タイトル.78「無意味のメモリー(後編)」


 笑っている。神代駆楽は笑っている。

 人類はあまりにも愚かだ。救いようがない。

 どれだけ救おうとしてもキリがない。救ったところで人々はそれをまた踏みつぶし、新しい悪夢を生み続ける。結局は永遠に繰り返すだけ、いずれは全てが染まり、世界を殺す。そんな現実を前に失笑したというわけではない。

「……よかった。本当に、よかった」

 育ての親。神代久山が生きている。

 守り切った。その人生。

 最後の最後まで果たそうとしていた願いがかなっていた。神代駆楽はその過去を知れたことにうっすらと涙を浮かべていた。

「戦ってるんだな……爺さんは、まだ」

「そうだ」

 スバルヴァは空より愚民を見下ろす。

「まだ戦っているその戦いは永久に終わらないだろう。貴様の頑張りもすべて無駄となったこの現実を前に、言いたいことはないのか」

「ないよ」

 スバルヴァの返事。そのリアクションはあまりにも素っ気ないものだった。しかしカルラもまた同じ。スバルヴァへの問いに対して、呆気のない返答をするのみ。

「……ああなることは俺も爺さんも分かっていた。覚悟は決めていたんだよ……本当の戦いが終わるまで戦い続けるってな」

「いいや、戦いは終わらない。神である私が言うのだ、間違いは、」

「決めつけてんじゃねぇぞ。何もかも諦めたつまらねぇ男が」

 減り込んだ石床の中から、カルラは這い上がる。

 体中に電流が迸る。今の一撃で体内のエネルギー配線が幾つかやられたようだ。だが戦闘を行う分には申し分ない。まだカルラは戦える。

「夢の為に、希望の為に、未来の為に……戦い続けてる人間が少しでもいるのなら」

 飛び上がる。ジェットブースターの電源はまだ残っている。空より見下ろす神を叩き落さんと彼は食らいつくように斬りかかる。

「そいつらのために、俺は戦う」

「貴様は、」

 当然、神は片手で打ち返す。

 フェーズ5の戦闘能力にも慣れてきた。本気を出すまでもないと鼻で息を鳴らし、再びカルラを地へ追い払う。

「何故、ここまで無意味なことをする。足掻くことさえもやめた者が増えすぎた人類のために」

「……人間は弱い。だから限界がある。出来る事に限度がある」

 満身創痍。最早、彼の体はボロボロだ。

「人間にできないことは人間であることを捨てた俺にしかできない……だから、戦ってるんだよ」

 カルラは地に膝をつけることだけはしなかった。その刃を手放そうとはしなかった。その瞳から闘志の炎を消すことはしなかった。最後の最後まで己の胸に誓った希望を願い続けるため牙を剥け続けた。

「……人柱となるか。虚しい男だ」

 あざ笑う、というよりは最早、悲嘆とも言える対応だった。

 愚かな人間と違って、カルラという男は真に救いようがない。誰も彼を止められる者はいない。神代駆楽の愚直を救える人間が、この世には最早存在しないという同情だった。


 この男は“空っぽ”だ。

 自分の為ではなく、他人の為に生きようとする。

 その体を他者の為に。無意味な人間の為に燃やし続けるその人生に、哀れな感情しか神は抱くことが出来なかった。

「そうだろうなぁ……俺のやってることは他人から見れば無意味だろうなァ……アンタが最も嫌う“無意味な死”って奴だろうよ」

 そっとエンジンに手を伸ばす。

 これが最後の賭け。最後の攻撃となるだろう。

「でもな、お前知らないだろ……信じた人の為に戦うって、心地良いんだぜ……?」

 これが最後の灯。

 カルラは何の躊躇もなく至ろうとした。




『ご主人』

 その腕を止めるように。

 声をかけてきたのはヨカゼ。暴走を続ける村正の停止、そして制御はもう彼女の手では行えない。それを分かっていながらもヨカゼは囁くように声をかける。

『……勝ちたいか』

 それは、問いだった。

 ヨカゼが寸前に言ったのは、分かり切った質問だったのだ。

「当然だろ……絶対にアイツに勝つ」

『ならば、私もご主人に伝えよう』

 瞬間、カチリ と音が響いた。

 エネルギーバッテリー。エンジンパックの中で、何かが外れような音がした。今まで聞いたことがない“鍵を外す音”だった。

『最後のフェーズ。人類の限界を超えた、禁断の領域……【PHASE;X最後のフェイズ】。人類が“神”となりえる存在になるかもしれない。故に開発した研究機関がその使用を認めなかった無限の領域だ』

「!?」

 それはカルラでさえも知らされていなかった世界だった。

 今のフェーズだけでも体に十分な負荷を与え、人間という存在そのものの全てを越える存在となってしまう。そのフェーズとは比べ物にならない領域がまだ、この村正には残されているというのだ。

『これを使えば、あの神に勝てるかもしれない。だが……これを使えば、ご主人は間違いなくする』

 体へかかる負荷は最早どうしようもない。

『きっとこれを発動すれば、もう貴方は誰の声も届かなくなるだろう』

 神になるという事はそれだけのデメリットは当然やってくる。

 万が一に神に勝ったとして。その後、ギリギリに別れを皆に告げる時間は残される可能性はあった。

 だがこの領域を作動させるなら……神代駆楽は間違いなく、この神殿の領域で息を引き取ることになる。その肉体を放棄することとなる。

「……元より散る命」

 カルラはその言葉に対する返事は勿論イエスだった。

「躊躇いはないぜ」

 そんな秘密兵器があったのかと喜ぶばかりである。最後の反撃にふさわしい装置を用意してくれたことに感謝するような言葉だった。

『……これが最後だというのなら。もう、会話を交わせることもできないというのなら……最後の最後、私に好き勝手を許してほしい』

 感情。声。

 






『私はもう……ご主人に戦ってほしくない……ッ!』

 プログラムらしくない。彼女の心からの叫びだった。

『ご主人はもう十分に戦った! 十分に傷ついた! 十分に生きた……なのにまだ戦おうとする! まだ傷つく! まだ地獄を生きようとしている……ッ!!』

 涙、を流しているのか。

 少女が泣いているようにも思える。

『もう、止めてほしい……私だって一緒だ……ご主人の悲しい姿をもう見たくない……幸せに生きる道を、進んでほしい……ッ!!』

 自ら地獄へ進む姿。絶望と分かっていながらも進み続けるカルラの姿。

『もう、いやなのだっ……』

 長く寄り添い続けてきたプログラム。高性能であるが故、人の心を深く理解できてしまう。研究機関が生み出した最高傑作でありながら駄作。その結晶の瞬間が、この誰も知りえぬ未開の地で発揮されている。

『……だが、ご主人が進むというのなら。私もその地獄へ寄り添おう。ご主人の意思を、最後まで受け止めるぞ』

 涙を拭ったように。強がった言葉。

『私も、ご主人と戦う。ずっとご主人の胸の中にいる。それだけは忘れるな』

 一人じゃない。彼女もまた、カルラの心の中で生き続けていると。

 “仲間”であると。

 最後の最後で彼女はプログラムという立場を完全に放棄した禁断を漏らした。


『……プログラム失格であるな。私は』

 それは彼女も理解していた。

 だが、もう悔いはない。例えプログラムという己の存在価値を否定し、失敗作だと罵られようと……彼に思いを告げられたのなら、それでいい。

 ヨカゼも心残りはないような、清々しい後悔を口にした。








「ヨカゼ」

『……なんだ』

「今までありがとよ」


『ああ、さらばだ。私の、たった一人のバカ御主人よ』








 力が漲る。体が燃える。

 魂が叫ぶ。大地が揺らめく。

 これが最後。残された時間はヨカゼが計測するにたったの1分。残されていた時間のほとんどを消費する代わり、彼に無限の力を与える。これが最後のフェーズ。

 

「さぁ、おっぱじめるぞ」

 村正の刃も、見たことのない光を放っている。

 刃だけじゃない。カルラ自身の体も、この世から逸脱したように光を放っていた。

「これがヒーロー・神代駆楽の大活劇……涙、涙の最終話だッ!!!」

 神と並ぶ。

 あるいは超えた、か。

「……ッ!?」

 懐に潜り込んだカルラの拳が。届くはずのなかった神様の頬を抉り潰した。

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