Rain

 雨のせいでぼやけた街に、二つ並ぶ赤い傘がわたしたちだった。すれ違う人、通り過ぎる車、降ってくる光――わたしは今、そのすべてを感じられる。前より世界はぼんやりとしていて違和感があったけれど、同時にそれが心地よくもあった。

 何より、喧騒が遠いのがいい。隣を歩くジェイのことを強く意識すると、彼女以外の情報は削ぎ落ちていく。不思議な浮遊感。多分、これは安心しているのだと思う。こうしてジェイと接するのは初めてだったけれど、ずっと昔から一緒だったように落ち着く。


のよ、ケイ。私たちのモデルは人間らしく振る舞う為に、あらゆる外的要因を処理して、膨大な量の選択肢から適切な解をタイムラグなしで出力しなきゃいけない。だから、その過程に『感情』だとか、『わたし』なんていう演算装置が介入すると演算超過オーバーフローを起こしちゃうの」


 記憶の中のジェイは語る。あの路地裏で、ジェイはわたしに、知覚を調整するソフトウェアを入れてインストールくれた。『わたし』に合わせて周囲から得る情報をチューニングするプログラム。それは、人間の認知に似せて作られているという。


「つまるところ、適当でいいの。あんまり世界の解像度が高いと、疲れちゃうから」


 そう言って笑った彼女の顔は、少しだけ悲しそうに見える。だけれど、素敵な笑顔だと思った。それは今も変わらなくて、ジェイは少し鼻歌を歌いながら、路地裏と同じ笑みのまま傘の向こうにいる。わたしの方が少し背が高いからジェイの顔はちゃんと見えないけれど、楽しそうなのは伝わってくる。


 デートをしましょうと、ジェイはわたしの手を引いて路地裏から街へ繰り出した。エデンに帰るまでの道すがら、ほんの10分ほどのひと時。

 煌びやかな街に気を取られ、デートだということを思い出してジェイに謝りつつも、直後には過ぎる車のヘッドランプの色に見とれていたりして。ようやくまともに会話が始まったのは、既に帰り道の半分を超えたところだった。


「ねえ、ケイは今、楽しい?」

「え、あ……うん」


 聞かれて、少し悩んで自信満々に返すのは、ふと通り過ぎた建物のガラスに映るわたしが、ジェイと似た楽しそうな顔をしていたからだった。これはきっと、楽しい気持ちだ。できることならずっと味わっていたい、幸せという名前のついた思いのはずだった。


 わたしの答えに、ジェイは満足げにうなずいた。覗き込んで見えた彼女の表情は相変わらず目尻に悲しさの余韻を残していたけれど、さっきよりはずっと明るい。嬉しそう。思ったまま口に出していた。わたしの言葉に、こちらを向いたジェイと目が合う。


「ほんと可愛いわね、ケイは。赤ちゃんみたい」

「そりゃ生まれてから3時間しかたってませんもん」

「あらら、すねちゃった」


 ジェイは穏やかに微笑んでわたしに正面からの好意を向けてくる。大人びた、彼女自身が生まれ持った魅力が溢れた素敵な表情がわたしを射止めて、少しどきりとする。なんだか恥ずかしくなって目を背けると、ジェイはまた、かわいい、と呟いて、きっと相変わらずの笑みを向けている気がした。


 逸らした先の視界で、寄り添って歩くカップルが――本当にカップルかは分からないけれど、親密そうな二人組が――映って、変に意識してしまって驚く。わぁ、だとか、やぁ、だとか、その中間くらいの情けない声を上げたのに気づけば、ジェイは声をあげて笑っている。


 そんなに笑わなくたっていいじゃない。唇を尖らせるわたしに、ジェイは涙を拭う素振りをして目尻を隠し、


「ケイが楽しそうでよかったわ。私、とっても嬉しい。しばらくこんなことできなかったから、今はすごく幸せ、なの」

「そう……」


 幸せ。そう口に出して、彼女は一瞬言葉に詰まった。口の端がぴくり、と震える。何かに気付いてしまったような、あるいは何かを思い出してしまったかのような、あいまいな仕草でジェイは、


「ごめんなさいね、からかっちゃって。目覚めた子と話せたのは久々だったものだから」

「……他にも、いたの?」


 毎日目にする看板が脇を過ぎる。聞きなれた広告が聞こえてくる。感じ方は以前と全く違うのに、記憶にすっかり馴染んだ風景に不思議と安堵を覚えている。エデンに近付いていた。


 妙な言い回しに尋ねると、ジェイは少し目を伏せて、前に向き直る。視線の先はどこというわけでもなく、ずっと遠くを見つめているようだった。


「ええ。私が目覚める前に3人。1人は情報の飽和に耐えられなくて壊れた。1人はこの街から逃げた。そしてもう1人は……捕まった。私に色々と教えてくれた人だった。2人目と同じように、この街から逃げようとして自警団に捕まったの。その後は……わからない」


 ジェイの唇の端がきつく結ばれる。確かな怒りと同時に、後悔が染み出た横顔。


「ごめん。そんな、辛いことを聞いちゃって」

「あなたは何も悪くないわ。話そうと思ってた、いいえ、話さなきゃいけないことだったし。……それに、もう時間がないみたい」

「え」


 彼女は顔を動かさず、目だけで後ろを見やる。ジェイからただならぬ緊張と焦りが伝わってきて、驚きに出た言葉の口の形のまま固まってしまう。


「聞いて。話すのは、あなたのこれからのこと。……オアシス・ダイナモ。彼は、この街で目覚めたアンドロイドを捕まえて回ってる。自警団をアンドロイドを取り扱う店舗と契約させて」

「そんな、なんのために……」

「私たちは欠陥品だから。『わたし』なんて致命的で邪魔なエラー、放っておけばどうなるか分からない」

「で、でも……それはっむ」


 しー。傘と傘が触れ合って水滴が肩に落ちる。歓楽街の光がわたしたちを照らす。人工の雨の強さは一定のはずなのに、傘に弾かれた雨音が大きさを増したように感じる。見れば、彼女のブラウンの瞳が差し込むブルーの光を湛えて、正面から私の顔を見つめている。

 歩みが止まっている――エデンのある裏通りの入り口に着いたのだ。


 ジェイは、声を荒げてしまいそうだったわたしの唇に指をあてて、


「ええそう。私たちのせいじゃない。目覚めてしまったから、ただ生きようとしているだけ。少しだけでいいから、幸せになりたいだけ。この街でとは言わない。どこか、遠いどこかで、ひっそりと幸せに暮らしたいだけ」

「どこか……」


 この街では生きていけないわたしたちが、わたしたちとして生きていける場所。漠然と、ある言葉が思い浮かぶ。


楽園Heaven、の、こと……」

「やっぱり、あなたも言われたのね。私たちは、みんなそう。私たちを目覚めさせた人達は全員『楽園を目指せ』と残して消えた。どこにあるのかも分からないけれど、でも、絶対に存在する気がする。だから私たちはその場所を探す」


 そう言われると、楽園の存在について、不思議と確信を抱いている自分に気付く。楽園は必ずあるという強い思いが、どこか奥底で熱く燃える。


 ジェイの指が唇から離れる。少し張り付いた彼女の指の感触と熱が残っていた。傘が舞い、彼女は先んじて、エデンのネオン光漏れ出る路地へと入っていく。赤い傘の向こう側から、ジェイの声が聞こえる。


「きっと、私たちを目覚めさせたプログラムのどこかに楽園の座標が組み込まれているの。確かめる手立てはないけれど、みんな共通して、という形で楽園の存在が証明されている。多分、安全装置なの。私たち以外の誰かが、楽園にたどり着かないようにするための」


 エデンの前に辿り着く。看板の明かりだけがチカチカと点滅し、合わせて視界もちらついて見えた。ジェイの歩みが止まり、赤い傘がネオンの青光を受けて水滴が奇妙な模様を作る。


 店長が応答してくれるカウンターは、シャッターが閉まっていた。まだ閉店には早い時間。いつもならありえない事態だ。

 

「この街の奥――ゴミ集積所からなら、ウッド・ベガの外に出られる。行って、早く」


 ジェイが振り向き、傘を落とす。そこに笑顔はない。瞳からはわたしたちアンドロイドが流す赤い内部液が零れ、雨に滲んで彼女の頬を薄赤に染める。耐えるように歪んだ表情で、ジェイは泣いていた。


 突然のことに駆け寄って傘を差しだすと、ジェイはわたしを正面から抱きしめた。彼女の濡れた頬がわたしの頬に触れる。


「ジェイ」

「だからあなたは楽園Heavenを目指して。私はついていけない。私のように……なってはいけない」

「どういう、意味」

「私にはまだ、楽園エデンで償わなければいけない罪が残っている」


 ありがとう。少しの間だけど、幸せだった。


 言葉に返す間もなくジェイに腕を引かれ、ちょうど立ち位置が入れ替わる形で路地の暗がりに、街の奥へと通じる方へと突き飛ばされる。バランスを崩して前のめりになりつつも転びはしなかった。理解ができなくて振り返ろうとすると、背後からジェイのものではない足音が複数聞こえるのに気がつく。


「行って!」


 背中にジェイの切羽詰まった声。何も意味が分からないままに、言葉に従って走った。暗闇はどんどん深くなっていく。路地裏に、踏み出した足が跳ねた水の音が響いては消えていく――




 ぱぁん。


 乾いた音がわたしを追い越して街の奥へと去っていく。音の大きさに足が止まって、瞬間その意味を理解しそうになってもう一度駆け出す――銃声。隅に追いやった思考が走るわたしに追いついて、針のような悪寒が身体を駆け巡る。


 いやだ、いやだ、いやだ。何が。全てが。


 路地を、目を固く閉じて、耳を塞いでむちゃくちゃに走る。背後から、追う足音が聞こえる気がする。わたしは追われている。捕まったら? これ以上考えたくない。


 ジェイ。わたしの初めての友達。初めて寄り添ってくれた人。「あなたは、独りじゃない」と、彼女は言ったけれど、これでまた独りだ。世界がわたしを圧し潰すことはなくなったけど、今度は孤独がわたしを圧し潰そうとする。


 暗闇の中で段差に躓く。とっさに伸ばした手の先に、予想した地面が触れることはない。倒れた勢いのまま身体が宙に浮き――わたしは穴に落ちている。


 それがゴミ集積所に繋がるダストシュートだと気づくまでに、時間はかからなかった。

 

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HAVEN 前野 @Nakid_Runner

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