第十章 前夜
第六十二話 現世への波及
僕が≪
「姉ちゃん……!」
僕は、ケータイを放り出して一階へと駆け降りた。
そこには、割られた窓から入ってきたアリスの姿。
車いすはなく、自分の脚で立ってる。
現実世界では常に閉じられていた瞳は見開かれ、爛々と赤く光っている。それはまるで、ミカエルの燃える頭髪のようだった。
そう、恭子さんの予想通り、ミカエルが現実世界でもアリスに憑依しているのだ。
そして、その後ろには明らかに現代の日本人ではない外見の男女。
男は、黄金色の髪を揺らし、薔薇をくわえている。
女は、緑色の美しい長髪を蓄え、眼鏡をかけている。
間違いない。ルシフェルが言っていた天使、ガブリエルとラファエルだ。
『ミカエル、あれですか? 神に
『「いかにも」』
『なんだかパッとしない人間だなぁ』
我が物顔で僕の家に上りこみ、会話する天使たち。
どうやら、彼らにとっては僕は神に仇なす存在ということになっているらしい。
「新士、お友達?」
「姉ちゃん……!」
パジャマを着て眠そうに目をこする僕の姉。
無事だった、よかった。
にしてももう少し、危機感を持ってほしいけれど。
「友達じゃないよ! ……っていうか、ちょっと下がってて!」
僕は、姉を庇いミカエル達の前に立ちはだかる。
「ミカエル……! アリスを返して、うちから出ていけ!」
『「ふん。私はもう手を抜かないと決めたのだ。お前は危険だ、片見新士……!」』
『片見新士さん、と言いましたね。神の遣いである私たちへの反逆は神への
『なんでもいいさ。はやく片付けて帰らないかい?』
「勝手なことを言うな……! 人の願いを巻き上げて、賭け事に使って。僕たちの願いは、本来僕たち自身が追いかけるものだったんだ!」
『なんてこと。叶わぬ願いを叶えようという神の慈悲がわからないのですか?』
このラファエルという天使、ルシフェルの言った通りの性格だ。
きっとこの天使は、自分なりの正義に従っている。
彼女が、治癒を願う病人や死者の蘇生を願う者を召喚してきたのも、だからこそなのだろう。
けれど、善意に伴う責任を、彼女は僕たちに押し付けようとしている。
僕が≪皇帝≫の少年や≪悪魔≫の進藤憲一を倒して感じた苦悩を、ラファエルは通りすぎてここまで来たんだろう。
「ラファエルさんにガブリエルさん、ふたりはミカエルがしたことを知っているんですか?」
『なにを言って……』
『「耳を貸すな。悪魔の言葉だ」』
と、そのとき。
家のすぐ前で鳴り響くバイクのエンジン音。
「新士くん……!」
「無事か!?」
「かなえ! 恭子さん!」
「ひとりでは狙われる可能性があったからな。かなえ君を途中で拾ってきた」
現れたのは慌てて着替えたらしくコートのボタンをかけ違えているかなえと、ライダースジャケットに身を包んだ恭子さん。
「ミカエル! アリスを返せ!」
『「断る。……にしても、すこし人数が多くなってしまったな……。だが、かえって好都合か」』
「あ、あれ!? 私の天使さん……?」
『やぁ、南かなえ。なんだい? 見目麗しい君に免じて、特別に召喚してあげた君が、僕を裏切るのかい?』
「裏切るって……天使さん、ミカエルの味方なの?」
『味方ってわけじゃないけどさ。さすがに人間が天使に牙を剥くのはいただけないよね』
「……っ! あなた、ミカエルのしたことや目的は知ってるの?!」
自分のことを召喚したガブリエルに、語気を強めるかなえ。
『「ガブリエル、
ミカエルが手をかざすと、かなえの身体が浮遊し、ミカエルたちの方へ移動する。
「な、なにこれ!? ……っ!」
そしてミカエルは、手にエネルギーの剣を創り出し、かなえの首に近づける。
『「ガブリエル、片見新士以外を適当に足止めをしておけ。私はやつを倒すのにふさわしい場所へ移動する」』
『それは命令かい? だったら聞かないけど』
『「頼む。お前の美しさを、人間たちに分からせてくれ」』
『仕方ないなぁ!』
嬉しそうにガブリエルが返事をする。
かなえを抱えたミカエルとラファエルは翼を生やし、割れた窓から飛び去った。
「かなえ……!」
「新士君、追うぞ!」
『おっと、その冴えない少年は追ってもいいんだけど、美しい君は行かせるわけにはいかない』
ガブリエルが、エネルギー弾を恭子さんに放つ。
現実世界の生身で天使の攻撃。受けたらどうなる?
しかし、迷っている暇はない。
「恭子さん!」
僕は、恭子さんの前に立ち、エネルギー弾を受け止めた。
「がはっ……!」
凄まじい衝撃。
僕は部屋の壁に激突する。
「新士君……!」
「だ、大丈夫です……まだ、動けます」
『君を殺したらミカエルに怒られるからね。でも、手加減して正解だね……。人間ってばとっても脆弱だからさ』
「新士!」
と、そこでようやく状況を理解したらしい姉が、僕に駆け寄る。
「姉ちゃん……大丈夫だよ」
「あのお友達は、悪いひとみたいね」
『ふむ……君の姉かい? 姉弟とは思えないほどに美しいね』
そう言いながら、ガブリエルはエネルギー弾を一気に3つ放つ。
まずい……!
「お姉ちゃんに、任せなさい」
そう言うと姉は、なんと3つのエネルギー弾を一度の回し蹴りで消し飛ばした。
「ね、姉ちゃん!?」
『馬鹿な……!?』
「見事だな……」
「お姉ちゃん、大学ではセパタクローのサークルに入ってるのよ」
セパタクロー、すごい。
姉ちゃん、すごい。
「ほら新士、あの金髪の方はお姉ちゃんがお相手するから、行きなさい。さっき連れ去られたの、前に遊びに来た南ちゃんよね?」
「姉ちゃん……! うん、行ってくる!」
『させないよ!』
再びエネルギー弾を飛ばそうとするガブリエルに、今度は姉ちゃんが飛び蹴りを決める。
『痛いよ!! セパタクローは人を蹴る競技ではないだろう!?』
「若者の恋路の邪魔はさせないわ」
そういう話じゃないんだけど……でも!
「ありがとう、姉ちゃん! 恭子さん、行きましょう!」
「私のバイクがある。それで追おう」
家を出る僕たちの後ろから、ガブリエルの悲鳴と「今度そのカッコイイ美人さんもお姉ちゃんに紹介するのよー!」という声が聞こえた。
姉ちゃん、また何かを勘違いしているのだろうか……。
今はとにかく、かなえとアリスを取り戻すことを考えないと。
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