第4話 過去世界 1日目
元来た道を戻るように階段を一段一段下っていく。前を行く狐の尻尾が右へ左へゆらゆら揺れて、それを眺めていた俺は盛大につまずいた。地面から足が浮き、景色がスローモーションのように流れていく。俺の悲鳴にも似た声で異変に気付いた狐は振り向くと同時に横に飛び退った。あぁ狐を潰してしまわなくてよかったと思うと同時に衝撃が体に走る。階段をゴロゴロと転がり下にたどり着いてようやく止まることができた。
「いっ…っっ………。」
あまりの痛みに俺はしばらく起き上がれず、地面にうずくまった。
「大丈夫かぁ?飛んだドジだな。」
「一言余計だよ…。」
しばらくそうしていると誰かが駆け寄ってくるのがわかった。さすがにうずくまったままでは恥ずかしいのでどうにか起き上がる。全身打ち付けたのだろう身体中がズキズキと痛む。
「大丈夫ですか?具合悪いなら救急車でも呼びましょうか?」
それはよく見知った人の声だった。もう一生聞くことのないと思っていた声。確かにこの夕暮れの時間帯は母が仕事終わりに帰ってくる時間帯だけど、まさか偶然家族にこんなところを見られるなんて思わなかった。
「大丈夫だよ母さん。さっき階段から落ちて痛みが引くのを待ってただけだから。」
「えっ、奏太だったの!暗くてわからなかったわ。階段から落ちたって歩けそうなの?」
「うん、ゆっくりなら歩けそう。」
ぎこちなく歩く俺に合わせて母さんが隣を歩く。こうして再び母に会うと何を話せばいいのかわからない。そもそも今日はいつなのだろうかと思いそれとなく母に聞く。
「そういえばさ今日って何日だっけ。」
「23日よ。」
「そっか。」
西暦まで聞いてしまうと変に思われるかな。まぁ家のカレンダーで確認すればいいか。
「ねぇ、さっきから白い狐が奏太に付いてきてるけど餌でもあげたの?」
「えっと友達の家で飼ってる狐なんだけど1週間だけ預かってって言われて断れなくてさ。世話は俺がするからいいかな?」
「まぁ…預かるだけならいいけど。」
渋い顔をして答える母を見て思い出す。そういえば母がいた頃はよく顔色を伺って怒らせないようにいつも気を張りっぱなしだった。そうしてどんどう顔を合わせないように距離を置いて行ったんだった。なんだか急にあの頃に引き戻されたような感覚がしてモヤモヤとする。俺は言葉にできない気持ちにため息をつきそうになって寸前で止める。これ以上母の気分を害さないために。
ていうかヤクってちゃんと見えるんだな。ご都合主義のように消えたりはできないのか。っていうかご飯は何をあげればいいんだ?
家に着くと当たり前だけど真っ暗で、寂しい感じがした。今の俺は一人暮らしだからこの家に帰ってくるのは久しぶりだ。あの頃の俺にとってこの家は帰るべき場所というよりは窮屈に押し込められる場所だった。
空元気に振舞って少しでも家族の雰囲気が良くなればと思って顔色を伺っていたけど結局何の役にも立たなかった俺。いつの間にか自分の気持ちなんて一つも言えなくなって、どうしようもなく辛くてただ逃げていた。今の俺ならもっとうまく立ち回れるだろうか。
リビングの電気をつけ、散らばった机の上を片付ける。母に背を向けながら今日の夕ご飯俺が作るよ。というと母が俄かに驚いている気配がした。
「奏太料理なんて作れたの。」
「あんま美味しくないかも。ただ偶には作ろうかなって、いつも作ってもらってるし。」
「ありがたいけど気にしなくていいのに。それにさっき怪我したでしょ。」
「俺が作りたいだけだから。冷蔵庫に入ってる食材適当に使っていい?ダメなやつあったら言って。」
「いいけど…。」
今まで親に料理を食べてもらったことがなかったので少し反応が怖いが一人暮らしを始めてから料理は自分で作るようになったのでそれなりには作れるようになっている。
ひとまず部屋に荷物を置きに行くか。
部屋に入るとずっと黙っていたヤクが口を開いた。
「なんかぎこちなくね?」
「普通だろこのくらい。思春期の息子と母親の距離感なんて。」
「なんつうか、俺は人間のことなんてよく知らねーが他人行儀なんだよ、おまえ。」
「うーん、今は2011年か。俺が高校2年の時だな。どうりで制服なわけだ。9月ってことはちょうどテスト期間でピリピリしてた頃だな。」
「おーい無視かよ。」
制服を脱ぐといたるところがアザになり、腕からは血が滲んでいた。あれだけ盛大に落ちればこうもなるか。骨が折れなかっただけマシだろう。部屋着に着替え終わってヤクに答える。
「ヤク、俺だって…どう接するのが正解なのかわかんないんだよ。」
そう言って部屋のドアを閉めた。そのとき呟いたヤクの言葉は俺には聞こえなかった。
「正解なんてねーんだよ、奏太。」
Life is ephemeral 九重工 @8686
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