最終話

私はお兄ちゃん(彼)とはその日以来会っていない。

公園でも姿をみることはなかった。

両親が虐待で逮捕されて、私と弟は施設に預けられた。

学校は転校しないで済むような距離の施設だったので私はそのまま中学校に通った。

学校のなかではいろいろな噂がたったが、悪く言う人もいれば、励ましてくれる人もいる。

酷いことをした義父とそれを見て見ぬふりをした母親とは二度と会いたくなかった。

施設側の人も高校を出るまでは施設で暮らしなさいと言ってくれているし、弟はそのうち母親が引き取ることになって、それは淋しい思いをするのは分かっているのだが、あの親たちと暮らす地獄を考えればずっとましだった。

もう公園にも行っていない。

桜の咲くころにお兄ちゃん(彼)と出会った。

私は冬の時期から桜のほのかなつぼみの痕跡を求めて公園のなかの桜の木を捜して歩いた。

小さい丘の上にひとりで立っているまだ若そうな木のなかにつぼみの芽が出ているのを発見したのは3月の中頃だった。

私は毎日木の下で成長を見守っていた。

お兄ちゃん(彼)は私の背後から声をかけてきた。

「おはよー」

爽やかな笑顔で私に微笑んでいる高校生がいた。

それが峯村和広君との出会いだった。

何回か挨拶を交わすうちに彼の中学と同じ中学に通っていることが分かった。

つまり私の先輩だった。

彼はいつも爽やかに笑いかけてくれた。

そのころの私は毎日地獄のような生活をしていた。

母親はまったく家事をしないので、買い物から料理、洗濯も掃除もしていた。

母親は家事をやらせるために高校へ行かせたくないような口ぶりだった。

父親は本当のお父さんではなく、2年前から一緒に暮らしていたのだけど、後から分かった事だけど、籍は入っていなくて、性格に言うとお父さんではなくて、ただのおじさんだったわけだった。

その父親が母親がいないときに私を襲った。

母親はそのことを多分知っていたのだろうが、見て見ぬふりをしていた。

そんな地獄のような生活のなかに突然現れたのが峯村和広君だった。

彼は私の2年年上で、背が高くてやせていて、けっしてイケメンではないけれど、やさしそうな笑顔が素敵なお兄ちゃんだった。

私は毎日挨拶を交わすうちに、学校が無い日に会うようになった。

私はお兄ちゃん(彼)が信用できる人だと確信して親から受けている酷いことをすべて話した。

お兄ちゃん(彼)はいろいろと考えてくれて、先生に相談するときも一緒に話を聞いてもらったりもした。

そしてやっと警察が動きだしてくれて母と男を逮捕してくれて私は地獄から解放された。


施設に入る前に私はひとりで公園の桜の木の下でお兄ちゃん(彼)を待っていた。

親が逮捕されたことを知らせたかったことを報告したかったのに、お兄ちゃんは姿を現せなかった。

次の日は施設に入った日だったけど抜け出して私は桜の木の下にいた。

そこに行けば お兄ちゃん(彼)に会える気がした。

だが、姿を現すことはなかった。

考えてみれば私のスマホにお兄ちゃん(彼)のアドレスは登録されていなかった。

ラインも知らない。

何回もデートしたけど、彼の写真は撮っていない。

名前は分かっていたので、学校で卒業アルバムを捜した。

2年年上だからその年度のアルバムを図書室で見た。

だが、彼はどこにもいない。前後の学年のアルバムを捜しても彼の名前はなかった。峯村和広はどんな人だったのか。

確かに同じ中学だと言った。

だが、彼の名前は中学のどこにも存在しない。

他の中学の人だったのだろうか。

彼は恥ずかしくてわざと私の中学の名前を出しただけなのだろうか。

公園の近くの家をしらみつぶしに峯村という表札を捜した。

だが、どこにもその名前はなかった。

住んでいる人に聞いてみたが、峯村という名前はこの住宅街にはいないと、名簿で捜してくれた人もいた。

私は困惑した。

彼はどうして姿を消したのか。

どうして同じ中学という嘘をついたのか。

それを考えて2日間眠れなかった。そうして私は確信したのだった。


彼は存在しない。


つまり峯村和広は私の妄想のなかの人物だったのだということが分かった。

桜の木の下で会った笑顔が爽やかな高校生の男の子は私の分身だったのだ。

それが一日のうちに何回か入れ替わってひとりの私として存在していた。

後になって分かったことだが、ショッピングモールのフードコートでひとりで飲み物を飲んでいる私を目撃したという人がいたのだ。

そのときの私はだれかと楽しそうに話しているようだったが、よく見るとひとりだったということだった。

私の記憶のなかには確かに峯村和広は存在していた。

だが、もう会えないのかも知れない。

きっと彼は私が地獄のときに現れるのだろう。

そういうときだけに。

私が幸せになると出て来ないのかも知れない。


だが、私は諦めない。

来年の春。

あの丘の桜の木の下で私はまた桜の木を見上げているだろう。


そこに彼が来てくれることを信じながら。







終わり。














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桜の木のしたで egochann @egochann

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