4.勇者の記した道

 小気味良い小鳥の囀りが、僕の目を覚ました。外は今日も快晴のようで、カーテン越しに朝の陽射しが淡く部屋に入り込んでいる。


「……んー……」


 ベッドから上半身を起こすと、僕は大きく体を伸ばして、重い瞼を擦った。セリアの方を見ると、彼女はまだ夢の中のようだった。……布団を抱きしめて眠っているのだが、パジャマが大きめのせいで肌がちらりと見えてしまっている。ちょっと、無防備すぎるんですが。

 起こすか起こさないかで少しだけ迷ったが、気持ちよさそうに寝ているので、目が覚めるのを待つことにした。どうせ早急にやらないといけないことなどはない。魔物と戦うシーン以外は、基本的にのんびりとした旅という認識でいいだろう。

 時刻は午前八時過ぎ。カーテンをそっと開いて、外の様子を眺めてみる。朝も早いのに、町の人たちは元気に働いているようだった。農具を担いで歩く男性、馬に餌をやる女性、他にも様々。これがウェルフーズの朝なんだな、と一人で感心していた。


「……んむ……」


 カーテンを閉めようとしたとき、隣でそんな声がした。セリアの方に目を向けると、ちょうどぼーっとした表情のセリアと目が合った。夢から覚めたばかりのセリアは、一瞬自分がどうしてここにいるのか思い出せなかったようで、寝転がったまま小首を傾げた。


「……あ……おはよう、トウマ」

「う、うん。おはよう、セリア」


 多分、セリアは朝が弱いんだろうなあ。僕も普段の生活のせいで、それなりに弱い方だけど、彼女ほどではなさそうだ。

 セリアは、ごろりと仰向けになってから、ゆっくりと身体を起こす。そして僕と同じように目を擦ってから、ハッとしたように自分の体を両腕で押さえた。


「うおっ、私だらしなっ! ちょ、ちょっとトウマ、あんまり見ないで!」

「あ、あはは……了解」


 仕方ないので、セリアがもぞもぞと服装を整えている間、背中を向けておくことにする。幸い引っ叩かれるようなことはなくて良かった。こういうイベントだと定番な気がするし。


「はあ……うん、大丈夫。よっぽど疲れてたのかしら、私」

「かもしれないね。凄い寝相だったし……」

「……え」


 あ。


「トウマの馬鹿!」


 ……で、結局引っ叩かれるわけですか。口は災いの元だな、ホントに。


「……え、ええと。朝ごはんにしましょ、朝ごはん」

「そ、そうしよっか」


 微妙な空気になりながらも、僕たちはとりあえず通話機でお爺さんを呼び、朝食を持ってきてもらうことにした。

 数分後に運ばれてきた朝食は、果物が沢山使われたメニューだった。パンケーキやヨーグルト、ジュースなど、恐らく全ての料理にウェルフーズの果物が入っているようだ。そんな朝食に舌鼓を打って、僕とセリアは今日一日の元気を補充させてもらった。


「ふう、満足満足」

「だね。新鮮な物を使ってると、それだけでも違うんだろうな。勿論、料理人さんの腕もあるだろうけどさ」

「私も料理が上手くなりたいわー」


 セリアはセリアで、結構上手かったと思うのだけど。まあ、あのときはお祖母さんの手伝いもあっただろうし、実力はそのうち見せてもらうことになるか。


「よし。それじゃ、今日の予定は情報収集と旅の道具を揃えること、かな。イストミアで剣とお金はもらったけれど、旅用品まではなかったからね」

「旅用品って、具体的には?」

「回復アイテムとか、トウマ用の鞄とか、あと外で寝ないといけなくなったときのテントとか、その辺かな。あと、こういう町にあるかは分かんないけど、しっかりした防具とかもね」

「おお、それっぽい」

「どれっぽいのよ」

「あ、いや気にせず」


 防具か。確かに農耕の町にそこまでしっかりしたものはなさそうだが、普通の服を着ているのは防御面で問題だな。お金には余裕があるし、何かしら防具を買っておいた方が良さそうだ。


「着替えが済んだら、町を回りましょ。魔物の被害を聞いて回りつつ、お店で必要な物を買っていく感じで」

「分かった。それじゃあ着替えようか」


 同じ部屋で着替えるわけにもいかないので、僕はバスルームで着替えることになった。外出の準備を済ませた僕らは、部屋に鍵を掛け、お爺さんに町へ出ることを伝えてから、宿屋を抜けた。

 外へ出ると、いきなり馬車が街道を駆けていった。北へ向かっていたから、ひょっとするとイストミアにでも食糧を運んでいるのかもしれないな。


「ふう、良い天気よね。風も気持ちいいわ。……とりあえず、市場が一番近いし、旅の必需品を揃えるとしましょ」

「了解。買い物が楽しみと思える日が来るなんてなあ」

「まあ確かに、普段買わない物を買うのって、楽しいイベントかも」


 セリアもそう言ってくれているし、退屈な時間にはならなさそうだ。

 まずは、すぐ目についた薬屋さんに入ってみることにした。話によると、セリアも初級薬くらいは調合出来るらしいのだが、自信がないので今のところはお店で買っておきたいとのことだった。まあ、自作出来るなら便利ではあるが、現時点でそこまでのことは求めなくていいだろう。


「いらっしゃいませー」


 眼鏡を掛けた、ローブ姿の女性が店主のようで、僕らが中に入るとおっとりとした声で挨拶をくれた。……店内が中々に薄暗いが、薬屋さんってどこもこんなに怪しいのだろうか。

 商品棚には、ポーションやマナポーションといった、分かりやすい名称の商品ばかりが並んでいた。これなら僕でも、何を買えばいいのか判断出来るな。それに、一つ一つがかなり小さな小瓶なので、沢山買い込んでも問題なさそうだった。ゲームをしているとき、九十九個も回復薬を買ってどうやったら持てるんだと一人ツッコミを入れたこともあったものだが、これくらい小さな瓶だったのかもしれないな。真相は不明だけど。


「こういう薬の効き目って、どれくらいなのかな?」

「そうねー、かすり傷くらいなら一瞬で治癒すると。マナの方は、初級魔法三回分くらいは一番安いポーションで回復出来ると思う」

「なるほど。この二つを買っておけば、当面大丈夫そうか」

「うーん、解毒薬とかも必要じゃないかしら。体の不調を何でも治せる秘薬とかもあるにはあるけど高いから、よく魔物が使ってくる攻撃に対処出来る薬だけは揃えておきたいな」

「えっと、それはこっちの棚だね」


 二人であれこれ言いながら、最終的にはポーションとマナポーションを十本ずつ、解毒薬と弛緩薬、気付け薬を三本ずつ買うことにした。全部合わせても五十シリンちょうどだったので、まだまだお金は潤沢だ。


「あ、そうだ。持ってても仕方ないし」


 思い出したように、セリアはおもむろに鞄のポケットを開く。そこには、昨日僕らが倒したスライムの核が入っていたはずだ。彼女はそれを取り出して、カウンターにコトリと置いた。


「これ、売らせてもらっていいですか?」

「あ、はい。一シリンで買い取らせていただきますが」

「それでお願いしますー」


 こんな素材でも、一シリンくらいで買い取ってもらえるのか。それならたとえお金に困っても、ひたすら魔物を倒していれば、貯めることは出来そうだな。

魔物を倒せばお金が貯まるなんて、生きやすい世界だ。


「ありがとうございましたー」


 店主さんの声を背に、僕らはお店を出る。スライムの核が入っていた鞄のポケットには、今しがた買ったポーション類をしまいこんでいた。


「どう? こんな風に、魔物を倒せれば誰でもお金が稼げるの」

「強ければ、誰でもチャンスはある。そんな感じがしていいね」

「うんうん。貧しいところの子でも、強くなってお金を稼いで、家や故郷に恩返しする。そういう話も結構あるからね」

「この世界では、強さはとても大事なことなんだなあ」

「ええ。守るための強さは、とっても大事ね」


 守るための強さ、か。……その言葉には、セリアの強い意志があるように思えた。

 その昔、両親を魔物に殺されてしまったセリアだからこその、強い意志が。

 それからぶらぶらと市場を歩き、次に見つけたのは雑貨店だった。それなりに大きいし、鞄や旅行用品も揃いそうな印象だ。他にも小さなお店はポツポツ並んでいるが、僕とセリアは迷うことなくそのお店に入ることにした。


「いらっしゃーい」


 カウンターから、元気な声が飛んでくる。若い声だな、と思ったら、何とそこにいたのは僕らと同じか、それより若いくらいの男の子だった。そばかすが印象的な、ボサボサした茶髪の男の子だ。


「色々あるから見てってねー、お安くしとくからさ」

「へえー、君がこのお店を?」


 セリアも気になったようで、質問している。


「父さんも母さんも体が弱いもんでねー、専ら俺が店番なのさ。助けるつもりで買ってってくれたら!」

「そ、そうなの……」


 結構大変そうに思えるのだが、本人の口ぶりはそうでもない。セリアが無理して明るく振る舞うタイプなら、この子は本当に楽観的なタイプという感じだった。


「……あれ? お兄さん、ひょっとしたら……勇者様だったりする?」

「あ……うん。分かるんだ?」

「分かるも何も! その勇者の紋があったら一目瞭然だよ!」


 やはりこの子も勇者に対して特別なイメージがあるようで、興奮気味に僕の手の甲を指差して言う。それから小声で、本物だーとか、まさか会えるなんてーとか呟いていた。


「言い伝えによると、イストミアを出てまず勇者が辿り着くのがこのウェルフーズだもんな。こうしてお店に来るのも自然っちゃ自然か。でもラッキーだなあ、勇者様にご来店してもらえるとは」

「はは、まだ旅立って一日目の新米勇者だけどね」

「でも、勇者の剣を抜いたらもう最強だっていう話じゃない。……あれ? そういえば剣が見当たらないな」


 う。昨日は指摘されなかったのに、こんな子に言われてしまうとは。


「はは……どういうわけか、勇者の剣が抜けなかったんだよ。こんなことは初めてみたい」

「ええ! それって、大丈夫なわけ? 確か魔王討伐には勇者の剣が必須だって聞いたことあるけど」

「必須って、そこまで?」

「いやまあ、勇者にしか魔王が倒せないからってのでそう言われてるんだ。ひょっとしたら、無くても倒せるのかもしれないけどよう」

「うーん、そう願いたい」


 噂はあくまでも噂だ。剣が抜けなかった時点で終了なんてことがあったら虚しすぎる。

 剣のことは考えないようにして、僕とセリアは商品を見ていくことにした。鞄は中くらいのサイズが便利そうだったので、試着もして背負い心地を確かめてから選んだ。それから、テントは魔法の機構を利用して、設置と折り畳みが手軽に出来るという優れものがあったので二人とも即決した。ついでに同じ仕組みの寝袋と、簡易的な調理セット、後は世界地図なんかも購入することにして、両手いっぱいの商品をカウンターに並べた。


「うおー、これで月の売り上げの六割くらいは……じゃなくて、ありがとーございます!」

「いやいや、これくらいは買わないと旅なんて出来ないからね。ここで揃えられて良かったよ」

「流石勇者様、太っ腹っす」


 言いながら、少年はテキパキと商品の値段を計算していく。慣れた手つきだ。もう長いこと、店番をしているのだろうことが分かる。


「あ、そう言えば勇者様」

「あはは……トウマでいいよ。それが僕の名前」

「トウマ様か。じゃあ俺も名乗らないとな。俺はジムっていうんだ。で、なんだけど」


 ジムは後ろの棚から何やら手帳のようなものを取り出して、僕の前に置いた。


「トウマ様は、もう日記は持ってるのか?」

「日記……? いや、持ってないよ」

「じゃあ、これだけ買ってくれたんだからオマケで付けとくよ。勇者は昔っから、旅の日記を書くものなんだから」


 言いながら、ジムは真っ新なノートも棚から取って、購入した商品の上に乗せる。


「……そうなんだ?」


 知らなかったので、隣にいたセリアに訊ねてみると、彼女も当然というように無言で頷く。


「ジムくん、じゃあこれって『勇者の日記帳』なのね?」

「そうそう、そっちに置いたのはそれだよ。欲しかったらそれもオマケしておこうかな」

「あら、ありがと。じゃあそうしてもらうわ」


 その日記について、説明するにはいい機会だと考えたのだろう。セリアの頼みで、日記帳もタダでもらえることになった。話の流れからして、日記帳には過去の勇者の日記がそのまま掲載されているらしい。


「勇者様が日記を書かなきゃ、どこでどう活躍したのか、詳しいことが分からなくなっちゃうかもしれないしさ。是非とも記録を残してくれよな。俺の店で買い物してったことも書いてくれたら嬉しいぞ」

「せ、宣伝だよねそれ……。まあ、続いてきたことなら僕もそれに倣うことにするよ。ありがとう、ジム」

「勇者様のためなんだから、いいってこと。ま、お店のためでもあるけど。……じゃ、締めて八フォンド二十シリンになります!」


 通貨単位が違うせいで、お金の感覚が鈍くなってしまうのだが、日本円に直したら八万二千円といったところだろうか。結構大きな買い物ではあるけれど、必需品だしケチっても意味はない。ここで粗方揃えられて良かったと思わなくては。


「ありがとうございました! 遠くへ行っちゃうんだろうけど、機会があったらまた何か買ってってくれな!」


 最後まで商魂逞しいジムに笑顔で手を振って、僕たちは雑貨店を出た。両手が荷物で一杯になってしまったので、宿に戻ったらまとめて鞄にしまい込まないといけないな。


「……それにしても、勇者が日記を付けてたなんて」

「そうよ。それが後世に残っているから、勇者の功績を皆が知ってるの」

「いつか彼らの旅した道を、世界中の人が知るんだね」

「ええ。……だから気を引き締めないといけないわ」


 ……前回の勇者は、長い間魔王を討伐出来なかったんだっけ。非難の声が多数上がっているのなら、日記の内容もあまり良いものじゃないということになる。僕は良い内容を記していけるかな。いや、不安になるより前向きにいかなくちゃね。

 

「さて、最後に防具を覗いてみて、買い物は終わりにしときますか。もう看板が見えてるし、行ってみましょ」

「おっけー」


 気を取り直して、僕はセリアの後に続き、武具屋に向かって歩き始めた。

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