第60話 ライフセイヴ
「ニコルちゃん、お父さんお母さんには仲間がいるんだ。
同じような境遇の人たち。
少し遠いけど、もし良ければニコルちゃんをみんなに紹介したいと思うんだけど……」
「他にも人がいるの!?
あ……でも、お父さんとお母さんを置いていけない」
ニコルが真人からそっと離れる。
「大丈夫、お父さんとお母さんについても相談してみる。
みんな良い人だからきっと何とかしてくれるよ」
「……うん」
真人の言葉に少し迷った末、真面目な顔でニコルが頷いた。
それを見た真人がシーツを被ったまま苦労して立ち上がる。
インジケーターを見るまでもなく、身体の調子は劇的に良くなっている。
休めたことと、さっきの食事のお陰だろうか。
ただしエネルギー残量の問題は依然として残っている。
「真人、なんていう人たちなの?」
「彼らの名前はアイビストライフ。
皆のところまで案内するよ。
――っと、その前にアピオンと言う人に会わせて欲しいんだけど、いい?」
これからニコルを護衛していくなら、チャージは絶対に必要だ。
アピオンがカナンリンクの機械を使っているならチャージ施設を持っているかも知れない。
「うーん……ねえ、真人は機械の人なんだよね?」
ゼプトライトの入っていたお皿と真人の破損面を包む布、そして何故かテーブルに置かれたデュミナスの石を交互に見ていたニコルが、率直な疑問を口にする。
その表情は純粋で、間違いなく悪気はない。
「近い、かなぁ」
真人は動揺を顔に出さないように、なんとか笑顔を保った。
それでも少し表情が硬くなる。
幸いニコルに動揺を気付かれることはなかったようだ。
「アピオンっていう機械のヒトが向こうにいるんだけど、大雨の後から喋らなくなっちゃったの。
いつもは光ってた石も真っ暗なままで……
真人も機械の人なら、アピオンを診られるかな」
「石って……そこにある、それみたいな物?」
真人はテーブルの上にあるデュミナスのコアを指さす。
こちらも光っていない。
ニコルは頷いた。
「僕では治せないかも知れないけど……
診るだけ診てみるから、案内してもらえる?」
「うん、いいよ!
その前に着替え持ってくるね」
ニコルがバタバタと行ったりきたりを繰り返す。
戻ってきたニコルに渡された服は、簡素な貫頭衣だった。
それと赤い紐に、大きめの布。
「後ろ向いてるね」
ニコルが背中を向ける。
さっきは真人の裸に反応を示さなかったが、異姓の着替えは覗かないものだと理解しているようだ。
一人残された真人が渡された服を前に難しい顔をする。
取りあえず貫頭衣を頭から被るが、紐を結ぶのは片手では無理だった。
そもそも、この紐は腰に巻くにしては短い。
大きな布も何に使うか分からない。
あと……下着に相当するものがない。
服には裏地もなく、身体のラインが透けるので腰回りが非常に危ない。
「ごめん、手伝って……」
真人は後ろを向いていたニコルに声をかけた。
降参の合図だった。
言われてニコルがそっと振り返った。
「ごめんね、こんなのしかなくて。
真人はどんな風に着るのがいい?」
「任せるけど、動きやすい方が助かるよ。
これから走ったりしないといけないと思うから」
「うん。じゃあ……」
ニコルが大きな布を折って真人のネックにかけ、クロスさせてレイヤーを分けてから腰の後ろに回し、余った布の先を腰の横で縛る。
大きい布はパレオというか、巻きスカートみたいに使うために渡されたらしい。
確かに裏地が無いなら服を重ねて着るのは自然なことだろう。
結び目は紐で固定した。紐はアクセントを兼ねているようで、流すように縛る。
最後に大きな布の一部を身体の前で流すと、簡単なドレスになった。
真人の感覚だとちょっと女の子過ぎるスタイルだが、サイドを絞ってるため動きやすい。
ついでに、何となく似合ってる気がする。
ニコルの趣味は良いようだ。
だが……高校生にもなった男が、こういう服を下着なしで着ることは色々と許されるものだろうか?
特に、布を巻かれてないお尻側とかは大丈夫だろうか……
真人が少し悩む。
勿論、今の真人が高校生には見えないとか、そもそも男か女か見分けがつき難いいとか、ニコルが喜ぶくらいによく似合っているとか、そういう真人本人が気づいてないものは除外された上での悩みだが。
「布、パレオみたいに腰に巻いたほうがいい?」
ニコルが裾を引っ張って形を整えてくれる。
悩んでる真人をみて、気を遣ってくれているらしい。
「大丈夫……かな?
長いスカートは履いたことないし、この方がいいと思う。
ちょっと動いてみるから、下がってて」
「うん」
しゃがんでいる状態からニコルが立ち上がって、後ろへ下がった。
よく見れば上の布の巻き方が違うだけで、ニコルの来ている服も真人の着ている服と一緒の構造をしていた。
しかも、今の立ち上がった動作で覗いた服の下には、下着が見えなかった。
真人と同じ格好らしい。
「……ごほん」
照れ隠しに真人が咳払いした瞬間、その身体がピンクの残像に変わった。
真人はそのまま残像となって周囲を跳躍し、疾走する。
ニコルが必死に真人を追うが、目がついていけない。
周囲を一通り疾走すると、真人はニコルの頭上に出現した。
そのまま身体を回転させて両足からふわっと地面に着地する。
服の裾は一切めくれ上がらない。
真人の加速、反加速能力は完全に元に戻っていた。
「わあ……すごい、すごい!」
「有り難う。
うん、身体は元に戻ってるみたい。さっきのご飯のお陰かも。
内股で動かないといけないのが面倒だけど、これはしょうがないか」
片手しかないが、サロゲート体の制御システムがバランスを取ってくれている。
服は反加速で守れば鉄壁だ。
ただ、やはりエネルギーの残量が不安だった。
ソートナインドライバーによってほんの少しづつは回復しているようだが、今の残量で激しい戦闘は難しいだろう。
やはりチャージの必要がある。
「ニコルちゃん、アピオンって機械の人のことだけど……」
「あっ、こっちだよ!」
真人は、ニコルと一緒に森の中の小道を歩き始めた。
内股にして背筋を延ばしながら歩く。
その姿勢と歩行は服装に強制された物だが、皮肉にも今の真人にはよく似合っていた。
やはり美形が乱れた姿勢でドタドタ歩くのは似合わない。
そのまま少し歩くと、木々の間を抜ける。
ニコルに案内されたのは湖のほとりだった。
湖――といっても、さっき見た通り森が水没したものだ。
「おかしい……」
真人が小さくつぶやく。
本来ならセカイにはWRSが働く。規模にもよるが、森が水没したまま放置されるなんてありえない。
水中には石畳の道が見えた。
それは水中を通り、ずっと向こう岸にある石造りの神殿のような物に繋がっている。
元々神殿は小高い丘の上にあったのだろうが、今は水際ギリギリに建っている。その表面は半ばツタに覆われているようで、遠目には灰と緑が複雑な模様を描いているように見えた。
そうして周囲を見ていると、風が真人の服の裾をそっと弄ってゆく。
風はきちんと再現されているらしい。
「ここは……元は森のセカイみたいだけど、不思議な地形になっちゃってるね」
「本当は森と丘と遺跡が一杯ある場所だったんだけど、ちょっと前に大雨が降ったの。
私、雨って初めて見たけど、凄いんだね。
ざー、どざー、ばしゃーん……って!
そしたら水が増えて……いけ……湖? とにかくそうなっちゃって。
エレベーターに行く道も消えちゃって家にも戻れないし、しょうがないからここにいたら真人が流れ着いてきたんだよ」
「有り難う。
ニコルちゃんは僕の命の恩人だ」
真人は笑いしながら、その頭を撫でてやった。
ニコルも嬉しそうに撫でられる。
「でも……これは困ったな。
向こう岸までどうやって行こうか?
アピオンはそっちにいるんだよね」
「私だけなら泳いで行くんだけど、真人は怪我してるし……
ちょっと待って、何かないか探してみる!」
ニコルが湖まで走り降りていく。
それをボーッと見送りながら、真人が機械の目を使って湖を観察する。
木々についた濡れ跡からすると水位は徐々に下がっているようだが、引き切るまではかなりかかりそうだ。
「それにしても変なセカイだな」
真人がもう一度首を捻った。
不自然ではない。むしろ自然なのだ。
カナンリンクが作り出したセカイはみなそうだが、普通はもっと整然としている。
目的に沿って作られているせいで、無秩序に見えても実際は想定された意図にそった秩序がある。
だがここは普通の森のように感じる。
それはまるで――そう、シヴィライズド実験を想定してないかのようだ。
「もしかして、ここにもデュミナスみたいな考えを持った守護システムがいたのかな?」
「真人、これで向こうまで行けない?」
湖のほとりまで降りていたニコルが大声で叫ぶ。
真人が振り返ると、ニコルは湖に浮かぶ流木を指さしていた。
これに跨がって行こうということらしい。
スカートを大きくたくしあげているので、なかなか危険な眺めになってしまっている。
真人が難しい顔をした。
――今のこの格好で両足を開くことは、真人のプライドと羞恥心と道徳心が許さなかった。
同じく履いてないニコルちゃんにも同じ格好はさせられない。
真人はもう一度向こう岸をみた。
細い谷間にたまった水は川のようだ。奥は高台となっている。
これで線路もあれば自分の通学路みたいだな――と、考えて真人が笑った。
「ニコルちゃんこっちきて、僕に掴まって。
向こう岸までジャンプするよ」
「ジャンプって、あんなに距離あるのに?」
ニコルが指さす。
確かに、普通なら飛び越すなんて考えは浮かばない距離だ。
だが、本当にそれらを飛び越せる『能力』を会得している自分になら話は別だ。
全力で助走し、思い切り地面を蹴ればいい。それで飛び越せる――
「さっきの見たよね?
僕なら、このくらい大丈夫だよ」
ニコルは納得できないようだったが、それでも真人にしがみついた。
真人も片手だけでニコルを抱きしめる。
念のためニコルにディスアクセラレーターを強めに効かせた。
「ニコルちゃん、念のためこれを持っててくれる?」
真人がニコルに、持ってきたデュミナスの形見を渡した。
ニコルが大事そうにそれを持つ。
「真人の口の中にあったのだよね。
これ綺麗だね?
アピオンの前にもこんなのあるんだよ」
「うん……じゃあ、いくよ!」
アピオンの前にも――ニコルの言い方にちょっと引っ掛かった真人だったが、今は向こう岸へ渡る方が先だ。
真人はニコルを肩にかつぐような格好で抱えると、無造作に地面を蹴った。
パワーキャスターが疑似的なフィールド推進システムを展開し、反動で得た加速力をアクセラレーターが増幅する。
そのまま、何もない空中に躍り出た。
加速自体は物理法則に従うため、慣性や反作用の影響を受ける。
本来なら真人もニコルもただでは済まない。
だが、ソートナインドライバーから起動されるディスアクセラレーターが、二人にかかる慣性とベクトルそのままに反作用だけを打ち消す。
それがディスアクセラレーターの力だった。
最初は軽く、次第に強く、真人とニコルが空中を疾走していった。
二人の下に湖が勢いよく流れていく。
「うわーっ!」
ニコルが楽しそうに声をあげる。
真人は湖を飛び越えたところで、本体の慣性そのものに反加速を当てた。
余計な加速が殺され、二人はゆっくりと羽根のように石造りの神殿の上に着地する。
真人は一度神殿の上に着地した後、そこからもう一度ジャンプして神殿の入り口の前に移動した。
そこへも羽根のようにふわりと降りると、真人はニコルを地面の上にそっと降ろした。
降ろされてもニコルの裾は不自然なほどめくれない。
最初に跳躍をしてから真人は自分とニコルの服の裾にも反加速を当ててあった。
真人のガードは鉄壁だった。
「はい、到着」
「すごーい!」
ニコルは大はしゃぎだった。
地面に下ろされても真人にくっついてくる。
――真人は硬い笑顔のままニコルの頭を一度撫でると、その小さな身体を自分の背中に隠した。
さっきからずっと奥に何かの気配を感じる。
「誰かいますか!」
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