第10話

 幾日か後のこと。

毎日を無為に過ごしているムサシに対して

「ムサシさま。吉岡清十郎さまを倒せば、京随一の剣士となります。さすれば、武芸を奨励している藩より、お声がかかるやもしれませぬぞ」

と、番頭が耳打ちしてきた。

庄左衛門の意を受けて、ムサシの力量をはかるために申し出たのだ。ムサシの心底を探る意味もあった。用心棒として逗留するつもりならば、相応のことをと考えていた。

 ムサシにしても、そろそろ腹を決めねばと考えていた。長崎の地に赴くか、それとも京の地に留まるか。どこぞの藩の剣術指南役に就ければと思うが、その術が皆目分からない。庄左衛門に尋ねようにも、あの夜以来、ムサシを避けるが如くにしているように思えた。


「早速にも見て参ろうか。相手の力量の分からぬままでは、いかにも‥‥」

「では、丁稚に案内させましょう」

番頭の素早い返事に、ムサシ自身の力量をはかるためと感じて、腹も立ちはしたがさもあろうかと思い直して出かけた。 

 吉岡道場を覗いた折に、そのあまりになよなよとした動きに呆れ果てた。〝これなら勝てる!〟そう踏んだムサシ、すぐさま京の町道場破りを繰り返した。そして「吉岡道場なるもの、公家衆御用達の棒振り剣法なり。日ノ本一武芸者 宮本武蔵」という立て札を、宇治川、鴨川そして白川の橋近くに立てた。

 この立て札に激怒した清十郎が、返答と題した立て札を京の至るところに立てさせた。どこの馬の骨とも分からぬ男を、日ノ本一などと称することはできぬとばかりに、わざとひのもといちと書き込んだ。

「ひのもといちなる武芸者に告ぐ。我が道場を、是非にも訪ねられたし。尺八にておもてなしいたそうほどに」

 度量の狭い男よと苦笑いを番頭に見せながら、尺八とはすなわち小太刀を意味するのであろうと、逆手を取って一尺八寸ほどの棒きれを用意させた。

「ご指南いただきたい」と乗り込んだムサシだったが、当の清十郎は留守にしていた。

「生憎と、師範代もおられぬ。出直していただきたい」。古参の門人が告げるが、ムサシは大声で「大方、奥座敷で震えているのであろう」と、暴言を吐いた。怒り狂った一人が「所望!」と叫び、ムサシに打ってかかった。待っていたかの如くにひょいと体を交わすと、手にしていた棒きれで木刀を叩き落とした。

「参った!」と叫んだにも関わらず「参ったは、死を意味することぞ!」と、激しく打ち据えた。ムサシの言動に激怒した門人たちだったが、冷静さを欠いたままでは、ムサシの術中に陥るだけだった。三人の門人が続けざまに打ち倒されて、怒りにまかせた三人が同時に挑みかかった。

 途端にムサシは、「卑怯、卑怯!」と叫びながら門人たちを道場内から往来におびき出した。何事かと足を止める町人に向かって「ひとりの我に、多数なり。逃げるが勝ちなり!」と声を張り上げて、走り去った。

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