で研究活動をする自信がなくって」

「……と、言うことは」

「お二人の勇気に力を貰いました。ボク、志願してみようと思います」


 照れ臭そうに頭の後ろを撫でながら、ライルさんは言った。言われたこちらも照れ臭くなる台詞だったが、同時に胸がぽっと温かくもなった。

 ライルさんの背中を押せたんだな、僕たちは。


「応援してます。これから先も困難は沢山あるでしょうけど、頑張ってくださいね、ライルさん」

「ふふ、そっくりそのままお返ししますよ、トウマさん。……勇者の旅は険しいと思いますけど、トウマさんなら、必ず魔王を倒せると信じています」

「お互い、いつかまた会って、良い知らせを報告できるといいですねー」


 僕たちは魔王を討伐し、ライルさんは研究で成果を上げ。そしてまた、いつかどこかで出会えるなら、それはとても素敵な時間になるだろうと思えた。


「また会いましょう。そのときまでに、立派な研究員になってますから」

「ええ、必ず」


 僕たちは、硬く握手をして、約束を交わすのだった。





 ノナークの町には、もう一日だけ滞在することにした。時間も微妙だったし、その日はもう、馬車便が無かったからだ。コーストフォード行きの馬車便があったので、セリアと相談して次の日にその馬車に乗ろうと決めたのだった。

 そして翌日、僕たちは朝早くに馬車の乗り場へ向かった。公都までは距離があって、また長時間の移動になるので朝の便しかないらしい。ずっと座っているのは辛いな、と一瞬だけ思ったのだが、徒歩で向かって野宿するよりは絶対にマシだった。

 前回の反省もあって、僕らはまず朝から開いているお弁当屋を探して昼食を買い、その後で待合所でチケットを購入して、指定された馬車のところまで行った。そこで運転手のおじさんにチケットを手渡して、後は出発を待つだけとなる。四、五分で準備が終わるとのことだったので、セリアを馬車の座席に残して、僕だけは少しの間、近くを散歩することにした。


「次はいよいよ公都か……」


 コーストンで最も大きな都市、コーストフォード。国の首都ともなれば人口密度も凄そうだ。引きこもり気質だった僕は、ずっと人混みが嫌で嫌で仕方がなかったけれど、今なら気にせず歩けるだろうか。それは行ってみないと何とも言えない、かな。

 一歩一歩、確実に。僕は成長出来ている。自分のスピードでいいから歩き続けて、いつかは大きな目標を、成し遂げよう。ライルさんや、他の色んな人に報告するためにも。


「……そろそろ戻るか」


 準備も終わったころだろうと、回れ右をして馬車に戻ろうとした僕は、そこではたと気付いた。道の端に、不思議な少年の姿があることに。


「――心配になって駆け付けたけど、見事に解決してくれたみたいだね」

「……え?」


 少年は、明らかに僕の方を向いて話していた。だから、その言葉は僕に向けられたものに違いなかった。

 でも、こんな少年のことは知らない。初対面のはずなのに、どうして……。


「……もしかして、クリフィア教会の?」

「うん。悪い噂が流れちゃったけど、一時的なものだし大丈夫そうだ。……お礼を言いたかったんだよ。丸く収めてくれて、ありがとう」

「いや……人の命がかかってたから。どうにかしないといけなかったんだ」

「はは、謙遜しなくても」


 ローブを身に纏っているけれど、祭服とは少し違う印象がする。白を基調にした、左右にスリットの入った服は、どちらかと言えば騎士のそれにも思える。眉あたりまでの青髪は、細く柔らかく、風に靡いてさらさらと揺れ、幼さの残る顔には、けれども強い意志を感じる眼光があった。


「初めまして。僕はサフィア=N=プロケル。旅立つ前に、話せてラッキーだった」

「こちらこそ、わざわざお礼を言いに来てくれるなんてびっくりしました。ありがとうございます」

「腰の低い人だなあ、そこがいいのかもだけど」


 サフィアと名乗った少年はくすくすと笑って、僕に背を向ける。町の方へ行くらしい。


「今日の恩返し、いつか出来たらいいんだけど。ま、僕も応援してるよ、最後まで頑張って」

「は、はい。必ず」

「ん。……じゃあね、アサギトウマさん」


 背中を向けたまま手を振って、彼は町の中へと紛れていく。それをぼんやりと見送って、しばらく経ってから、僕はおかしなことに気が付いて、首を傾げた。


「どうして……アサギトウマさん、だったんだろ」


 名前を知っていたのはどこかで聞いたのだとしても、この世界ではトウマ=アサギと言われているのに。

 わざわざそれを、ひっくり返して呼んだのは何故なのか。


「リューズ、だっけ。そっち方面の知識がある人なのかな……」


 セリアによれば、リューズは日本に似ていそうな国だという。その関係者なら、僕の名前をアサギトウマと言ってもおかしくはないが。

 ……何とも不思議な少年、だったな。

 またどこかで、会うことになるのだろうか。


「……おっと。いけない、いけない。セリアに怒られちゃう」


 疑問は消えなかったが、馬車の時間がある。僕は気持ちを切り替えて、乗り場へと駆け戻った。

 準備はもう終わっており、おじさんもセリアも馬車に乗り込んでいて、案の定僕は怒られてしまった。僕は、クリフィア教会の人にお礼を言われたのだと簡単に説明して、何とかその場をやり過ごすのだった。


 斯くして、神の教えを巡る小さな事件は幕を閉じた。

 けれど、僕には漠然とした予感がある。

 きっと、僕らはまだまだ関わることになるだろう。

 これで終わることはないはずだ。

 神が与えたもの。人々の解釈。

 いつかまた、そこに隠された問題に直面することになる。

 何の根拠もない直感ではあるにせよ。

 こういうときの直感は、決まって当たるものなのだ。


 馬車は進む。公都を目指して。

 その規則的な揺れに身を委ねて、僕はゆっくりと、眠りの中へ落ちていった。





「……さて、と」


 聖堂の外壁、その縁に座って足をぶらぶらと揺らしながら、少年は旅立っていく馬車を眺めていた。南へ駆けてゆく馬車の姿はゆっくりと、ノナークから遠のいていく。


「とうとう始まったね、ダン。全てに決着をつけるための、長い長い戦いの物語が」


 彼は――サフィアは、誰にともなく呟き、空を見上げる。晴れ渡った空。


「賽は投げられたわけだ。これでもう、止まることはない。後は、最後に叶うのが誰の願いか……それだけ」


 彼はやがて立ち上がり、慣れた動きで地面へと飛び降りる。そして軽く砂埃を払って、歩き始めるのだった。

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