第44話 セカイの片隅にて

 巨大な機械と機械の隙間に偶然できたような部屋だった。

 部屋の空気は冷たくて湿気り、強い金属臭が漂っている。

 丸い床は金属メッシュ、構造材むき出しの壁はパイプ類がまるで土砂降りの雨のように折り重なりあってずーっと底まで続いている。


 底からは巨大なエネルギーを感じさせる耳障りな振動と共に、水音も響いている。

 それが冷却水などが漏れてたまったせいなのか、それとも正常なことなのかは分からない。

 部屋には九輪と綾香を覗くサロゲートたちが全員いた。

 中央にあるコンソールからデータを見つめていたユーシンが身を起こし、小さく溜息をつく。


「九輪くんの反応……ロスト。

 セカイは停止したままよ。

 このまま行けば空気も温度も、何もかもが……」


 返事は誰からも来なかった。

 全員がバラバラの場所に腰を下ろし、思い思いの姿勢でジッとしている。

 ユーシンも別に反応があることを期待していたわけではない。


 ――前は気がついたらここにいた。


 より正確には、この部屋の後ろにある倉庫みたいな空間にだ。

 今は他に行く当てもなかったので、ここに戻ってくる以外になかった。


「それと綾香の状況だけど……多分、問題はないと思うわ」


「ああ……」


 ユーシンの言葉にマーキスが気だるそうに応えると、のっそりと立ち上がってユーシンの隣にくる。

 武器になっていた手は外して元に戻していた。

 モニターにはサロゲート体五人分のパラメータが簡易的に表示されている。

 意味は分からなかったが、さっきまで激しくアラートが踊っていた九輪を表す人型のアイコンから一切の表示が消えていることは分かった。

 それが意味するところは、おそらく……


「――そうか」


 マーキスが天に向かって黙祷した。

 真人の元へ向かった時の九輪の言葉から、彼が自分ごと腹の中のキュリオスを破壊する気でいたことは何となく察していた。

 おそらく、九輪はもう……


 その横にある綾香のアイコンには、タスクの進行状況を示すと思われるサークルメーターが表示されている。

 彼女はメンテナンスポットの中で修理――治療中だった。

 ユーシンも一緒に入ったが、こちらはすぐ終わった。綾香は基本フレームごと持っていかれたせいか時間がかかっているのだろう。


「これから、どうしますかね……」


 ポツリと呟いたのは森里だった。

 彼は壁に背を預け、力なく床に座り込んだまま天井を見つめていた。

 だが、その言葉に返事をするものはいない。

 もちろん皆はその答えを知っていた。

 

 それを知っているからこそ、誰も何も言えなかった。


「……」


 金属製の椅子のようなものに四肢を投げ出すように座っていたトゥイーが、姿勢を変えることなくヘルメットのバイザーを降ろした。

 憔悴しきっていた表情がバイザーの影に隠れる。


「ユーシン、キュリオスの反応は出ているか?」


「分からない……」


 モニターにはあらかじめサブセットされている情報しか表示されない。

 今のところ見られるのはサロゲート全員分の簡易ステータスと、真人がいるであろうセカイの稼働状況を簡単に示すモニターだけだった。


「やれやれ……

 いなくなってくれた方が有り難いが、放り出されるのもキツいな」


 マーキスが重い身体を引きずるようにして歩き出すと、綾香のいる部屋に続く扉を開ける。


「どこへ?」


「見鳥を待つついでに、何か飲み物でも探してみようかと思ってな。

 せめて水の一杯でも飲めれば、少しは落ち着ける」


「なら……僕もいきます」


 森里ものっそりと起き上がった。

 トゥイーは無反応だったので、ユーシンはこの場に留まることにしたようだ。

 軽く首を振ってみせる。


「できれば暖かいのが飲みたいわね。

 ここは……寒いから。

 お菓子なんかもあるといいわね。おちびちゃん用に」


「ああ、探してみる」


「自分、前に九輪さんと倉庫を探検しています。

 案内しますよ」


 マーキスと森里がちょっと笑って、隣の部屋に入る。

 二人が入ると壁の発光パネルが自動的に灯った。

 部屋は端が見えないほど巨大な空間に大小様々なコンテナが置かれている。

 まるでデキの悪い巨大迷路のようだ。

 綾香を収めているポットのある一角は透明なパーティーションで区切られており、同じようなポットが列をなしている。

 今は綾香の分だけ電源が入っていた。

 森里が扉の脇に歩いて行くと、壁に設置された小さなパネルを開けた。

 中から細い棒状のものを二つ取り出し、一つをマーキスに渡す。


「マーキスさん、ライト使います?」


 軽く捻ると棒全体に薄いオレンジ色の光が灯る。

 意外と明るく、目に優しい光だ。見ていると安心できる灯りだった。


「ああ、有り難う。

 触っても熱くないってことは、地球でいうところのケミカルライトみたいなものかな。

 どうやって見つけたんだ?」


「最初にここに来た時に九輪さんが見つけました。

 知性を持つ存在なら分かりやすい場所に必ず非常用の装備みたいなものを備え付けておくはずだって言って、壁の目立つ場所を片っ端から開けてましたよ」


「ああ、確かに理解できる考えだ。

 ――これがここを作った生物に向けた装備なら、そいつらは少なくとも暗闇では視界が効かないし、物を持てる手もあるってことかな?」


「そういうところは、自分たちに近そうですよね。

 何て言ったかな……収斂進化?

 全然別の場所で平行に進化した生物でも、環境要因を利用するパターンが似ていれば、同じような姿・機能に進化するっていう」


「ああ、その説はオレも聞いたことがある。

 なるほど……なら、地球人とカナンリンクを造った種族には共通点が多いのかも知れんな」


「――だからこそ、こうやって利用されたんでしょうね」


「ああ……つまりモルモットに……

 くそっ、そう考えると腹立つな」


「まあまあ……

 最初の予定どおり、飲み物と食べる物を探しましょう。

 今のオレたちには人間らしい休息が必要です」


 森里の一言で、マーキスもコンテナの探索に入る。

 水自体はすぐ見つかった。

 少し奥のコンテナ脇にあるタンクの中に大量に保存されているのを、マーキスが見つけた。

 水入れは一緒に見つけた蓋付きの筒を流用し、コップは空の試薬入れっぽい物を洗って使うことにした。


「臭いは……ないな。味も全くない」


 毒味代わりにコップから水を飲んでみたマーキスが首をかしげた。

 飲めはするが味気なく、特に美味い物ではなさそうだ。

 だが、コップから水を飲むという行為自体は悪くないものだ。

 それだけでも少し落ち着ける。


「なら工業用かな?

 自分も何かの部品の一部らしいヒーターを見つけてきました。

 これでお湯くらいは飲めそうですね」


 森里が手に持ったU字型の管を振ってみせる。

 電源内蔵型の電熱器か何かなんだろう。

 それを筒に突っ込むと、森里の背中から生えてるサブアームの先端で直接回路をいじってスイッチを入れた。

 森里の腕は元々そういう用途に使う物だけあって、色々と役に立ちそうだった。


「これで水は何とかなったが、食べ物はないな。

 セカイには珈琲やお菓子の類もあったし、どこかにそういう物もある筈なんだが……

 ここの物資はゼプトライトから分子デザインされてる筈だから、そういう施設を探さないと駄目かね」


 コンテナの上に腰を下ろしたマーキスが呟く。


「いいですね、未到の地でサバイバルしながら探検だ。

 ん? ああ……そうか」


「どうした?」


「いえ、ここって……地球人が初めて足を踏み入れた場所なんですよね」


 森里が倉庫を見渡す。

 壁の発光パネルと二人が持つケミカルライトの灯りに照らされた素っ気ないデザインのホール内は無機質で、工業的で、素材や技術を除けば、地球にあってもおかしくは無さそうに見える。


「一目見て大体用途が想像つくのが幻滅だが、そうだな。

 宇宙人が造った部屋は何のためか分からん物であって欲しかったがね」


 マーキスが苦笑いし、水をもう一口飲んだ。

 大分調子が戻ってきたらしい。

 森里も同じように笑う。


「――っと、お湯湧きましたよ。

 あと綾香さんのポットが開きそうです」


 カシュと空気が抜ける音がこちらの部屋まで響き、仕切りの奥で綾香を入れたポットの蓋が開いた。

 マーキスと森里が綾香を介抱するために隣の部屋へ移動する。


「大丈夫か、見鳥?」


 マーキスが自力で出てきた綾香に手を貸す。

 彼女の両足はフィールド衝角ごと元通りになっている。

 だが、その顔色は最悪だった。


「うん、なんともない……

 ねえ、あれから何かあった?」


「九輪さんの反応が消えました。

 詳しい状況は分からないけど、九輪さんはもう……

 お湯いります?」


 森里から渡されたコップを受け取った綾香がちょっとだけ口を付けた。

 それで少し顔色が良くなったような気がする。


「そっか、なら……九輪さんは楽になれたんだ。

 いいな……」


 綾香が小さく呟く。

 その言葉はマーキスと森里の表情を硬くしたが、綾香は気付いていない。

 今の状況では、自殺は現実的な選択肢の一つだ。


「向こうへいって休もう。トゥイーちゃんとユーシンさんもいるよ」


「――うん」


 何か言いかけた綾香だったが、結局押し黙ったままマーキスと森里の後ろに付いていった。

 その後ろで綾香を直したポットが静かに蓋を閉まり、沈黙した。

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