ユニコーン・UFO・美男美女のカップル
おたくはふとあるごとに、推しキャラクターを見て「顔が良い!顔が好き!」と恥もせずルッキズムを享楽する。おたく達が顔面至上主義に支配されているのは、適当な本屋に入っておたく向けの本のコーナーに行けば十分過ぎる程に理解できるだろう――そこにはイケメンと美少女ばかりの夢のような世界が待っている。
昔、イギリスのTVで面白いビールのCMが放送された。それはメルヘンによくある出会いから始まる。小川のほとりを歩いている少女がカエルを見て、そっと膝に載せ、キスをする。するともちろん醜いカエルは奇跡のように美しい青年に変身する。しかし、それで物語は終わらない。美青年は空腹を訴えるような、好色そうな眼差しで少女を見て、少女を引き寄せ――キスをする。すると少女はなんと瓶ビールに代わり、美青年は誇らしげにその瓶を掲げる!
女性からすれば、彼女の愛情がカエルを美青年、つまりファルス的な存在に変える。男からすると、彼は女性を部分対象、つまり自分の欲望の原因に還元してしまう。この非対称ゆえに性関係は存在しないのである。女とカエルか、男とビールか、そのどちらかしかない。絶対に有り得ないのは自然な美しい男女のカップルである。幻想においてこの理想的なカップルに相当するのは、瓶ビールを抱いているカエルだろう。この不釣合いなイメージは、性関係の調和を保証するどころか、その滑稽な不調和を強調する。
無論フェミニストは、女たちが日常の恋愛経験で目撃するのはむしろ反対のシナリオだ、と言うだろう。ハンサムな若者にキスをし、必要以上に親しくなった後、つまりすでに手遅れになった後、そこに見出すのはアル中のカエルなのだ。
要するに、月の裏側に住む宇宙服を着た一角獣か、牛を草ごとキャトルミューティレーションしていくUFOか、あるいは空飛ぶスパゲッティモンスターと同じくらい――美男美女のカップルは空想上の嘘くさい存在なのだ。
つまり、顔の良いキャラ同士の恋愛が大好きなおたく達は、同性愛コンテンツを享楽する以外の選択肢はないわけである。しかしここで一旦そもそもの話に立ち戻ろう。おたくは何故こんなにも顔がいい人が好きなのか……?
結論から言ってしまえば、レヴィナスがよく承知していたように、顔とは複雑なコンテクストを孕んだ深淵なるイデオロギーの崇高な対象である訳だ。ここでは、「顔」の記号論に関する、殆ど唯一の性交と言ってもいいドゥルーズとガタリ『千のプラトー』における「顔貌性」の議論に少し触れていこう。ドゥルーズとガタリは、顔を意味性と主体化という二つの軸から、ホワイト・ウォールとブラック・ホールのシステムと考える。白い頬のホワイト・ウォール、黒い眼窩のブラック・ホール。ここでホワイト・ウォールはシニフィアンの壁として意味性をにない、ブラック・ホールは意識、情念、冗長性を引き受けつつ主体化の磁場を構成する……。
今回では深くは立ち入らないが、特に百合まんがでは顔や表情の表現は力を入れてなされる事を思い出して貰えれば、それだけで深淵の一端が伺えるだろう。表情の描写が優れた作品として、竹嶋えく『ささやくように恋を唄う』を挙げて本節を終える。
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