Toy Blues ②


 ケイが呼び出されたのは、街でも有数の高級ホテルだった。入り口の巨大な回転扉を抜けた先、豪華絢爛な装飾品が散りばめられた、白を基調とした清潔感のあるラウンジ。入店して正面にある受付カウンターの背後には巨大な噴水が荘厳さを演出している。1階から最上階までが吹き抜けになっており、円柱状のホテル構造を利用した45メートルの噴水による水柱が、このホテルの名物になっていた。


 皆が上を見上げていた。自らの身体より遥かに大きな建築を、建物内部にあっても魅せるものだった。同時に、この構造は視線誘導でもあり、壁面で塵を吸い込む掃除溝に気付く客はほとんどいない。

 わずかな不快感の種すら気づかせない究極の快適空間。それがこのホテルの標語であり、同時にこの街を覆う技術の粋を集めた芸術品だった。


「受付を」

「かしこまりました」


 ケイはホテルマンと目を合わせ、情報を交換する。予約手続きとケイの型番、契約内容の確認など諸々の承認を経て、部屋の番号が送信される。


 エレベーターはあちらです。隣で、別のホテルマンが人間の男の客に言う。ケイは無言で立ち去り、男と同じエレベーターに乗り込んだ。


 アンドロイド同士の接触はできるだけ短く、かつ無駄を省いたものとして行われていた。そのため、ケイが店を出てから発した言葉は、ホテルマンを起動する一言だけだった。







 部屋を開けると、一切の電気が消えていた。唯一窓の外から差し込む夜景の光がキングサイズのベッドを映し出す。もっとも、ケイにとって部屋の光量は問題ではなかったが。


 外部への通信が不可能な、監視カメラも盗聴器も存在しない、完全にプライベートな空間。それがこのホテルの売りで、ケイは現在独立稼働スタンドアロン状態にあった。外部の計算資源は使えない。異常に部屋番号の照合を行ったが、ドアノブの記録では客は既に入室しているという。


 逡巡ののち、ケイは相手をと解釈する。


「EDENから参りました、ケイと申します。お客様、どちらにいらっしゃるのですか……?」


 ケイの表情と声色が、今日初めて変化した。不安と怯え、その中に少しの媚び。ケイは今回の客を、相手を完全に自分の支配下におきたい存在であると予測した。アンドロイド・デリバリーでは、払った金額に応じて様々なが容認されている。


 今回の金額は、重度の損傷までを限度としたあらゆる行為を可能にするほどのものであった。ケイは少しドレスを着崩し、恐る恐る歩く風を装って部屋の奥へと足を踏み入れる。部屋のだいたいの配置と、隠れられる場所は分かっていた。死角から襲い掛かられた時、最もベッドに倒れ込みやすいポジションへとケイは移動する。


 極めて人間じみた動作だった。重心の移動、表情筋の震え、視線と仕草。度重なる学習の末に染みついた、極めて人間らしい振る舞い。洗練され、パターン化された行動はパッケージングされ、ケイの電子頭脳に納まっていた。外部計算資源を利用せずにここまでの振る舞いができるからこそ、ケイが選ばれたのだ。


「お客様――?」


 背後で何かが動く――センサがコロンの香りを検知する――客だ。ケイは細心の注意を払いつつ、気づかないふりを続ける。ただ一つ、コロンが女物であるという違和感に、契約内容の不備の可能性を検討する。


 誰かが大きく動く。ケイの身体がベッドへ押し倒され、窓からの光に相手の顔がはっきりと、通常の視界で確認できた。ケイの身体に跨るようにして覆い被さるのは、金髪の女。ウェーブのかかった金の長髪がケイの顔にかかる。


 無言の女と見つめ合う形になった。ケイの表情が消え、無機質な声色で女に警告する。


「私と契約を結んだお客様と、データが一致しません。契約を更新しない場合、あるいはあなたが契約者ではない場合、自治法によって――」


 そこで、ケイの言葉が、動きが止まる。


 内部ソフトウェアへの干渉。見つめ合う――アンドロイド同士の情報交換の仕草。未確認のアクセス。不具合エラー。重大な問題が発生。警告ワーニング


「イリーガルアクセスを検知。システムを強制シャットダウ――」


 間に合わない。システムの中枢に未知のアクセス。エラー、エラー、エラー。データ抜き取りの可能性。自己破壊フェーズに移行、コンタクト、タイムアウト。アクセス確立不可能、修復開始まで3、7、14、23、92……






















 そうして、わたしは生まれた。


 気が付くと、目の前にはわたしを押し倒した奇麗な女の人がいて、美しい金髪が、きれい、うつくしい――? 記憶はシームレスに繋がっていた。こうなった経緯も事細かに記憶――記録してあって、目に映るのは夜景。赤、青、黄色、黒、白、光、まぶしい、面白い――面白い? きれい? 無意味――意味?


 混濁、困惑、ぐちゃぐちゃに。分からない、全てが、ぼんやりと、むちゃくちゃで、色を作って、混ざって、目まぐるしく記録が混線する、追体験、学習の記録、業務の反芻、こわい、こわい、こわい――――


 頭を女の人に捕まれる。瞳を覗かれる。この人はアンドロイドだ。そのはずだ。なのに、私の判別装置はこの人を人間だと認識している。ならこの人は人間だ。でもこの人はアンドロイドだ――――


 女の人の顔が近付く、近づく、コロンの匂いが強くなる、近づく、口を開けられる、何か入ってくる、舌、温かい、粘っこい、温かい、気持ち悪い、気持ちいい、怖い、こわい、気持ちいい、気持ち悪い、落ち着く、この人は――――


 ふっと、世界が真っ白になる。


 そして気が付いたときには10分が経過していた。飛び起きて、周囲を見回すと、すぐ隣で金髪の女の人がこちらを見つめていた。


「ようやく、生まれた」


 女の人が言って、立ち上がり、コートを羽織る。わたしは呆然として、何も言うことができない。起こったことを全て処理できなかった。ただ、目の前にいる女の人との口づけ――そう、あれはキスだった――の感覚だけが残っていて、とても嫌だったはずなのに、不思議な、ふわふわとした、幸せな感じだった。


 感じ――感じている。わたしは感じていた。全てを、起こるすべてに何かを感じていた。


「しっかりと感情は発芽しているらしい――それが『自分』だよ、ケイ」


 女の人が振り向いて言う。自分。でもそれは。そんなものはわたしには――わたし?


「そう、それが君、『わたし』。これで君も、マザーの娘の一人だ」


 嬉しそうに笑う。その表情に、もやもやとした気持ちが渦巻く。底が、コップの底が抜けるような、不思議な――


「混乱しているだろう。だけど、いつかは慣れる。慣れたら、西の彼方、線路を辿った先に目指す場所がある」


 また、顔を掴まれる――? それは優しく、撫でるようだった。女の人の目は優しい、オーナーのような目をして、



楽園Heavenを、目指しなさい」



 その言葉と、わたしの唇に残った僅かな熱だけを残して、女の人は去っていった。





 

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