第52話 セカイを抜けて
真人は幾つもの施設を抜けていった。
下へ続く通路は無視する。
そうやって無理矢理進んでいくと、自分がいま何処にいるのかも分からなくなる。
だが気にすることなく進み、制御鍵まで使って幾つかの気密扉を開いた瞬間、轟々と水が流れる音が飛び込んできた。
恐る恐る中へ入ると汚水処理場みたいな場所が広がっていた。
壁にはキャットウォークが巻き付くように張り巡らされ、それが上へ、上へと続いている。
床は全て深いプールだ。
巨大なサージタンクには濁った水がたまり、底には大量の瓦礫などが沈んでいるようだ。
天井は――恐ろしく高い。
上を見ようとすると首を真上に傾けなければならない。
「なんだここ……」
真人が上を見ていると、ガコンと天井が開く。
そこから瓦礫と水が流れ込んできた。
どうやら天井に穴があって、そこから瓦礫と一緒に大量の水が流れ落ちてきているようだ。
瓦礫や水がプールに落ちる度に盛大な水しぶきが上がり、真人の全身をビショビショにしていく。
「セカイの排水施設……かな?
そこに瓦礫が詰まったとか……」
よく見ると、瓦礫は真人が暴走の果てに作った奴も混じっているようだ。
部屋に入っても大丈夫か少し迷った真人だったが、結局入ることにした。
ここからなら外に出られそうだ。
びしょ濡れになるのは……まあ、仕方が無い。
濡れた身体を他人が見ればちょっとした見物だろうが、真人には不快なだけだ。
真人は念のため加速せず、素足のペタペタという音を響かせながらキャットウォークをゆっくり進んで行く。
しばらく歩いていると、やがてプールが静かになった。
急に水と瓦礫の流入も止まる。
「なんだ?」
真人が見下ろすと同時に警報音のようなものが鳴り響いた。
白かった照明が一斉に赤にかわり、プールの底が急に光り始めた。
次の瞬間、水が凄まじい勢いで振動を始める。
施設全体も細かく震えはじめた。
水面からは細かい泡が大量に生み出され、まるで爆発したかのように膨れあがってくる。
濁りきった黒い水が一瞬で純粋な白に染まった。
振動は限界まで高まり――水が爆発した。轟音と化して一気に膨れあがり、真人のいる方を目がけて襲いかかってくる。
「やばっ……!」
真人はアクセラレーターを起動すると、加速して垂直に駆けだした。
それを追うように水の爆発がのろのろと後を追ってくる。
途中でキャットウォークがフェンスで封鎖されているところに出るが、真人はその外側を伝ってあっさりと越えていく。
そのまま全力で走り抜けて一番上の階層まで出ると、柵を乗り越えて着地した。
柵から顔を出して下を覗き込むと、泡も振動もずっと下で留まっている。
この階層は安全のようだ。
「影響あるのは、あのフェンスのところまでかな?
読めなかったけど、多分あそこには危険立ち入り禁止とか書いてるんだろうな」
落ち着くと、周囲を見渡す。
最上層は天井も高く、ずっとガッシリした作りなっている。奥には管制室のような場所もあった。
透明な素材で区切られた制御室内には制御卓やモニターが並んでいるようだ。
おそるおそる制御室に入ってみる。
カナンリンクには一般的な、仮想コンソールだ。
モニターには赤や黄色のサインが並ぶ。どうやら施設が稼働中ということらしい。
制御室の壁には扉もあった。
扉のドアノブにあたる場所に付いているパネルにも赤いサインが出ていた。
触っても開こうとしない。
どうやらロックされているらしい。
「この赤とか黄色のサインは、施錠中って意味なのかな?
うーん……」
真人は少し考えた末、カナンリンクの制御鍵を起動させて干渉を試みてみた。
その半身にパワーキャスターとは違う、ずっと無機質な幾何学模様が浮かぶと、制御システムに干渉をかける。
だが――
「それほど複雑ではないけど、なんだか堅いや。
これは……施設稼働中は危険だから出るなってことなんだろうな。
無理矢理こじあけて全体がバグったら怖いし、終わるまで待とうか……」
真人は肩をすくめると、奥の一番座り心地の良さそうな椅子にどっかと腰を下ろした。
本人には普通の感覚だろうが、股を大きく開いて座る。
正面に座った人間がいたら目のやり場に困りそうだが、勿論真人にそんな自覚はない。
ふと、お尻に冷たい感触を感じた。
「――う」
そっと触ってみると、ズボンのお尻側が破けていた。
縦に、派手に。
頑張ってくれたが、どこかのタイミングで限界を迎えていたらしい。
真人はボタンを外し、ジッパーを下げてズボンに手を突っ込んでみる――
「パンツも破けてる……というか、すり切れた?
これで先に進まないといけないのか……」
救いを求める目で――誰かの性根をネジ曲げかねない顔で――周囲を見回すが、救いの手も延びてこないし、ハシゴも降りてこない。
「――まあ、いいか。
いや良くはないけど、どうにもならないしなあ」
ヤケで開き直った真人が再び椅子に腰かける。
幸い、雑に動かなければ気付かれることは多分ない。きっと。
そのまま何もない時間が続く。
「そういえば、お腹空かないな……
ご飯は食べられる筈だけど、なんか変な感覚」
疲労は感じているが、空腹感は感じない。
ただ、食べ物を食べたくないわけではない。食べたらきっと美味しく感じられるだろう。
真人はぼーっと食べ物のことを考えた。
瀬良さんのご飯は美味しかった。
ああいうのも良いし、フィッシャーさんの料理もよかった。
もちろん家のご飯もいい。
「母さんの料理って何気なく食べてたけど、美味しかったんだな。
ああ、甘い物も食べたいな……
栗を使ったお菓子は嫌いだけど、今なら食べられそうな気がする」
今の真人にとってはかなり高い位置にある肘掛けに肘をつき、その上に頭を乗せる。
手持ち無沙汰に、制御鍵を使って何となくこの施設のシステムの中を覗いたりしながら時間を潰す。
そのままボーッとしていると、小さなアラームが鳴り響いた。
同時に管制室内にならぶ制御卓のモニターが全て緑に変わる。
どうやら作業は終わったらしい。
立ち上がって制御室の窓から下を覗き込むと、濁っていた泥水が澄み切った真水に変わっていた。
瓦礫もなくなっている。
代わりに綺麗でサラサラとした白い砂が大量に水中に溜まっているようだ。
真人の見ている前で、砂と水が一気に排出されてゆく。
「ここはゴミ処理場なのかな。
ああして砕いてゼプトライトに戻しやすくするんだ」
あまり長居したい場所ではない。
見ると、さっきまでロックされていた扉の鍵が開いている。処理が終わったからということなんだろう。
そっと扉を開ける。
セカイがグチャげたような短い通路を抜けると、先にあったのは新たなセカイだった。
壁は白い漆喰、床と天井は木でできた和風の短い廊下が続いている。
感じからするとアニメとか大河ドラマくらいでしか見たことがないような日本の古い屋敷のようだ。
薄くてガタピシ軋む木の扉を開くと、障子と雨戸で仕切られた縁側のような通路へ出る。
一歩踏み出そうとして、ふと何かを思い出した。
「あ……そうだ、さっきの甘い物で思い出した。
家の冷蔵庫にプリンを凍らせておいたんだっけ」
あれから、もう何日かたっている。
誰かに――間違いなく妹に――食べられているだろう。
でも、それならそれでいい。また買って入れておけばいいんだ。
小言はいうけど。
「うん、なら帰ってあれを食べる。
それが僕の目標だ。
やれるところまでやってみて、駄目なら……その時は、その時だ。
それまでプリンは食べない。うん」
くだらないけど、案外良い目標だと思った。
それは平和で、ずっと普通にあった日常への回帰。
――もちろん実現は不可能に等しいことは、分かっている。
だが、それでも……行けるところまでは行ってみる。駄目ならまたそこで考えればいい。
真人が頷く。
目標を決めると少し気持ちが軽くなったのだろう、真人が笑った。
自然な笑顔だった。
それが聖真人という人間の、本来の笑顔なのだろうか。
真人は笑いながら板間の通路へ足を踏み入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます