タイトル.59「サヨナラ・グッド・バイ(前編)」


 確かな“死”を与えていた。

 血にまみれてはいない。だが村正は女性の胸を深く突き刺していた。

 そこは紛れもなく心臓部分。見たこともない粒子が栓の外れた水道のように溢れ出ている。



「……っ」

 シルフィは戦慄した。













 “嗤っている”。

 カルラは、死を迎えた女性を前に口元を歪めている。

「リン様!」

 スタジオにまたも別の客が現れる。

 シスター・ジャンヌ。その後ろからは上手い事この人物を言いくるめる事に成功したアキュラとス・ノーの二人だ。

 この女に敵意を向ける人物はもれなく天罰じみた不運が訪れる。だが、その逆で味方につけてしまえば……それといって不幸が訪れる事はなかった。

 ここから先まで何の障害もなくスタジオに到達する事に成功したのである。

「無礼を承知でお聞きします! アブノチの村は貧困かつ非情な事態を迎えていると聞きました! 救いの手を差し伸べず、一方的に村を滅ぼしたという話は真実でございます……か、」

 ただ、ジャンヌは真実が知りたかった。

 アブノチの村の民達は緊急事態にどうする事も出来ないほど追い詰められていた。村を守るため現地の人間達は必死に状況を良好な方向へと向けていたが、政府の人間達はそれに聞く耳持たずで戦火を投げ入れた。

 聞いた報告とは全く違う。シスター・ジャンヌは上司であるという“ネットアイドル・リン”へと真意を確かめようとしていた。しかし、もうその願いは届かない。

「リ、リン様ぁあーーーーッ!?」

 なぜなら、もうその上司の息の根は止められている。

「なっ!?」

「こ、これはっ……」

 その光景にアキュラ達も息を飲み込んだ。

 致命傷を与えたことでフゥアリーンのデジタルフィールドは既に解除されている。この場にいる人間の電子データ化は発生していない。

 メインプログラムである彼女を殺したため、カルラの体も元の肉体へ戻っている。掠め取られた頬も取り返している。その場で起きているのは一方的な殺戮の跡。

「……おめ、でと、う」

 フゥアリーンは小さな声でカルラに呟く。

「あな、たの、勝ち、ね」

 調子の悪いテレビ。ノイズのかかったような声を上げながらフゥアリーンはダラリと体を前に落とし、すぐ目の前にいるカルラの肩へと頭を押し付ける。

「……だけど、ね。残念だけ、ど、これで、終わりじゃ、ない、んだ、よね」

 死を前にしても、フゥアリーンは笑ったままだ。

「ホント、のたた、かいは、コレから。あな、たは、たたかう、宿命、よね」

 あの時のように。数千万人以上の民を洗脳へ陥れた時と同じように。大人っぽいトーンのまま、彼の耳元で囁き続けている。

「たたか、い、なさ、い。それが、あな、たが生まれた、理由、なんだ、から。だれ、にも、りかい、され、ない、た、ったひとり、の、えいゆ、うさ、ん」

 それは人間にしてはあまりに不自然な死だった。

「あな、たを、りかい、できる、のは、あなた、だ、、、け、、……」

 血は流さず、呼吸の鼓動も感じない。

 燃やされていく紙切れのようにフゥアリーンの体は塵となって消えていく。両手両足からボロボロと崩れ去っていく肉体は次第に首元まで到達し、笑みを浮かべたままこの世から消失してしまった。


「……なんだよ」

 フェーズ5が解除される。

 肉体に何の問題もない。少しばかり筋肉痛がのしかかる程度だが、カルラは軽く首を鳴らしながら佇んでいる。

「“あっさり死んだな”」

 物足りない。それは落胆だったのか。

 物足りない。それは悲嘆だったのか。

 一つの命を散らせた人間が浮かべる表情にしては、その顔はあまりにも冷めきっていた。

「……おっ!」

 後ろを振り向けば、仲間達がいる。

 シルフィとキサラの姿。キサラはボロボロではあるがドガンの撃墜には成功。

 アキュラとス・ノーに至っては無傷である。それどころか、シスター・ジャンヌを上手い事言いくるめて仲間に引き寄せてもいた。この調子なら、きっと外にいるレイブラントとレイアも任務を全うしたことだろう。

「よっ! コッチは終わりましたよ! いやぁ、全人類を敵に回すことになったと聞いて一時はどうなる事かと思いましたが……そこは流石の俺様っ! 真の敵を見事に打ち倒し、こうして平和を取り戻したのだった! なんて言いまして!」

 一つ気になるのはアイザの事だ。

 敗北したかどうかの問題じゃない。勝利は間違いなくしている。

 ただ問題はやりすぎていないかどうかという話だ。

 今頃、あの殺人鬼はB級スプラッターもビックリな殺され方をしていないかどうかがチョッピリ不安なくらいである。

「まっ、これから何が起こるか分かりませんが、そこはボチボチやっていきましょう! 俺達の戦いはコレからだ……って、まるで打ち切りエンドみたいじゃないっすかー! なんつってー!」

 大笑いしながら、シルフィの下へとやってくる。

「どうしたんですかー、そんなに黙り込んで。もしや、怪我でもしました!? どれどれ、自分が特別に体の様子を見てやって、」

「いやっ……ッ!!」

 カルラが伸ばした腕を。

 シルフィは恐怖でひきつった表情のまま、打ち払った。







「……」

 時間が止まったような気がした。






 その場の空気も、本来であれば祝勝ムードであるはずの。

 この後はお決まりの無駄口トークで大爆笑のはずの展開もまったくない。冷めきった空気。


「あっ」

 シルフィは我に返る。

 今、自身が何をしたのか。頭が追い付かないでいた。

 しかし、瞬時に理解する。

 微かに感じる手の感触。そして目の前には手を横に逸らしたまま固まっているカルラの姿。





 ----時は、動き出す。

「はっ」

 カルラの口元が、また、歪んだ。

「ははっ、ははははっ……アハハハハハハッ!!!」

 目元がぐるりと開く。口はより大きく歪み、その表情はいつもと違った笑みを浮かべている。

「そうか、そうかッ!!」

 笑いが止まらない。顔の筋肉が引きつる思いなのか、打ち払われた腕でカルラは必死に笑いを止めようとする。歪み続けたまま元に戻ろうとしない表情はより鮮烈に、ぎょろりと瞳をシルフィへと向ける。














 カルラのその目は、人間のモノには見えない。

 ゆがむ口元も、人殺しの罪に対し一切震えない腕も。

 人の死を前にただただ嗤い続けるだけのそのたたずまいも、人間のそれとは遠くかけ離れたモノ。


 “悪魔”だ。

 地獄から這い上がってきた悪魔。その例えでしか言い表せそうにない。


「ヒッヒッヒ……ハハッ、アハハハハッ!!」

 彼の肉体はフェーズ1にすら至っていない状態。

 何のエネルギーも纏っていない村正を、筋肉痛寸前の右手で振り回す。ネットアイドル・リンのスタジオの壁を破壊する。

 大きな穴が開いた。壁の向こうは外の風景。

 ス大きく開いた穴の前で、両手を広げたまま彼は背を向ける。

「……あっはっはっは」

 その場で恐怖に震える人間を笑う。

 笑う姿を前に戦慄するだけの人間の弱さを嗤う。

 カミシロ・カルラは……大きく砕かれた穴より、テレビ局から飛び降りる。

「ま、まって! カルラッ!!」

 彼女が手を伸ばしたその瞬間。


 もう彼の姿は、誰の手にも届かない場所にまで離れていた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 真っ暗闇のスタジオ。

 穴だらけのスタジオ。粉々に砕け散ったセット。幾つもの機材が火花を散らしながら煙を上げている。

「くひっ、ふはっ」

 そんなガラクタの山の中で……一人、ボロボロの殺人鬼がいる。

「なんだっ、この強さっ……異常だっ。人間、じゃな、い……!」

 最早、風前の灯。

 死を目前にしたキーステレサの目の前には。

「ねぇ~。おわり~?」

 表情一つ変えずに殺戮を実行するマシンのような少女の姿があった。

「つ~ま~ら~な~い~」

 あと一発。その引き金をおろせば、殺人鬼の首は脳天に頭蓋骨一つ残さずに吹き飛び散らす。絶望的すぎる強さを前にもう、キーステレサの体から戦意なんてものは抜け落ちていた。引き金が今、降ろされようとしている。

「……おぉ」

 アイザの眉間が、ピクリと動く。

「おおぉ~……おおーーっ!!」

 目がキラキラしている。

 おもちゃを買ってもらった子供のように、満面の笑みを浮かべている。


「行かなきゃ!」

 敵前逃亡。

 アイザはキーステレサ一人をスタジオに残し、その場から颯爽と姿を消した。


「なんなんだっ、あの、子はっ……」

 キーステレサの意識は最後に彼女の後姿だけを捕らえ、そこで途絶えた。

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