2.異世界の町


「私はセリア。セリア=ウェンディよ。あなたは?」

「僕はトウマ。えーっと、トウマ=アサギ……だね」


 セリアに簡単な回復魔法をかけてもらい、脚の火傷を治療してから、僕は彼女に案内されて、町までの道を一緒に歩いていた。魔法なんてものを見てしまったせいで好奇心がくすぐられ、もう一回魔法を使ってみてほしいと頼んだら、変な顔をされたけど。


「アサギ? 不思議な名前ね。リューズ出身かしら」

「いや……うーん」


 何と言ったらいいものか、あれこれ考えてはみたものの、結局いい答えが見つからずに黙ってしまう。自分を助けてくれた恩人に、不誠実なことはしたくないのだが。

 ……この際非科学的だとかそういうのは置いといて、自分が今置かれた状況にはひとまず答えが出た。

 どうやら僕は、魔物や魔法の存在する世界へ迷い込んでしまったらしい。

 この目でスライムや雷魔法を見たからには、それを否定することの方が馬鹿らしい。さっきの光景は、全部現実のものなのだ。

 これはいわゆる、異世界転移というやつだろう。

 インドアな性格な僕は、今までこういう世界に憧れを持ち続けていた。休みの日にはRPGを何時間もぶっ続けでプレイしたり、通学の電車ではファンタジーもののライトノベルを読んだりと、現実から逃避するように虚構の世界へ没入してばかりいる人間だった。

 でも、まさか、現実にこんなことになるとは、思わないよね?

 ……そう言えば、屋上から突き落とされたとき、神様にお願いごとをした気がする。明日花と一緒にいられる未来がほしかった、と。……それがこんな捻じ曲がった形で叶ったとか、そういうわけじゃあないだろうな。


「……どしたの?」

「いや……」


 明日花に似ている彼女をちらちらと見ながら、僕は脳内をクエスチョンマークで満たしていた。

 本当に似ている。ついさっきまで僕の傍にいた――僕を突き飛ばした、明日花に。


「アスカって名前、知ってる?」

「うん? 貴方のお友達の名前かしら?」


 キョトンとした様子で聞き返してくるセリア。どれほど似ていても、やっぱり彼女と明日花は別人だ。

 複雑な気持ちにはなってしまうけれど……とりあえずは、あまり意識はしないようにしよう。

 さっき周囲を見回したときに発見していた町が、セリアの住んでいるところらしい。結構距離があるかとも思ったが、十五分ほどで入口の門までやって来られた。規模としては、そんなに大きな町ではなさそうだ。人口にして百人くらいだろうか。


「ふう、お疲れ様。ここが私の住んでる町、『イストミア』よ。国の中じゃ小さい町だけど、有名だから聞いたことくらいはあるんじゃない?」

「あ、あはは。申し訳ないんだけど僕、全然知らなくてね……」

「ええっ? イストミアと言えば、世界中で知らない人なんていないと言っても過言じゃないのに……トウマ、あなた本当に何者?」

「……えーっと」


 言い淀んでいると、セリアは突然顔を近づけて、こちらの目をまじまじと見つめてきた。

 ち、近い……。


「ひょっとして、あなた……」

「……」

「……記憶、なくなっちゃってるとか?」

「……あ」


 そうか。その手があったか。


「そ、そうそう。実はそうみたいなんだ。自分の名前以外、思い出そうとしても全然ダメで」

「そうなんだ……流石に心配ね。着ているものも珍しいし、特徴のある顔でもないしなあ」


 特徴のある顔じゃないってのは、ちょっと傷つくような。まあ、マイナスな特徴もないってことだから、良いと言えばいいんだろうか。

 ……って、彼女からの評価を気にしても意味はないんだけど。


「どうしてあんな何もない原っぱにいたのかしら。最近不審者がいたって話も聞かないし」

「さあ、僕にも心当たりがないから……」

「ま、記憶がないなら当然よねえ……」


 しみじみと言いながら、セリアはまた僕の方に目を向ける。


「んー、本当に手がかりとか、ないかな?」


 すると彼女は、まるで探偵かなにかを気取るように、手を顎に当てて僕の体をじろじろと観察し始めた。流石に恥ずかしいんですが。


「……あれ……?」

「うん?」


 セリアはきょとんとした様子で、僕の右手に視線を注いでいる。珍しい痣があるから、気になったのだろう。……そう思ったのだが。

 何を思ったが、彼女は突然僕の右手にそっと両手を添えると、困惑した表情を浮かべてぼそりと呟くのだった。


「これって……」


「おーい、セリアちゃん!」


 ふいに、町の中から男性の声が飛んできた。彼女の知り合いのようだ。声を聞くとセリアは慌てて僕の手を離し、その男性の元まで歩み寄っていった。僕もゆっくりと後を追いかける。


「どうも、イアンさん。休憩ですかー?」

「ああ。ちょうど一息つこうかと、店から出てきたところさ。セリアちゃんは」

「それが、のんびり薬草の採集に行こうかなーって思ってたんですけど、魔物に襲われてる人を見つけちゃって」

「ん? そういや、見ない顔……というか、服装だな」

「ど、どうも」


 コミュ症な僕は、弱々しい声でイアンと呼ばれたその男性に挨拶をして、軽く頭を下げる。セリアは明日花に似ていたから何となく自然に話せたけれど、他の人はハードルが高い。


「旅人さんかい?」

「それが、記憶がないらしいの。いつのまにか向こうの草原に倒れてたって……」

「何だって? そりゃあ大変だな……」


 イアンさんまでもが、僕を心配そうに見つめてくる。気持ちは嬉しいのだけど、ちょっとくすぐったい感じがするし、嘘を吐いている心苦しさもあって、逃げ出したくなった。


「……イアンさん、ひょっとしたら、もっと大変なことかもしれないです」

「お? セリアちゃん、それはどういう……」


 イアンさんが首を傾げる。そして僕も同じように首を傾げた。さて、セリアは一体何を言っているのだろう。僕、変なことをやらかしてしまったりしたっけ……。


 ぐい、と僕の右手が掴まれる。そしてセリアは、イアンさんに向けてそれを見せた。


「これ……」

「……おいおい、まさか……」

「あ、あのー……どうしたんですか」


 人の痣を見て驚かれると、反応に困ってしまうのだが。


「お前さん、これは怪我ってわけじゃあないのかい」

「はあ。生まれたときからありますよ。……あ。あったと思います」


 いけない、いけない。記憶喪失なのをうっかり忘れそうになる。

 でも、こんなどうでもいい痣が、一体どうしたって言うのか。形はどうあれ、痣なんて誰でも一つや二つ、持っていそうなものだけど。


「……勇者の紋……」


 ――え?

 今、何かとんでもないワードを耳にした気がする。

 勘違いだと思って、僕は首を振る。


「ええ……この十字型の痣って、伝わっている通りの形ですもんね」

「うむ。俺もまだそこまでの歳じゃねえし、前回のことは知らねえけどよ。……これは、言い伝え通りの勇者の紋にまず間違いねえだろ」


 ドキリとする。

 今度こそ、聞き間違いではないようだった。

 ……勇者の紋、だって?


「あ、あの……どういうことでしょう?」

「あのね、トウマ。さっき私、この町が世界中で知らない人なんていないほど有名って言ったじゃない? それには理由があるのよ」


 そんな風に語り掛けてくるセリアの眼差しはいつの間にか、とても真剣なものになっていた。


「コーストン公国東部、辺境の町イストミア。……ここはね、トウマ。勇者が生まれる町として、世界中の人に知られているのよ」

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