第26話
待つこと一時間半。
泉さんの高ぶった感情がようやく落ち着いたようだ。
細い指で涙を拭いながら、
「失礼しました。どうやら目にゴミが入ったようです」
「それにしては長いこと待たされたような……」
「小森さんが視界に入ったものですから」
「ちくしょうゴミは僕だったか!」
できるかぎり明るくツッコむ僕。
なにせ視線の先には目が充血した女の子がいるんだ。
できることなんて知れているだろうけど、せめて自暴自棄にならないよう落ち着かせてあげたい。その一心だ。
「そう言えばまだお名前をお伺いしてませんでしたね」
「名乗りましたけど⁉︎ ていうかさっきおもいっきり呼んでましたよね?」
「あれ、おかしいですね。私は見聞きしたものは絶対に忘れない完全記憶能力を持っているはずなんですけど……」
「欠陥だらけじゃん!」
「えっ、小森さんがですか? たしかにその通りですがあまり自虐ネタは感心しませんよ?」
「違うよ? 僕じゃないよ⁉︎」
「またまた。ご冗談を」
何をバカなことを、そんな感じで手を振る泉さん。
欠陥だらけってどういうことさ!
否定しきれないところがこれまた悲しい!
「冗談で自虐なんて言わないよ」
「……くすっ。本当に面白い人ですね小森さん」
「僕はちっとも楽しくないけどね!」
「私は楽しいですよ?」
「それただのサディストじゃないかな⁉︎」
「よかったら顔を叩きましょうか? それとも熱いコーヒーを顔にかけます?」
「どっちも嫌だよ‼︎ というかなぜ顔を⁉︎」
「だってほら小森さんの顔って残念――はっ! あぶないところでした」
「いやアウトだから。普通に言い切ってたから。いまさら口を手でふさぐ仕草をしても遅いから」
「辛いのはご両親ですよね。本当にごめんなさい」
「辛いのは僕なんですけど⁉︎ というか僕ってそんなに残念な顔なの⁉︎」
「ところでさっき見た
「この流れで⁉︎ ええっ⁉︎ 嘘でしょ! 唐突にもほどがある!」
とツッコんだものの、本題はやっぱり修羅場であるわけで。
それについて終わらないと僕も帰してもらえないだろうし。
「……えっと。僕に聞きたいことがあるんですよね?」
「はい。薄々勘づいているでしょうけど私は先ほどの彼――大橋健吾さんの
本命。その言葉を選んだ泉さんの想いがヒシヒシと伝わってくる。
「やっぱりそうだったんだ」
どうやら夏川さんの
「はい。だからこそ
「うん。僕で答えられることなら――って、ん?」
泉さんの言葉に強烈な違和感を覚える僕。
中でも特に引っかかったのが、
「あれ? 僕夏川さんの名前を出したっけ?」
そう。これだ。
まさか泉さんの口から夏川さんの名前が出てくるとは思わなかった。
てっきり僕が進路希望調査票を手に持っていたから『あの女は誰よ⁉︎』みたいな質問がくると踏んでたんだけど。
「他校生と言えど夏川さんは有名人ですからね。特に私はミーハーですから存じ上げておりました。だからこそショックも大きかったのですが――」
なるほど。そりゃショックも大きいだろうね。
なにせ他校でも名を轟かせる有名人と自分の彼氏が付き合っていたんだから。二股されていただけでも衝撃的なのにその相手が夏川さんって……僕が逆の立場だったら失神してしまいそうだ。
「――記憶が正しければ夏川さんは二、三ヶ月前に恋人が出来ましたよね。《氷殺姫》と揶揄される彼女に恋人ができたことは噂になりましたから。ただその相手が誰かは興味がなかったんです。私が健吾さんから告白されたのもちょうどその時期でしたから」
なるほど。そりゃ自分の恋が成就した時期に他人の恋なんて興味がないよね。
泉さんは一呼吸置いたあと、
「やっぱり告白された時点で二股されていたってことでしょうか? 夏川さんと同じ高校に通っていた小森さんなら知っているんじゃないですか? 健吾さんが
おっと。なにやら複雑になってきたぞ。
夏川さんに恋人が出来たことは他校でも噂になっていた。それは泉さんも耳にしていた、と。けれどその相手が誰だったかは興味がなく知らないまま――。
だから僕が夏川さんと偽装カップルになった三ヶ月前のことを大橋健吾くんに置き換えて考えてしまっているような気がする。
とはいえここはどう答えたもんか。僕は足りない脳みそを振り絞って最適解を探っていた。
ここで難しいのは僕が嘘をつくかどうかだ。
大橋健吾くんが二股をしていたのは間違いないだろうし、肩を持つわけではないけれど、三ヶ月前に僕と夏川さんが偽装カップルを始めたことを考えると彼の二股はここ最近だと推測できるわけで。
なにせ夏川さんの僕に対する態度が硬化し始めたのも最近だからだ。
三ヶ月前から本命の彼氏がいるならわざわざ偽装カップルなんてする必要はないからね。
しかしそうなると僕は夏川さんとの関係を今日出会ったばかりの女の子に明かさないといけないわけで。
それはやっぱり抵抗がある。というか説明が非常に面倒だ。
だって考えてみてよ。ここで僕が、
「あっ、いや大橋くんが浮気をし始めたのはここ最近じゃないかな。だって三ヶ月前なら僕と夏川さんが偽装カップルをしていたからさ」
なんて言った日には「はっ?」としか言いようがないもん。間違いなく意味不明だ。
だからこそ僕は対外的には本当のことを口にすることにした。
それがまさか知りたくなかった現実を突きつけられるとも知らずに。
「えっと……夏川さんと大橋くんが付き合い始めたのは最近じゃないかな?」
「えっ、どうしてそう思うんです?」
「信じられないかもしれないけどさ……実は三ヶ月前に夏川さんと恋人になったのは僕だから、かな」
「はっ?」
あれ。せっかく言い回しを考えたのに意味不明な反応をされちゃったんだけど。
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