Chapter1:誕生と、離別と出会い

Toy Blues①

 全面コンクリートの乾いた部屋に、高周波の駆動音が響いていた。音は整然と並べられた棺のような黒い直方体から発せられていて、部屋の明かりは棺の正面に据えられた赤いランプのみ。光は弱く、床を照らすことは無かったが、その必要もなかった。


 ある棺のランプが緑色に変わる。短時間のビープ音がして、ロック解除の金属音が続く。空気の抜けるこもった音を背後に、内部を低温に保ち、の状態を最良の状態で保存するミストが解き放たれた。


 現れ出るのは、一糸まとわぬ女の姿。ランプの光が滲んで拡散し、彼女のシルエットを映し出す。脚、腹、胸、腕――張りのある肢体が緑の光を湛えて艶めかしく光った。


 解き放たれた女は、数秒の静止と沈黙の後、厳かに目を開く。暗い室内を進む様子は、真昼のように迷いがない。棺の間を抜け、角の扉を開けてロッカールームへ。111――女の首筋に印刷プリントされた番号と同じプレートのかかった引き出しを開ける。中に納まっているのは、赤の衣服と小さなポーチ。


 深紅のエンパイアドレスだった。良質な模造シルクで編まれた高級品。女はドレスに注意深く袖を通していく――ドレスは、その金額だけで女を買えるほどの値打ちだ。女も、ドレスも、互いにこの店のであった。


 ハイウエストのエンパイアドレスに、女の長く透き通った脚が映えた。装飾も刺繍もなされていない、それ故に気品を漂わせるドレス。長いまつ毛、凛々しい眉と穏やかな目。光沢のある藍色の髪をアップに纏めた女は、美しさだった。

 ただ一つ、現在必要のない、表情だけが抜け落ちて女の非人間性を強調している。


 ポーチには、メイク道具だけが入っていた。財布も、通信端末もない。女にとって、この街で生きるには、物として必要なものはあまりにも少なかった。


 身支度を整え、女はロッカールーム出る。間もなく、街のざわめきが重さをもって襲い掛かった。行き交う車のモーター音と、通りを往く人の話し声。街頭のホロディスプレイのコマーシャルの大音量と、治安維持隊の車両のサイレン。


 快楽と遊戯の自治都市――独立歓楽街ウッド・ベガ。それが、女の暮らす街の名だった。


 日常は路地裏にまで漏れていた。湿っぽく狭く埃っぽい。張り巡らされたパイプの振動と室外機の唸りが、路地に差し込む街の明かりの煌めきを支えている。ここは明りの下で暮らす人々にとっては、見えない場所だった。

 裏路地の奥からはえたゴミの臭いが漂ってきていたが、女はそれを気にする様子もない。

 

「ケイ、場所は送信した通りだよ。今日の衣装から分かる通り、上客だ。粗相のないようにね」


 ロッカールームの扉のすぐ横に小さなカウンター、その奥から中年女性の声。路地の壁に穴が開いたかのような窓口からは女性の顔は見えなかったが、しわの刻まれた手と、人差し指と中指で挟んだ煙草が覗いている。


 彼女が、ケイと呼ばれた女を目覚めさせた女性だった。女性の声は力強く、喧騒の中にあってもはっきりと聞こえる。


「はい、店長。行ってきます」

「ああ、あとね」


 ガコ、という音と共にカウンターの横の郵便受けから棒状の何か――傘が突き出された。透明なビニール傘の取っ手には「K」とだけ刻印されている。


「今日、雨が降るらしいから。ドレスを汚すんじゃないよ」

「ありがとうございます、店長。それでは、行ってきます」


 ケイと呼ばれた女は傘を取り、固まった表情のままぺこりとお辞儀をして大通りへと消えていった。


「素直なもんだねぇ……」


 女性が煙草を吹かす。路地裏へ吐き出された煙が昇っていき室外機に霧散した。辺りはまた喧騒だけに覆われる。


『自治区公認:アンドロイド・デリバリー EDENエデン


 ネオン光で彩られた看板が、カウンターの上に掛かっていた。







『エディ・トイ――あなたの人生にスパイスと幸福を』


『シュワっと弾ける、バブル・ニューク新発売! イエイ! イエーイ!』


『生活を変える新提案、フレンドロイド』


 せ返るような喧騒に飽和した街をケイは進む。目がくらむ虚飾ホログラムの輝きをめいめいに放つ、街頭広告が通りを闊歩するように空を泳ぐ。深夜にあっても、真昼のような街の明るさに塗りつぶされた星は見えず、夜空は黒い天井としてしか人々の目に映らなかった。


 ウッド・ベガは広告の街だった。食料品、アンドロイド産業、医薬品、あるいはそのすべての複合体。そのどれもがの世界においては公にできないものばかりであり、それ故に企業広告は自治都市ウッド・ベガの貴重な収入源だ。

 この街は、公式発表前の商品が蔓延る臨床実験都市としての側面も持っていた。


『このアンドロイドは現在配送中です! 興味がある方はオーダー地区のアンドロイド・デリバリー・EDENエデンまで! 連絡先は──』


 そして、商品であるのはケイも例外ではない。視線認知式の広告アドバタイズメントが、行き交う人々に指向性をもって再生されていた。

 ケイの美しさは、欲望と快楽が交差するこの街にあって目立つものであり、少なくない数の男女が彼女に目を止め──広告としての出来の良さと、悔しさに顔をしかめてすれ違っていく。


 昔はのトラブルは仕事上切り離せないものだった。だが、ケイの美しさは、そのまま彼女の所属するデリバリーの広告塔になっている。広告と、不埒な輩への自衛の役割を兼ね備えたこの方式が、アンドロイド・デリバリー業界においてはスタンダードになっていた。


『100年前のリアクター暴走で、大陸西側は不毛の砂漠と化しました』


 街のメインストリートを通ると、大量の広告群の中にあって、異質な内容の音声が優先して響いた。道の源にあるのは巨大な円錐の形をした庁舎で、前面の巨大なホロ・スクリーンがウッド・ベガの長である大男――ミスター・オアシス・ダイナモの演説を映し出している。見れば、オアシスの演説を熱心に聞く集団が庁舎の前で盛り上がっている。


 ウッド・ベガ成立60周年記念週間で、メインストリートはお祭り騒ぎだった。他の通りの電子的な明かりと違い、ここは一体が電球やネオンなどの、古めかしい電飾で飾られていた。通り沿いには露店が立ち並び、めいめいに食べ物を売っている。多くの人が片手にアルコール、片手に傘を携えている。


『あの時、私は爆心地グラウンド・ゼロにいた。絶望でした。暗闇というのはこうまでして私たちを蝕むのかと』


 リアクター。かつて人類の繁栄を支え、致命的な破滅を導いたテクノロジー。地殻エネルギーをそのまま電気エネルギーに変換できる革命的な技術は100年前、悲劇と共に消えたと記憶されている。


 ウッド・ベガは、汚染され尽くした砂漠の避暑地オアシスとして、荒廃した大陸西側に残された最後の楽園オアシスとして名高い街だ。大陸最大の輸送会社の社長だったオアシスは、人類史上最大の爆発事故の後、全ての財を投げ打ってこの場所に都市を築いた英雄だった。


 延命治療と義体化技術によって、140歳を超えた今でも、オアシスは精悍な顔つきを維持していた。非人間的な存在としてウッド・ベガの頂点に君臨する男は、生ける伝説として、この街の首領ゴッド・ファーザーとして人々からの信頼と尊敬を集めていた。


『息子たち、娘たちよ。かつてこの街はただの駅だった。貨物輸送ハブの終末駅ターミナルでしかなかった……しかし、我々はここまで復興した! 発展を、繁栄を謳歌しよう! 街の明かりは繁栄の明かりなのです!』


楽園オアシスに!」「オアシス!」「俺たちの希望の光!」


 一斉に、あらゆる場所で歓声が上がる。メインストリートは街の栄光を讃える歌で溢れかえった。


 それと同時に、街全体にファンファーレが響き、微かに地面が震える。見れば、円錐状の庁舎の先端が、中から二本の柱が露出していた。柱同士を、這うようにして電気のつるが行き来する。


『我々は過ちを繰り返さない。ウッド・ベガ60年の栄光を支えたこの発電機ダイナモが、更なる栄光を皆にもたらすでしょう!』


 閃光――オアシスの演説が締められると、庁舎の先端、雷光が街を照らした。天を突く雷撃が、力を誇示して激しく光る。夜空を貫き、光の柱が空へ昇って行った。

 その神話的な光景に群衆が息を飲む。通りから人々の話し声は消え、遠くで広告の音だけが響く。

 

「――オアシス……!」


 誰かがそう呟いたのを皮切りに、街中からオアシスを呼ぶ声があがった。辺りは興奮で包まれ、人々は熱で浮かされたような顔で自分たちの街を統べる長の名前を呼び続ける。


「オアシス!」「オアシス!」「オアシス!」


 熱気に揉まれながら、ケイはメインストリートを後にした。

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