69 秘密

 火星統制局幹部の対応が終わり、応接室でティーカップを片付けるムト。

 開いたままのドアをノックする音に振り返ると、さっき部屋を出ていったメネドが入口に立っていた。


「どうしたんですか」

「ちょっとお願い事があってね。さっき想起術も得意だって聞いたけど、ちょっと力を貸してくれないかな」

「はあ… どういったことですか?」

「ここじゃなんだから、あっちで話そう。それ、手伝うよ」

 ティーカップを手に取るメネド。

「えっと。どこに持っていけばいいかな?」

 

 



§§§



 


 食器を洗い終え、想起術の訓練で使われる個室に向かう二人。


 ムトが部屋の扉を閉めると、椅子に腰かけたメネドが口を開いた。

「エアの住人が過去の記憶を失っているというのは、あまりいいことではないんだ。記憶を失うのは、自分が忘れると決断することだからね。自分が目を背けたい記憶を閉じることで、記憶喪失は生まれる」

 

 少し間を置き、メネドはムトの目を見据えた。


「実は、私は、前の身体の記憶がないんだ」


 目を見開くムト。

「俺にメネドさんの記憶を、呼び起こせってことですか?」

 メネドは首を縦に振った。 

「でも、エアにはいくらでも、俺なんかより優れた術者がいるじゃないですか」

 メネドは、ただ微笑むばかりで、その質問には答えなかった。


「ちょっと上司に相談してみます」 

「わかった。そうだね。君に頼んだのが、間違いだった。エアに帰ったら自分で何とかするよ」

 

 そう言うとメネドは、両手をムトにかざした。手の平から漂う淡い光の霧が、ムトの全身を覆い次第に頭部へと集まっていった。


「どうやっても、自分の力では記憶を引き出すことができなかった。向こうでやっては足がつくし、しょうがない」

 メネドの頭に両手をかざし、目を閉じるムト。

「いい子だ。いい子だ。その調子で頼むよ」

 先ほどの抵抗感は喪失し、素直に想起術を施すムト。


 手の平から発せられた光が、メネドの頭部に集中する。


 メネドの脳裏に浮かぶ様々な光景。心拍数が上がり息が荒くなる。メネドは眉間にしわを寄せ、しばらく唸っていたが、数分もすると力みが体中から取れ、表情も穏やかになっていった。


 閉じた両眼から涙が零れる。メネドは目を閉じたまま涙を拭った。

「わかった。自分が何者なのか」

 目を開けたメネドは、頬を緩ませて目を輝かせた。


「自分が何をするべきなのか。今、わかった」

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