9.これまでのこと
時計の針も十時を過ぎ、そろそろ二人とも欠伸が出るようになってきた。昨日も早めに寝たが、今日も疲れているし、この辺りで寝た方がいいかもしれない。
「はー、今日もよく頑張ったわねー……」
「ふふ、そうだね」
豪快に欠伸をするセリアを見て、僕はくすりと笑う。それを見逃さずに、彼女は僕を睨んでくる。何だかお決まりになってきたな。落ち着く時間だ。
「こんなのはまだまだ序の口で、魔皇と戦うなんてときには、きっと物凄く大変なんでしょうけど。……強くなって、もっと頑張っていかなくちゃいけないな」
「うん。経験を積んでかなくっちゃ」
「トウマは持ってるものが反則なのよねー、経験さえあれば後は一人で何でも出来ちゃうもの」
「はは……一人じゃできないことなんて沢山あるよ。頼りにしてます」
「してくれないと困っちゃうからね! 私は、してるから」
「……ありがと、セリア」
不意打ちのように、その言葉が胸に響いた。……セリアにそう言われるのは、とても嬉しくてむず痒い。
ふいに、昔のことを思い出した。嫌々ながら剣道の練習をして、早く家に帰りたいと、夕暮れの道を歩いていたとき。明日花が掛けてくれた言葉も、今のセリアのそれに似ていた。
――頼りにさせてね、刀真。
「……似てるな」
「え?」
いや、何でもない。そう言いかけて、やっぱり止めた。このまま隠し事をしているのは良くないと思ったからだ。正直に話すなら、早い方がいいに決まってる。
記憶喪失だと嘘を吐き続けるのは、僕には難し過ぎた。
「ちょっとだけ、話があるんだけど。大丈夫かな?」
「ん、眠たいけど大丈夫よ。大事な話っぽいし」
セリアは安楽椅子に腰掛けると、話を促すように、僕を静かに見つめてきた。
「驚かないで聞いてほしいんだけど……」
「うん」
「僕、この世界の人間じゃないんだ」
「…………はい?」
……そりゃ、当然の反応だよね。
「記憶喪失なんてのは嘘で、ホントはこの世界のことなんか何一つ分からなかったんだよ。僕は元の世界で高いところから落ちて、死んだと思ったらいつのまにかこのリバンティアにいた。そんな感じなんだ」
「……なるほど、分からん」
ゲーム脳の僕ですら、理解するのにかなりの時間が掛かったのだから、突然そんな告白をされたセリアについていけるわけがなく、腕組みをしてしきりにうーんと唸っている。
「そういう夢とか、記憶混濁とかじゃなくて? 別の世界?」
「そう、別世界。地球っていうところから僕は来たんだ」
「チキュウ……ねえ。全く耳馴染みのない言葉だわ」
「世界が違うんだし、なくて当然だとは思うけど」
「世界が違うと言われましても……」
受け入れがたい話を何とか咀嚼しようと、セリアは唸り続ける。
「つまり、この世界以外に、トウマが元いたチキュウっていう世界があって、トウマは何かの事故でここに飛ばされてきちゃった……って言いたいのね?」
「信じられないだろうけど、それが事実なんだ」
「……うーん……」
多分、逆のパターンだったら僕だって信じられないはずだ。例えば、セリアが僕の自宅に現れて、異世界からやってきた魔法少女だなんて言っても、怪しいコスプレイヤーくらいにしか思えないだろう。……まあ、セリアの場合は魔法を見せつければ信じるしかなくなりそうだが。僕には、証明できるようなものがない。
「最初に会ったとき、見たことない服装をしてたと思う。あれは、地球の学生の服なんだ」
「学生、ねえ。珍しかったけど、名前からしてリューズの人っぽかったから、リューズの衣装かと思ってた」
確かにそんなことも言っていたな。リューズというのは島国らしいし、いわゆる東方風の国なのだろう。ゲームの世界でも、変に日本染みた雰囲気の国があるのはよくある設定だ。……まあ、この世界は決してゲームじゃないが。
「……でも、全部事実だとして、どうしてそんなトウマが勇者だったんだろ? 突然違う世界からやってきた人が勇者になったなんて、それこそ意味が分かんないよ」
「それは……僕にも分からないけどさ」
勇者の紋があったから……なんて理由はおかしいし。それについては全くの不明だ。
「……僕だって、驚いたよ。こんなファンタジーな世界が存在するなんて。平凡で息苦しかった世界から、こんなドキドキする世界に来られるなんて。正直今でもまだ、長い夢を見てる最中なんじゃないかと疑ってしまうくらいなんだ。けど、頬っぺたを抓ったら痛いし、食べ物は美味しいし、絶対に夢なんかじゃない。僕は、ここに存在してる」
「……ええ、トウマはちゃんと、存在してるわ」
「だから、信じるしかないんだよ。そして、勇者になったからには、ちゃんと役割も果たしたいと、そう思ってる。神様が与えてくれた新しい人生なんだって、思ってるんだ」
「……神様が、かあ……」
大げさに思われたかもしれない。しかし、僕は真実そんな風に考えているのだ。だから、嗤われても気にはしない。
……でも、セリアは決して笑ったりはしなかった。
「……トウマ。私、さっきトウマのことを頼りにしてるって、言ったよね」
「う、うん」
「頼りにするって、相手を信じるってことだと私は思ってる。だから……突拍子な話だけど、私は何とか、それを信じたい。時間はかかるだろうけど……信じさせてほしいな」
「……セリア……」
あまりにも、優しい言葉。僕は彼女の答えに、感動して絶句してしまった。まだ出会って数日しか経っていない、それだけの関係なのに。そんな風に言い切ってしまえるセリアに、僕はただただ感謝するしかなかった。
……僕だって、頼りにしている。セリアを、信じられる。
やっぱり、隠し事をしたままじゃなくて、良かった。
「この旅の中で、トウマがこの世界に来た理由とかも分かればいいのにねえ」
「うーん、神様が呼んでくれたとかだったら、分かりっこなさそうだけど」
「神様にでも会わなきゃ無理かー。ハードル高いな」
「絶対に越えられない壁な気がする」
そもそも例えであって、神様がいると確信しているような、信心深い人間じゃないのだし。
「この世界には七十二の神様がいるとか聞いたことはあるような。まあ、それは別にどうでもいいか」
「はあ……僕もどこかで聞いたことはあるような」
「え? どこでかしら」
「げ、ゲームとか……」
「げえむ……?」
すいません、こればかりは文化の違いなので、絶対に伝わらないです。
「うん、まあ打ち明けてくれてほっとしたわ。記憶喪失って設定のままだと私、ずっとやきもきしてたかもしれないもの。元から何も知らないのなら、そういうものだと割り切れるわ」
「あはは……今後も色々教えてほしいよ。この世界に対して完全ビギナーな勇者だから」
「戦闘経験どころか、世界そのものを知らない勇者だもんねー、つくづくとんでもない奴だな、トウマは、この」
そう言いながら、セリアは軽く頭を小突いてくる。じ、地味に痛い。
「私にも出来ること、結構ありそうね。それも良かったわ。お勉強、していってあげなきゃ」
「よ、よろしくお願いします」
出来れば優しい指導をお願いしたいけれど。
「……その代わり。私もトウマがいたっていう別の世界のこと、教えてもらいたいわ。そうして具体的なことを聞いていけば、ちゃんと信じられるようになるだろうし」
「ああ、それは勿論。知りたいならいくらでも教えてあげるさ」
「オッケー、それで決まりね」
彼女はパチンと指を鳴らし、満面の笑みを浮かべた。その屈託のない表情に、僕も自然と笑みが零れる。
本当に、この子ときたら。
「それじゃあさ。そろそろ眠いし、ベッドに入ろうと思うんだけど。眠っちゃうまでの間、話を聞かせてほしいな。トウマが過ごしてきた、これまでのこと」
「……了解。ぐーすか寝息が聞こえるまで、お付き合いするよ」
「そんな寝息立てません!」
すかさず鋭いツッコミを入れられる。寝息はともかく、寝相は凄かったんだけどなあ。……それを言うと、今度は殴られそうだから止めておこう。
ともあれ僕らは、ベッドに入って電気を消した。そして地球のお話をだらだらとするうち、いつしか二人とも、夢の中へと沈んでいたのだった。
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