第84話 待つ者たち
操縦席からこっちを見ていたシェリオがニヤニヤと笑った。
真人が真っ赤になる。
その赤が、髪のピンクとよく似合う。
「それにしても……デュミナスは臭いとかないんだね。
残り香なんかあると雰囲気が出るのにね」
「臭いはありそうなんですけどね。
デュミナスは、お風呂入らないですから――」
ハーミットの言葉と共に、船内モニターの一つからガコッ! と大きな音が響いた。
もっとも、皆が目を逸らしたので詳細は分からない。
「――いっ、いえ!
べっ、別にそれで困ることがあるわけでは!」
「そうそう、生理現象の類が一切ないもんね!
トイレにもいかないから下着も汚れないし……あれ、ならずっとそのまま?」
「だ、大丈夫だよ。
僕もそういえば瀬良さんのところで入ったきり、ずっと入ってない……しっ?」
真人が言い終わる前に、その首根っこをハーミットが捕まえた。
シェリオも真人に顔を近づけて髪の臭いを嗅ぐ。
「少し下水のような匂いがします」
「セカイ巡ってたときに何度も水に浸かってるから、そのせいかも……」
シェリオが自分の首をカッ切るジェスチャーをする。
「お風呂入ってきなさい。
今すぐ!」
「ゲートシップにも居住区くらい……あれ、ない?
変な非常脱出船ですね。
なら仕方ありません、乗員用のを使って下さい。
船長室にならお風呂くらい――ない?」
おそらくゲートシップの船長室だと思われる部屋のレイアウトデータを引っ張り出して確認したハーミットが、変な声を上げた。
ちょうどコクピットに入ってきた鈴音が、剣幕に驚いてびくっと身体を震わせる。たまたまその頭の上にいたアピオンも首を傾ける仕草をした。
「カナンリンクを作った人たちって、もしかしてお風呂入らない種族なんですか?」
「有機物でできて代謝がある生命体であることは間違いない筈だから、それはないと思うな。
ないと、思うんだけど……
お風呂以外で何か身体を綺麗にする機械を使っているのかも。
鈴音、どこかでお風呂みた?」
「うーん、そう言えば入浴施設みたいなのは見なかったなぁ……」
「着替えはあるんだから、身体拭くくらいでいい?
飲料用とかで水は出るし」
ハーミットに首を押さえられている真人が諦めたようにボソボソ呟いた。
真人自身はそれほど風呂が好きではない。
「そうですね、どこかで工夫すれば……」
ハーミットが考え込んだところで、シェリオの席からコールが鳴った。
そのサインは……
「デュナミス……っ!」
シェリオがシートに向き直り、船のメインパワーを入れようと手を伸ばした。
鈴音が後部シートに座り、シェリオの支援に入る。
ハーミットが格納区画のセンサーシステムからデータを引き出しつつ、デュミナスの通信を受けようとホロデッキに手を伸ばし――
「待って!」
床に降りた真人から、鋭い静止の声が飛んだ。
シェリオが動きを止めると、そのままの姿勢で真人の次の言葉を待つ。
「ご免、その……それって、デュミナスからの私通だと、思う。
警告とは、ぜんぜん別。
でも、ちょっと僕が見るのは不味い内容みたいだから……」
真人が背中でボソボソと呟いた。
そのせいで顔色は窺えない。
不審に思いながらも、ハーミットがそっと通信システムのスイッチを入れた。
空中にホロが展開される。
それは、確かにデュミナスから送られた通信だった。
空中に展開された映像の中で、デュミナスは笑っていた。
だが……何故だろうか、その目が微妙に怖い。
そしてもう一つ不思議なことがあった。
――何故、彼女は服を脱いでいるのだ?
一応バスタオルのような物を身体に巻いているが、巨大な胸が今にもはみ出しそうだ。
『これがお風呂です!』
デュミナスが右手で頭上の輪っかを示した。
シェリオたちには見覚えがあった。デュミナスが前のボディの時は必ず付けていたものだ。
『身体の洗浄だけでなく、殺菌や埃などからのシールドも兼ねています。
服自体も老廃物や埃などを自動で処理できるナノマシンを折り込んだ素材です。
――なので、私たちはお風呂で裸になる必然性が低いのですが、今回はあなた方に合わせました!
この設備は、その船にも当然あります。
香りが必要でしたら、そういう設定にして下さいっ』
おほほほとデュミナスが変な調子で笑う。
シェリオたち三人が難しい顔をしながら、お互いに頭を抱える。
「あの……服を着てください、デュナミス……」
真人が背中から小さく呟く。
気づいたハーミットが振り返ると、真人が腰を抜かしかけていた。
全身からは脂汗を垂らし、顔は真っ赤だ。
「ど、どうしたのですか?」
「で、データが直接こっちにも来てて……
複合知覚で、五感すべてのデータが……にゃー!」
最後の奇妙な叫びと共に真人の腰が完全に砕け、上半身がへちゃっと床に崩れ落ちた。
五感ということは感触がある映像でも来ているのだろう。
それも、とても刺激の強い奴が。
床に崩れた真人は、足を開いてお尻を上に突き出すようなポーズになっている。
後ろから見ると凄いことになってしまっていたが、真人にその意識はないし、今回に限り普通に余裕もない。
「運びますね、真人さん?」
デュミナスに何度もご免なさいして通信を終わらせると、ハーミットがそっと真人を抱き上げた。
お姫様だっこだ。
これを女性にされると抱かれた方は相手の胸に身体を押しつけることになるが、精神的にぐったりしてる真人には反応する気力もないようだ。
対するハーミットは一見すると平常のままだ。
真人を子供扱いしているようにも見えるが、彼女の表情を見慣れた人間ならば胸を押しつけていることをまったく意識してないわけではないことはすぐ分かった。
「シェリオ、鈴音、真人さんを連れてクルー用のキャビンへ行きます。
真人さんをお風呂に入れた後で、トゥイーさんの様子も見てきますね?」
「うん、じゃあ私はここで待機してる。
もしさっきの天使の輪っかを見つけたら、一つ持ってきてくれる?
私も使ってみたい」
「私もキャビンに戻ります。
ワッチの二番手は私がやります」
鈴音も席を立つ。
アピオンは音も無く飛びたち、真人の肩に止まった。
真人が軽くハーミットの腕を叩く。
降ろしての合図だ。
「ハーミット、先にトゥイーちゃんのところに寄りたいけど、いい?
見張りは……特にここには来ないけど、呼べばすぐ来るよ。
何かあったらリンクコムにね」
「真人さん、洗浄の意味もありますのでお風呂を先に。
私も浴びてきます。
服ごと浴びられるのでしたらご一緒に入りますか?」
「だっ、大丈夫!」
真人はジリジリと後ずさると、そのまま普通にコックピットから走りさった。
その後ろ姿をハーミットがクスクスと笑って見送る。
「真人さんの後を追います。
シェリオ、鈴音、ここはよろしくね。
鈴音の後は私がワッチに入ります、待機時間は各二時間くらいでいい?」
「いいよ。三人回ったところで状況確認、そこでどうするか決めようか」
シェリオに後を任せ、鈴音とハーミットもコックピット後ろの扉から出ていった。
一人だけコックピットに残ったシェリオは、まず地球時間に合わせたタイマーをセットした。終わると、ふうと小さくため息をつく。
「誰もいなくなると静かだな……
音楽でも聴きたいところだけど、自分は地球でどんなの聞いてたんだろうなぁ」
聞き覚えのあるフレーズが思い浮かばないか、頭の中で考えてみる。
――だが、何も浮かばない。
「ははっ、考えてみるまでもないか。
デュミナスでも、どうにもならないんだし……」
諦めて、前にマーキスが口ずさんでいた曲を歌い出す。
本人は凄く恥ずかしがっていたが、頼み込んで教えて貰ったものだ。
「♪Amazing grace how sweet the sound……」
透き通るような歌声がコックピットを満たしていく。
その先、遠くで光が灯った。
光はゆっくりと立ち上がり、天へ昇り、地に広がっていく。
おそらくデュミナスが一時的にこの区画周辺を守護したのだろう。それにより何らかの修復システムが働いたのだ。
シェリオは再生の光を見つめながら、歌い続けた。
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