第53話 廃墟のセカイで
中を軽く見回ってみると、思った通り古い日本家屋だった。
家具は全部揃っているが人の気配はない。
「そうだ、服とか無いかな」
探してみると有り難いことに服はあった。
ただ、真人にあうサイズの服は一つしか無い。
「これは……小学生用の、学生服?」
白いシャツに黒いベスト。タイ。黒いハーフパンツ。黒いハイソックス。
すり切れかけたスリット深めのショーパン一丁より万倍マシだが、これはこれで真人には馴染みがなさ過ぎて良いのか悪いのかサッパリ分からない。
そもそも、本当に学生服であってるかも分からない。
「まあ……いいか」
気にしない方向で納得した真人はさっさと着替えると、靴箱から服とセットらしい新品の革靴を持って外に出た。
大きな三和土から引き戸の玄関を出ると、その先には小さな庭があり――木製の壁があった。
かなり高く、隙間なく敷地を覆っている。
「なんだこりゃ?」
真人が変な声をあげる。
家の敷地は高い木の塀でぐるっと囲まれており、出口がない。
塀の高さは三メートル以上ある。
戸惑いながらも塀に沿って庭を廻ると、勝手口のような場所から伸びる通路の先に塀扉があった。
恐る恐る開くと、ちゃんと外に通じているようだ。
「変なセカイだな……」
扉をくぐると、両側を高い塀に遮られた細い路地に出た。
だが両側の塀が余りにも高すぎる。
複雑に入り組んだ路地はグネグネと折れ曲がり、交差し、分岐し、先は見えない。
上側は亀裂のように切り取られた夜空が見えている。
灯りは月と古くさいデザインの街灯だけだったが、真人の目には充分だ。
壁には色あせて端がすり切れた張り紙がペタペタと張られ、地面には色んなガラクタが散乱している。
まるで路地でできた巨大迷路の一部分のようだ。
「不思議な街に迷い込んだ主人公は、そこで幻想的な一夜を過ごしました。まる。
――付き合ってられないや」
真人は壁の上にひょいと飛び上がった。
高いといっても三メートル程度だ。電柱もあるから手がかり、足がかりにも困らない。
壁の向こうは……
「なんだこりゃ、本当に廃墟でできた巨大迷路のセカイ?」
壁の向こうは一目で廃屋と分かる建物が延々続いている。あまり高い建物がないため、かなり先まで見える。
立体に入り組んだ場所も多く、広い空間がどこにもない街だった。
唯一ある広い空間は、月明かりを反射してキラキラと光っている。
水没しているのだろう。
沈んでいる区間は結構あり、そこだけが唯一広い空間になっている。
水面が月明かりを反射して綺麗だった。
念のため後ろを確認すると、どうやら後ろは海に通じる河口になっている――という設定らしい。
偽装が不完全なのか、作り物なのはすぐ分かった。
まるで書き割りのようで、それがこのセカイを演劇の舞台のように見せている。
街に人の気配はまったくない。
どうやら、セカイとしては稼働していないようだ。
真人は壁の上をジャンプで移動しながら、街の中心部へ向かって進み始めた。
壁の上から見える町並みは、なんとなく日本の大正時代や昭和の初めがイメージされた。
立体迷路のようで住み心地は悪そうだが、見ている分には面白い。
「おっと!」
水没した区画に近づこうとした真人が動きを止めた。
数ブロック先で地鳴りが響き始める。巨大な質量を持つ何かが動き始めているようだ。
その目の前で、いきなり地面が陥没する。
建物がブロックごと地面に飲み込まれ、バラバラに砕けてながら地面の下に消えていく。
水が大瀑布となってその後を追った。
やがてせり上がってきた床が閉じ、後に残った何もない空間に大量の水が押し寄せる。
しばらくすると、区画が丸ごと巨大な池のようになった。
「ああ、そっか……このセカイは、さら地にされてる最中なんだ。
下の処分施設に流れ込んでた瓦礫は大部分ここのなのかな?」
真人はぶるっと震えた。
このセカイには長居すると処分に巻き込まれかねない。早く上に行く手段を見つけるべきだ……そう考えながら、真人は空を見上げた。
ちょうど月が出て来たところだった。
月明かりが夜の闇から街のシルエットを切り取っていく。
壁とは違って空は綺麗に再現されていた。
真人が足を止めて、月に見入る。
「綺麗だな……」
月も、街も、どちらも綺麗だった。
例えそれが映像でしかなかったとしても、偽者の月でも、綺麗であることに間違いない。
「――ふふっ」
真人の口元に笑みがこぼれていく。
そのまま壁を蹴った。
周囲の環境を巧みに使い、平面だけでなく立体方向へも走り、跳び、登る。
いわゆるパルクールという移動だ。
真人は猛スピードで迷路みたいな街を立体に駆け抜ける。
走りながら、真人は楽しそうに笑った。
「あはははは! うん、悪くない。悪くないよ!」
そのまま、街を駆け抜ける。
塀を飛び越え、水没した区画に入り込む。水面から顔を出している高い塀や屋根を蹴って進む。
通り過ぎた後に幾つもの水柱が立った。衝撃波のせいだ。
真人は更に速度を上げた。下手な車より速い。
それでいて立体的にも移動する。直角に曲がり、垂直に走り、普通の人間なら墜死確実な高さを飛び降り、羽毛のように着地する。
生身の人間には絶対に不可能な機動であり、スピードだった。
真人は――笑っていた。
笑いながら低いビルの屋根を飛び降り、高い塀に仕切られてるお陰でまだ水没していない広い屋敷の綺麗な庭にふわっと着地する。
そのまま間髪入れずに走り出そうとして、その身体が少しふらついた。
「なんだ?」
立ち止まった真人の足の下で地鳴りが響いた。地面がスライドして開いていく。
開いた闇めがけて建物が砕けながら飲み込まれ始めた。高い塀も砕けて四方八方から大量の水が押し寄せる。
どうやら、さっきの処分がこの区画でも始まったらしい。
真人が肩をすくめてジャンプしようとして、ふと目が屋敷に向いた。
「……ん?」
真人が首をかしげた。
立ち止まった真人めがけて、水と建物が押し寄せる。
その小さな身体が大質量に押しつぶされる寸前、真人がピンクの残像と化した。そのまま砕けつつある建物の中に飛び込む。
建物内を一気に駆け抜ける。壁も天井も、真人には関係ない。
階段は無視して直接飛び上がり、吹き抜けの二階部分にあるホールに着地した。
階下の壁が砕け、扉をへし折って莫大な水が流れ込み始めていた。二階の壁にも大きな亀裂が入るなか、真人は通路を奥に向かってピンクの残像と化す。
そのまま立派な大扉の前で停止すると中に飛び込んだ。大扉に真人が吸い込まれた瞬間、大きな屋敷は完全に真っ二つに裂ける。
屋敷が真横にぐらりと傾き、二階にも水が押し寄せ始めた。
大瀑布の中を大量の瓦礫とともに、ゆっくりと闇の中に滑り落ちていく。
その寸前、ピンクと赤い何かが瓦礫の間から飛び出した。
二つの色は一気に空中に飛び上がると、隣の区画の上に立つ建物にふわっと着地した。
ピンクは真人、赤は――赤いドレスを着た大きなビスクドール。
「人かとお思ったら、お人形さんだったのか。
――まあいいや。
おまえは運が良いね? 助けてあげるよ」
どうやら屋敷の窓辺にあった人形を、人だと思ったらしい。
真人は人形に笑いかけると、それを手に建物から建物へ次々と飛び移る。
この辺りの区画からビルが多くなってくる。
多分、商業施設のあった区画になるんだろう。
見渡すと遠く先には本物の川があり、そのずっと向こうには工場群があった。
高い煙突からは煙を吐き出しているところを見ると、まだ稼働しているらしい。
「いや、違う……な。あれは映像だ。
さっきの河口や海がセカイの端なら、川向こうのあそこがセカイの反対の端かな?
端から端まで、街一つくらい――ちっちゃいセカイだな。
なら出口もすぐ見つけられるかも」
人形片手の真人が方向を変えると、建物の壁や屋上をパルクールで駆け抜けていく。
突然、前の方にあった劇場に電気が付いた。
電飾がきらびやかに輝き、少しノスタルジックさを感じさせるアコーディオンの音楽が鳴り響く。
建物の外にあるチケット売り場にも灯りが灯った。
「なんだ……?」
近づいてみると、売り場のカウンターにチケットが一枚乗っていた。
何気なくそれを取ると、真人は念のため建物の中へ入ってみた。
人がいるなら助けたかった。
だが立派なロビーに人の気配はなさそうだ。
売店にも誰もいないし、二階にも誰かいるような気配はない。ぴったり閉じた防音扉の向こうにある舞台の様子も分からない。
真人は真ん中に立って大きな声で呼びかけた。
「誰かおりますか? ここは危険です!」
真人の声がかすかに木霊していく。
少し待つが反応はない。どうやら本当に無人らしい。
「カナンリンクって、人の移動はどうやってるんだろ。
下にいたようなロボットで人海戦術?」
『――知りたいかい?』
唐突に声がした。
出所は天井にあるスピーカーだ。
真人が身構えた瞬間、壁から、床から、天井から、まるで染み出すように人型のナニカがわき出る。
「この声……キュリオス!」
『セカイの一部の素材は簡易版の生成工場になってる。
ここの場合は、壁や床の一部がそうだな。
簡単なものなら作れるし、こうやって物資やロボットを作って送り出す搬入口も作れる。
人はそこから処理施設へと運ばれたり、セカイへ戻されたりする』
声を無視して真人がロボットにつかみ掛かる。
無機質でのっぺりとした白いだけの人形は、とたんにバラバラになった。かなり脆い。
『おいおい、乱暴はよしてくれ。
そいつらは簡単な作業を行うだけの物で、無害だよ』
「出てこい、キュリオス!」
『隠れてないって。
単なる演出なんだが、お気に召さなかったかい?
――舞台の上ににいるよ』
放送が終わった途端、ロボットたちが一斉に停止した。
通路はまるでマネキンの物置のようになる。
マネキンたちは目茶苦茶なポーズのまま、一方向の通路だけを明けていた。
「ステージへどうぞ……って、訳か。
いいよ、堂々と言ってやる」
真人は左手の甲を見た。
ガランサスのチャージ分だけマシになっているとは言え、戦闘するにはエネルギーの残量がまるで足りない。
パワーキャスターをフルで展開すれば、あっと言う間に枯渇するだろう。
――左手のインジケーターを見ていた真人が、ふと気付いた。
灯りが消えている部分がさっきより増えている。
「故障でもしたかな……? 無理もないけどね」
状況的に、異常箇所が増えても不思議ではない。
真人は目をつぶって少し息を整えた。
幸い、身体から受ける感覚には特に異常はない――少なくとも、今のところは。
覚悟を決めると、ホールの先にある立派な防音扉を開いた。
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