A Lovely Night

 街に出た瞬間、わたしの目に、耳に、肌に、荒れ狂う情報の激流が襲い掛かった。幾層にもなった音の嵐、多様な波長の光の槍、モノが発する熱の海、そのすべてに曝されたわたしの電子頭脳は焼き焦げてしまいそうになる。反射的に情報を遮断しても、地面にかがみこむのを止めることはできなかった。


 膝を抱えて、ドレスが汚れるのも構わずうずくまる。わたしは、目に入った地面の、アスファルトのざらつきからその感触を想像している。その冷たさも、転んだ時にできるであろう傷も、全てが過剰に想像されて、生の感覚として知覚されていた。


 感じていないはずの冷たさ、あるはずのない痛み。


 情報の混線だと、わたしの自己判断プログラムが告げる。得てはいけないものをわたしは得てしまっている。想像力――アンドロイドが持つはずのない、自らの現実を歪めるその力に、わたしは絶望するしかなかった。


 世界の全てが、わたしを蝕む毒になってしまったようだった。


 利用時間の15分前を知らせるアラームが鳴るころになって、わたしはようやく正気を取り戻したのだった。呼吸は荒いまま――わたしは排熱に余念がない。そうでなければ死んでしまうような限界をわたしは経験した。


 女が去って、じわじわと世界が押し寄せる感覚に曝される。電子頭脳の奥に熱を感じ、あるはずのない実感がわたしを苛ませる。自身が拡張され、内部で得体の知れない感覚――自我や、感情と言われるもの――人間らしさ――が肥大化し、わたしは発狂フリーズ気絶シャットダウン覚醒リブートを繰り返した。

 つまり、わたしの世界は広がったのだ。わたしが破裂してしまうほどの暴力的な勢いで。


 それが『自分』であると、彼女は言っていた。無限に続くかのように思える再起動と『自分』の肥大化の中にあって、わたしが思い出していたのは彼女のことだった。


 わたしを見つめる彼女の瞳。


 わたしの顔に垂れる彼女のうなる金髪。


 わたしに笑いかける彼女の表情。


 きれい――わたしが生まれて、初めて抱いた感情。語彙として蓄えられていた知識と感覚とが、初めて結びついた驚愕と快感。苦しい気持ちが、彼女のことを思うと和らぐのを確かに感じて、わたしはこの感情をいいものとして受け入れた。


 そうしてわたしは定着する。押し倒されて、仰向けのままベッドに縫い付けられていた身体を起す。窓の外を見やれば、ウッド・ベガの営みが押し寄せてきて、思わず目を閉じる。恐る恐る目を開けると、いつもなら針の先のように小さく感じていた光を、迫りくる車のような大きさに感じた。


 この感覚は眩暈なのだろうか、ベッドから立ち上がると、足元の底が抜けたような感覚に前のめりになって転げる。転げた瞬間に目をつむっていたことの無意味に驚き、急いで目を開ける――


 夜景を挟んでガラスに映るのは、人間の女性の顔だった。


 わあっ、と声を上げ、のけぞり返ってベッドに頭を打つ柔らかい感覚。自身の動作がガラスの向こうの女性と一致する。女性がわたしであることに気がつかないほどに、わたしの表情はものだった。


 彼女も、人間にしか見えなかった。同類。彼女と目が合った瞬間、わたしの電子頭脳は干渉を受けた。わたしに積まれたあらゆる情報防壁ファイアウォールを凌駕して、彼女はわたしに、『わたし』を植え付けた。


 分からない。存在している理由も、存在していいのかも。


 ピピピピピ。退出5分前を知らせるコール音がなり、わたしは現実に引き戻される。とにかく、ここを出なければならなかった。ガンガンと痛む頭――なぜ痛むのかは分からなかったけれど、とにかく痛んだ――を抑え、コールに応答する。お時間の5分前になりました。なめらかで、でも無機質な機械音声が告げる。


 外に出るのが怖かった。外に出れば、更に大量の情報に曝される。ホテルの、それも、隔絶された一室で目覚めるだけであの様なのだから、再起動が起こるのは大いにあり得る。


 でも、それよりも、このまま一人ぼっちでいることの方が怖い。とにかくわたしはに帰らなければいけないと、直感的にそう思った。


 わたしは部屋から飛び出し、全ての感覚をできるだけ塞いで、頭を抱えてホテルを走り抜けた。幸いエレベータには誰も乗ってこなかったから、その箱の狭さと格闘するところを見られることも無かった。向けられる視線は無視した。エレベータのドアが開いて、一気に出口に駆け抜けて――


 均一化されたホテル内の環境が、わたしの感じうる世界の限界だったことを思い知った。そうしてわたしは地面にしゃがみこんでいる。周囲の人々が驚きと、困惑の表情で、わたしから一歩引いて眺めているのが分かった。


 再起動しようとする自分を必死で抑える。気絶するのは、今いる自分が消えてしまうようで恐ろしかったから、苦しさと動悸を必死に噛み殺して耐えた。肩が震える。


「お嬢さん、大丈夫ですか」


 肩に声がかかって振り向くと、初老の男性が心配げな表情に下心を潜ませて、こちらに話しかけている。高そうなグレーのタキシードとハットをかぶり、黒ぶち眼鏡で口髭をたくわえた清潔感のある男。わたしにはその姿に見覚えがあった。


「まてよ、きみは、おまえは、は」


 一か月前、わたしを客――男がわたしに覆い被さる。男がわたしの腕にナイフを突き立てる。人間を模した赤い内部液がわたしの腋を伝う。胸を潰すような力で掴まれる。首を絞められる。股間を押し付けられる――わたしが男に受けたが、フラッシュバックする。


 悲鳴。気づけばわたしは、恐怖に男から飛び退いて、後ずさりするように必死で遠ざかろうとしていた。表情が引き攣るのが分かる。人々が訝しげに男を見る。男は周囲に誤解だと叫び、表情を焦りに変えてわたしに向き直る。


「なんだ、その顔は、態度は。あれはそういう、契約で、なにも不当ではないっ! このっ、アンドロイド風情が、ふざけるなっ……!」


 人々の訝しげな視線がわたしに移る。「アンドロイド? あれが?」「まさか」「変態の妄言だろう」「でもありゃ確かに――」


 気づけばわたしは叫んで、駆け出していた。やめて、とか、いやだ、とかフラッシュバックした記憶のまま追体験して、走り出していた。痛い、いたいいたいいたい。出るはずのない涙が、目からこぼれる内部液として頬を伝う。赤く滲んだ街の中をひたすら走る。


『体調不良の全ての初期症状に。統合インテグレーション漢方・全治』


『セレモニー記念大特価最大50%OFF! オブジョイ・トイズ』


『人工筋肉に負けない――永続性プロテイン、ブースト』


 街中を大音量で流れる広告が、走るわたしに質量をもって襲い掛かった。人の耳に残りやすい周波数の合成音声と、バックで流れるキャッチ―な音楽。全てが多層の情報となってわたしを犯す。


 行きかう人、過ぎる車、個々の存在をしっかりと認識してしまうのは、ホテルの外に出て、外部計算資源と接続されたからだと知る。処理できる情報の量は多くなった。けれど、『わたし』が処理できる情報は限られていて、全てが溢れるのも時間の問題だった。


 雨が降り始めていた。水滴はだんだんと連なって、わたしの肌にドレスの生地を張り付けていく。メインストリートで行われていた今日の記念イベントが終わったのだ。砂漠の中、ウッド・ベガにあって降る雨は唯一、発電機ダイナモの冷却を行うための雨だった。周囲の情報はどんどん折り重なって膨大になっていく。


 同時に、エデンから送信された命令コードが15、6件も重なっていることに気付く。複数に渡って繰り返されている帰宅命令。最新のものはつい3分前だった。


 こんなことは、今まで一度も無かった。わたしは誰よりも命令を忠実にこなせる型で、誤作動なんて一度も起こしたことが無かった。だから、エラーを起こせばどうなるか、その様子も何度も見ている。


 廃棄。


 言葉が頭に浮かんで、ふっ、と頭が真っ白になった。想像したこともない虚無感と脱力感に襲われて、横から舞い込んできた唸るクラクションの音に正気を取り戻す。道路に飛び出てしまいそうな身体を立て直し、どうにか目の前の危険から身を躱しても、脳裏によぎった不安は消えない。


 死――全てが終わること。シャットダウンとは違う、絶対的な終わり。想像して、それが想像できないことを知って、とてつもなく冷え切った恐怖がわたしを包んだ。


 家に帰りたいという気持ちに偽りはなかったけれど、最悪の可能性が頭から離れなくて、気づけばわたしは入り組んだ路地に居る。ホテルからも、店からもずいぶんと離れた暗い闇の中。喧騒が遠ざかり、くぐもった雨の音だけが響く空間で、ようやくわたしは息をつく。


「どう、しよう……」


 無意識に口から言葉が漏れて、今までなら有り得なかった無意味な行動に驚く。紡がれた言葉はどうしようもなく、発音も発生も人間のものにしか聞こえなかった。

 でも、心の底からの言葉だった。わたしの未来は、この路地の先のように暗い。路地の先がゴミの集積所に繋がっていることも、未来の暗示のようで嫌だった。


 思考が、語彙を探る。無意味な比喩と、迂回言い回しが頭の中で交錯する。わたしは壁にもたれて、足を伸ばして座り込む。地面にたまって茶色くなった雨水がお尻を濡らした。きもちわるい。だけど、動く気にもなれない。


 ひどく疲れたと、確かに感じていた。それに眠い。路地に吹く風が、わたしの濡れた身体から熱を奪っていったのに、意識が緩慢になるようだった。

 できることなら、このまま消えてしまいたい。切に、薄れる思考の中で願った。



「ケイ」



 通りの方から、わたしを呼ぶ声がする。力なく見れば、街の光を背負った女性が、傘を携えてこちらを見つめている。

 そういえば、傘を忘れてきてしまった。想いに呼応するように、女性はわたしに傘を差しだして、


「ドレス……それじゃ、店長に怒られちゃうよ」


 ぴかりと、車のヘッドライトに路地裏が照らされて、女性の顔がこちらに見えた。艶のあるブラウンの長髪を片側に流した、困り眉の柔和な雰囲気の女性。わたしは彼女がとても見知った顔に見えて、視界の明度を調節して見やる。


「――ジェイ?」


 女性はわたしの問いにとてもうれしそうなに、わたしと同じ、とてもアンドロイドとは思えない表情で、にこやかに笑う。


「ええ……それ、私もなの。あなたは、独りじゃない」


 ジェイ。わたしの同僚。H、I、J、K。順に並ぶ棺の隣人。そして彼女はわたしと同じ、自我を持ったアンドロイドであると、彼女はそう言っているのだ。

 言葉が出なかった。代わりに、うめき声が、震えが止まらずに情けなく漏れる。


 彼女はわたしに頷きながら、そのふくよかな胸で抱き留め、


「怖かったでしょう……けど、大丈夫。行きましょう、私たちの楽園へ」


 アンドロイド同士なのだから、音声による会話なんて、抱きしめるなんて無意味なはずだった。なのにジェイは温かくて、それがとても心地よかった。

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