第52話


 姉の暴言に黙っていられない大橋健吾。

 弁解しようとするものの、

「まったく……恋人にこんな下着を穿いて欲しいなんて彼も困ったものだわ」

 視線と言葉で釘をさす夏川雫。

 副音声は「合・わ・せ・ろ・や」である。

 姉弟きょうだいである彼がそれを読み取れないわけもなく、


(いい加減にしろよマジで! 正直に「翔太くんのために勝負下着を買いに来ました」って打ち明けろや! どうせはしたない女だと勘違いされたくないんだろうが爆弾を放り投げてくんじゃねえ! こっちは大火傷だっての! ……はぁ、仕方ねえ。見渡すかぎり他に知り合いもいねえみてえだし……今回だけは乗ってやる。そのかわりこれは借しだからな! ちゃんと小森を落としてもらうぞ)


「……そっ、そりゃ俺も男だからな。自分好みの下着を穿かせたいと思うのは当然だろ。小森だってそうだろ?」

「ええっ、僕⁉︎」

「おいおい何だその驚きよう。彼女を連れて下着屋に来てんだ。俺と一緒だろうが。というか――」


 夏川姉弟きょうだいには小森と遭遇してから共通の疑問があった。

 それは、


((――お前誰だよ⁉︎))


 彼女たちにとって小森翔太の外見は客観的に見て普通。それ以上でもそれ以下でもない。

 故に制服姿の彼は特筆すべき点がなかった。

 しかし泉天使によってプロデュースされた現在の小森翔太は控えめに言って好青年。


 陰キャとは決して言えないレベルである。

 昨日の今日でこの変貌。

 彼女たちが戸惑うのも無理はない。


 ということでその疑問を口にする大橋健吾。

 しかし小森翔太にとってその質問は頭を悩ませるものだったらしく、


(そりゃそうだよね。クラスで目立たないモブが急に色気立っているんだから気にならない方がおかしいよ。彼らの疑問はごもっとも。とはいえ困ったな。だってさ……)


 小森翔太はさりげなく試着室へと視線を向けてみる。そこにはカーテンのわずかな隙間からこちらを覗き込んでいる泉天使の姿があった。


(ここでバカ正直に「あっ、実は天使さんにプロデュースしてもらいまして」なんて言えるわけないじゃん! それ言ったら一巻の終わりだからね⁉︎ 僕には繭姉という彼女がいるのにも拘らず、別の女の子と休日に出かけたあげく、垢抜ける手伝いまでさせたことになるんだから。しかもその娘が大橋健吾くんの彼女という現実……ひええええっ‼︎ それもうダブル不倫じゃん! 絶対にバレちゃダメなやつじゃん! 僕に残された選択肢は――)


 今度は夏川雫と高嶺繭香の着衣室に目を向ける小森翔太。

(――「夕方から夏川さんとお出かけできるのが嬉しくて張り切っちゃいました」は……無いな。これは無い。夏川さんからプレゼントを贈られるだなんて大橋くんは夢にも思っていないだろうし、これを口にすれば「えっ? なんでお前が俺の雫と出かけることになってんの?」と修羅場直行。殴られる未来しか見えない。泉さんもダメ。夏川さんもダメ。ちょっと健吾くん……見境がなさすぎるんじゃないかな? となると僕が安全に口でできるのは――)


「繭姉との初デートが嬉しくて……その……似合わないと思いながらも頑張ってしまって……モブがなに張り切ってんだよって感じだよね。すみません」


 いつもの癖で自分を卑下してしまう小森翔太。

 しかし彼は知らない。

 この言動で胸にナイフを突き刺した女の子がいることに。


(いやああああああああああああっ! 格の違いを、格の違いを見せつけられたああああああっ! ……私と偽装カップルをしているときは全然普通の格好だったじゃない! それってやっぱり本命高嶺さん偽装カップル夏川雫には天と地の差があるってことよね⁉︎ 少なくとも身なりに気を使う程度には! なんでよ⁉︎ どうして私のときも張り切ってくれなかったのよ翔太くん!)


 口から魂が抜けていく夏川雫。

 そんな彼女と対照的だったのは、


(ちょっ、ちょっと待てって! ずいぶん身なりを整えて来たとは思っていたけどよ……やっぱり印象良く思ってもらうためだったのかよ⁉︎ めちゃくちゃ健気じゃねえか。やっべえ。なんだこれ? 急に身体が熱くなってきやがった! 心臓も早鐘のように……いやいやいや! ねえっての! この私が小森なんかを意識するなんてありえねえ! 正気かよ⁉︎)


 そして彼女たちとは違うベクトルだったのが、

(ええっ⁉︎ なにそれ⁉︎ まさか午後からの予定ってデートだったの⁉︎ そんなのお母さん聞いてないよ? どういうこと翔太さん!)

 試着室でずっと聞き耳を立てている泉天使だった。

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