同性ゆえの共感と癒着
さて、当然の事だが、異性間よりも同性間の方が打ち解ける、共感できる事が多いだろう。時に、分かりすぎてフロイト的な無意識のようなものまで共有してしまう程に。露出せよ、と言う現代文明の悪しき文化が生み出した、Twitterのラディカル・フェミニストに先導された傷ついた女性たちの異様な連帯――または最近欧米で目につく自由恋愛市場での負け犬男性の徒党「インセル」の結び付きの激しさを見よ。
それを個人のレベルで考えて――愛情や憎悪が交わった感情を激しくぶつけ合い、融合させる様を考えてみよう。異性間で交わされるものより、ずっと物語としては面白くなりそうな要素として見れないだろうか。どろどろに溶け合うような激しい癒着を引き起こし、男女の間では珍しい巨大感情のせめぎ合いを、同性愛では楽しめるという訳だ。
そしていきなりだが、一般に「人間関係」は、身体を抜きに考えることは難しい。「関係する」の一言で肉体関係を示すことが出来るのは偶然ではない。
補論1で詳しく述べるが、女性は男性と違い<身体>を持っている。これに対して男性は<身体>を持たず、象徴的な意味での<本質>しかない。「男性性」と考えられるのは文化ごとにも異なるが、例えば「論理性」「潔さ」「筋を通す」「我慢強さ」などは共通して挙げられる特性だろうか。これらは尽く観念的であり抽象的な特性だ。
これに対して女性性を観念的に考えようとすると、ここに挙げたような「男性性」の否定か例外にしかならないのだ(「非論理性」だとか「弱さ」だとか)。一方、積極的な意味での「女性性」は、外見や所作などの身体性において表現される傾向にある。
おそらく身体感覚のありようにおいて、一般に男性の方が女性に比べて遥かに鈍感なのは、<大文字の他者>が生み出す家庭――公教育においての躾の影響があるだろう。
特に百合では、1章で挙げたFLOWERCHILDの描くような、柔らかい皮膚と皮膚が溶け合うような皮膚感覚が売りの一つと言っても過言ではないだろう。破壊的なまでにぐちゃぐちゃに混じり合う、そして精神の面でも時に溶け合い時に傷つけ合う。これこそが恋愛とセックスの醍醐味を真に表現できるコンテンツではないだろうか。
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