第71話

(マズい! これはマズいよ⁉ いや、繭姉は恋人じゃないし、やましいことは一切ないけれど! でもバスローブ姿の夏川さんと一緒にラブホテルにいるなんてことがバレたら……おっと、想像しただけで悪寒が!)

 夏川は携帯を手に取った小森の異変をすぐに感じ取る。

(あれ……? 急にどうしたのかしら。突然、顔色が悪く――って、まさか発信先って高嶺さん⁉ だとしたら翔太くんが気まずそうなのも頷けるわ。だって彼女がいながら私とラブホテルにいるんだから。でもね翔太くん、その反応は私の嫉妬を買うわよ)

「鳴っているわよ。早く出てあげたら?」

(夏川さんが急に不機嫌に⁉ いくらなんでも感情がコロコロ変わり過ぎじゃないかな? 女の子の機嫌が山の天気より変わるのって本当だったんだ!)

「ええっと……電話はいいかな。それよりさっきの話だけど――」

「――出なさい」

「はい。それじゃ失礼して」

《氷殺姫》と呼ばれる夏川の鋭い声音と冷気。そんなものを当てられた小森が断り切れるはずもなかった。

『「もう。電話しても全然取ってくれないから心配したよぉ、翔ちゃん」』 

「えっ? 何度か連絡してくれてたの繭姉?」

『「うん。さっきまで電源落としてたでしょ。怪しいなぁ。何してたの?」』

「なっ、ナニもしてないよ⁉」

『(おいおいなにをそんなに焦ってんだ……もしかして男にとってイケないタイミングだったか?)』

 声が裏返った返答に思案する高嶺。何事かと推理していると、


「ひゃあっ‼」


 小森翔太は悲鳴を上げてしまう。

 疎外感を覚えた夏川が小森の太ももをさすり始めたからだ。それは好きな子の気を引こうと悪戯する少年のようである。

『「えっ、何⁉ どうしたの⁉」』

 突然の悲鳴に驚く高嶺。通話先の光景など知る由もない。

(ちょっ、いきなり太ももを撫でてくるとか正気ですか⁉ こちとら通話中ですけど⁉)

(ダメだわ。翔太くんに恋人(高嶺さん)がいることを自覚した途端、彼を独り占めにしたい欲望が抑えられない。だからこんな悪戯をしてしまうのね)

「なっ、なんでもないよ繭姉……ちょっと電波が悪くてさ」

『「ふーん。じゃあさ、今どこにいるの?」』

「ショッピングセンターの近くだけど……」

『「実は翔ちゃんに話しておきたいことがあるんだ」』

「話したいこと……?」

『「うん。だからこのあと会えないかな?」』

「じゃあ――」

 どこかで落ち合おう、小森がそう告げようとしたとき、

「――はうん!」

 再び桃色の吐息が漏れてしまう。夏川が彼の耳に息を吐きかけたのだ。

(いくらなんでも悪戯が過ぎますよ夏川さん! さっきから怒ってますオーラ全開じゃないですか。まっ、まさか……! 話を遮られたことにそこまで腹を立てて⁉)

 涙目になる小森。視線で「勘弁してください」と訴えかけるものの、夏川は「シーッ」と指を立て、冷たい表情である。

よもや彼女の悪戯が嫉妬から来るものなど知る由もない。

(いや、「シーッ」じゃなくて‼ さっきから背徳感に圧し潰されてしまいそうなんですって! 恋人と通話している状況で、扇情的な恰好の美少女から太ももを撫でられるって意味不明ですからね⁉ 何この特殊プレイ! しかもここラブホテルだよ⁉ なにこれ⁉ いつの間に僕は成人向けの同人誌に足を踏み入れたんだ⁉)

『「ねえ……もしかして今誰かと一緒なの?」』

(ほら、繭姉が勘づいちゃったじゃないか! えーと、どうしよう⁉ どう答えるの正解なの? さすがに夏川さんの名前を出すわけにはいかないし……)

 まるで浮気を疑われているような質問に動揺を隠し切れない小森。思考がまとまらない。

『「もしかして夏川さん?」』

「チガウヨ! 一人だヨ⁉」

 図星に慌てて否定する小森。夏川からすれば必死に隠し通そうとしているように見えたらしい。彼女の目は笑っていなかった。

(なによ。そこまで必死に隠そうとしなくてもいいじゃない。そんなに私と一緒にいることを高嶺さんに知られたくないのかしら……さすがにムカつくのだけれど)

 小森の一連の言動を「夏川と一緒だということを高嶺にバレたくない」と捉えた夏川は嫉妬と悔しさを抑えきれずにとうとう爆弾発言をしてしまう。

「ラブホテルの浴室って摺りガラスなのね!」

(ワッツ⁉ それをいま大声で言う必要ってあります⁉ まるで繭姉に聞かせようとしているみたい……って、それが目的⁉ えっ、ええ⁉ そんなことして夏川さんに何のメリットがあるのさ⁉ むしろマイナスでしかないと思うんだけど!)

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